リバーポートソング第三部 第一話 それは僕の心をほんの少し癒してくれるが、同時にかなりキツく痛めつけてくる。

【第二部 第十三話はここから】

【あらすじと今までのお話一覧】

月報を書き終わるとすでに十時をまわっていた。のろのろと会社の戸締りをして、真夜中の冷ややかで、うす汚れた東京の空気を軽くすいこんで駅へ歩き出した。今年ももう終わろうとしている。イルミネーションが眩しい季節になってきた。卒業してからもう十年近く経つのにまだ過去に縛られているのかもしれない。けれどもまだ十年しか経ってないとも思える。あの頃から自分が成長しているとは到底思えない。より辛気臭く、ネガティブで今のことには無感動で昔の事ばかりに感じ入る人間になっただけだった。
 満員で酒臭い金曜夜の電車に長い間ゆられ続けてあの寝床に帰る気力が今日はもうない。会社近くのスーパー銭湯に泊まって朝ゆっくり帰る事にする。金曜のスーパー銭湯は満員電車と同じく、不快な程混んでいる可能性もありそうだが。
 スーパー銭湯は僕と同じことを考えている同類の男たちでいっぱいで、靴を入れるロッカーが殆どなく、定員オーバーでもう少しで入場できないところだった。疲れ切った同類達とひとしきり風呂に浸かったあとで、薄暗い休憩室でマッサージチェアに座る。最初はぼんやりとTVをみていたが、すぐに飽きてしまう。薄暗い部屋でなにもせずにじっと休んでいるとまた、過去が襲い掛かってくる。「あのときああしていれば」という後悔に対して「こうしていたらこうだった」と限りない夢想が繰り広げられ、それは僕の心をほんの少し癒してくれるが、同時にかなりキツく痛めつけてくる。

錦と別れた頃、僕らは三年生になった。いよいよ「将来」とやらに真剣に向かわなければいけない時期が来たと学生課は僕たち三年生に告げていた。就職予備校という揶揄を全く気にしないかのように大学のあちらこちらで就職活動向けのイベントが告知され、我々三年生はそれに出るのが当然とでも言いたげだった。2006年ごろの就職活動は秋ごろに本格始動し、年明けから内定が出始め、三年生の三月ごろに内定が一社からも出ていなければ焦った方がいいというのが大体のスケジュールだった。当然僕は三年生になった時点でそんな知識は全くなかった。そういった基礎的な情報はそれら大学主催のセミナーで説明されていたと思うが、その時点で僕はそういうものをことごとく無視していた。かといって、就職せずに何がしたいのかもアイデアも希望も全くなかった。音楽で食べていくというおぼろげな夢に向かってなにか努力するということも、錦と別れた時点で手につかなくなった。入学前はギターボーカル志望だったが、高岸とバンドを始めた時点でなんとなくリードギターに収まり、ずるずると「すとれいしーぷす」時代もそのポジションでギター表現に取り組んできた。「すとれいしーぷす」を辞め彼らがStraySheepsに改名した時点で僕はバンドに対する取り組みを辞め、そのまま柳に出会った。音楽への情熱は取り戻したが、活動はなにもしていなかった。そんな時に錦のサポートでベースを始め、ドラムをやり始めた柳とベーシストとしてリズム隊を勉強するようになり、錦のサポートで柳と文化祭に出て、錦をスカウトしてきたバンドにベースとして参加、ベーシストとしてもそれなりに経験を積んできた。ざっと振り返ってこれが僕が大学でその時までにやってきた二年間のすべてだった。だが、錦との関係がダメになり、ベーシストとしてもギタリストとしても中途半端な状態でもう学生生活は残すところ半分となっていたし、打ち込むべきバンドも僕にはなかった。ソロでフォークソングをやるとか、打ち込みなどを駆使して電子音楽をやるとか、なにかしら活動をスタートさせても良かったはずだが、バンドミュージックに魅せられていたので、バンド以外の音楽をやろうという気もなかった。ところが、ロックミュージックやバンドミュージックに僕はすでに全然期待しておらず、むしろロックにしがみついているだけだと感じていた。2006年といえば年の始めにアークティック・モンキーズがファーストアルバムの『Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not』を発表し、かなり話題になっていた。世間ではロックが盛り上がっていることになっていた。だが、僕はもともとクラシック・ロックに夢中になって音楽にのめりこんだ人間で、所謂ストロークス以降のロックンロール・リヴァイバルの流れには懐疑的で、それは昔のロックの焼き直しで、単なる退化に見えていたし、聴いてはいたけれど熱狂はしていなかった。アークティック・モンキーズも素晴らしいとは思ったが今更だと僕は冷めた目で見ていた。ただ、今にしてみればアークティック・モンキーズだって、ストロークスだってかなり風変りなバンドで、ロックの未来を背負うなんてことは微塵も考えていなさそうな感じで、メディアが彼らにそういう役割を押しつけ、それに僕は辟易していたのかもしれない。彼らは「ただバンドがやりたかったから、やっていた」のだといまにして思う。で、話を僕にもどし、そのころ何をやっていたかというと、何もやっていなかった。全盛期だったともいえる2ちゃんねるのまとめサイトを見続けたり、できたてだったYouTubeを見てインターネットの波に揺られ続けて、狂った生活リズムの中で惰眠を貪り、気が向いたら適当に大学に顔を出すわかりやすく自堕落な日々を送っていた。

 あっという間に五月になり、連休があけた頃、石崎さんから電話があった。
「今暇か? 暇だろ。長瀞いくぞ、長瀞」
「え、どこですか」
「な・が・と・ろだよ。お前知らないの」
 長瀞は埼玉県の北西部にある、長瀞川を中心とする自然豊かな景勝地だ。埼玉県には観光名所がないという自虐が県民からたまに聞かれるが、ま、実際はそんな事はない。観光地だっていくつかあるし、我々田舎から上京してきた者にとってはなんでもあるようにしか見えない。が、当時は長瀞の事は知らず、名前ぐらいは聞いたことあるが、埼玉県だとも知らず、当然行ったこともなかった。当日は池袋の西武線のホームで待ち合わせとなったから、切符を買ってそこで待っていた。確かに池袋駅構内にはなかなか適切な待ち合わせ場所がない。池袋でそのまま遊ぶなら西武デパートの前の駅出口で待ち合わせするのもいいだろうが今回はそうではない。だから、どうせ電車に乗るなら、ベンチがちゃんとあって座れる西武線のホームで待ち合わせするのがいいというのも理解できる。だがよりによって、錦と劇的に結ばれたこの場所で彼女と別れた傷も言えぬうちに待たなければいけないとは。石崎さんからの待ち合わせ場所の提示にOKの返事をしてから、僕もやっとこの事を思い出し、一瞬気が沈み、まぁ平気だろうと思って当日行ってみたが、平気ではなかった。勿論そんな事までは石崎さんも知るわけがないが、あまりにもあんまりだった。待ち合わせ場所には早めについたが、僕は持ってきた文庫も開かずにただ呆然と駅のホームのベンチでぐったりと座っていた。こんな時に限って彼は十分ほど遅れるという。「体調大丈夫か?」気がつくと石崎さんがギターケースを持って目のまえに立っていた。
「大丈夫です。それよりなんですかそれ」
「アコギだよ。キャンプには必須だろ。後輩から借りてきた。こいつのせいで少し遅れたんだ」
 それがアコースティックギターなのはケースのかたちと大きさからわかった。ぼくはなぜドラマーの石崎さんがそんなものを持ってるのかを聞きたかったのだ。
「いまからキャンプにいくんですか」
「そうだよ。いってなかったっけ」

 平日の昼だったからなのか、そもそも都会の平日の昼の下り電車はこんなものなのか割と車内は空いていて、我々はゆったりとシートに座って停車中の電車が出発するのを待った。特急を使えば早かったが、時間がたっぷりある我々は特急料金を惜しんで普通の電車に乗り込んだ。五月の日差しが気持ちよくて我々は最初の三十分ぐらい、うとうとして何にも喋らなかった。だんだんと車内の人影もまばらになってきて、僕たちは車内を移動してやっと空になったボックス席に座って向かい合った。ボックス席だと途端に旅行っぽさがでる。駅で買ったお菓子とお茶を広げて、車窓を流れる景色を見ながらくだらない話をした。石崎さんは有名な冷凍食品会社に内定がでて、就職活動が終わったので実にはれやかな顔をしていた。
「就活始めるの遅れたからな、結構苦労したよ」僕が予想した通り、あの文化祭ライブのあとですぐに石崎さんはバンドを辞めることになった。「けいちゃんと高岸が付き合ってるのみるの正直つらくてさ。辞めてくれないかって高岸に言われたとき、助かったーとおもったよ。もともと就活やんなきゃなとおもってたし、辞め時だったな」
 ドラムの後任はなんと柳だった。文化祭ライブのあと、錦が誘われたバンドメインで活動していた僕は恋人として、バンドメイトとして殆ど彼女と一緒に過ごしていたから、他の友達や柳とは完全に疎遠になっていてそんな事も全く知らなかった。この時は僕が原因かもしれないが、仲のいい時期が一時期ずっと続いたと思ったら全く合わない時期がずっと続いたりもする、という柳の人付き合いの一種のパターンみたいなものを意識し始めたのもこのころからだった。僕とStraySheepsの関係も当然知ってるはずなのに、一言も何も連絡もなかった柳には少し腹も立ったが、何にもそういうことを気にしないのも彼らしかったからスッと怒りは霧散していった。
 何時間か電車にゆられ、ようやく秩父駅につく。そこから秩父鉄道で長瀞方面にいけるらしかったが、改札をでたら「歩くぞ」と言われ、15分ぐらい歩いた。そういえばキャンプ場までどうやって行くのか全く聞かされていなかったから、てっきりバスかなんかでいくものだと思っていたが、実際は石崎さんの母方の祖父母の家で車を借りて向かうことになっていたのだった。

第三部第二話に続く

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