リバーポートソング第二部 第十一話 僕たちは広い公園や河川敷に行き、寝転がって音楽を聴いたり、空をずっと眺めたり、くっつきあってゴロゴロ転げてお互いの心臓の鼓動を聞きあったりした。

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 何が起きたのか分からず暫く駅のホームで起きたことを頭の中で反芻しながら立ち尽くしていた。僕たちの間に、少なくともその時まで恋の煌めきのようなものは多分なかったと思う。それは完全にその日に芽生えたものだった。あの時電車でずっと立って喋っていた時からスイッチが入った様な気がする。あの時電車が空いていて座れていたら、僕が電車を勢いで降りてしまわなければ、二人の間にはずっと何も無かったかもしれない。でも電車は混んでいたし、僕も降りずにはいられなかったし、彼女もそうしてほしい感じがした。アドリブで演奏しているジャズミュージシャン達が、言葉ではなくお互いの演奏から感じられるものを読み取り、それに合わせるうちに、当初は想像もしていなかった場所にいつのまにか到達していた、そんな感じで僕らは西武線のホームにたどり着いていた。あのキスだってどちらからとかそんなんじゃなかった。今までの流れ、お互いの挙動の読み合い、共鳴によって自然にもたらされたものだった。考えてみたら終わってしまうまでキス自体に驚きはなかったし、「いまのキス大丈夫だったよね? してよかったんだよね?」みたいな確認も必要なかった。僕らはまるでずっと会いたかったけどやむを得ない事情で別離を強要されていたカップルが久しぶりに再会したかの様にきつく抱き合って長いキスをしたのだった。電車のベルが鳴って僕らはやっと現実に引き戻された。

 気を取り直してホームを改札方面に向かって歩き始めると喜びが沸々と湧いてきた。頭の中で古今東西のハッピーなラブソングが一斉鳴り出しても叶わないぐらいの多幸感が身体中を駆け巡り、僕は殆ど笑いながら走り出してしまいたくなった。冷静になって恥ずかしくなるとか、これからどうやって付き合っていこうみたいなことはみじんも思わなかった。突然ミュージカル映画の主人公になったみたいで、あたりかまわず「やあ元気かい」とか話しかけそうな勢いだった。喜びで顔の表情がおかしくなってしまった様な気がして駅のトイレで鏡を見る。にやけた顔の男がそこにいて、口紅で唇がうっすらと紅くなっていた。嬉しくてぬぐわずにそのままにして帰った。

 僕たちはそれからあちらこちらで、最初から一つの生き物だったみたいにいちゃつくようになった。自分たちはそういうタイプではないとぼんやりと思っていたがそうではなかったようだ。完全にどうかしてしまったみたいだった。彼女は所沢に住んでいて、僕は有楽町線沿線だったから直線距離にするとそれほど遠くないのだが、電車となると迂回しないといけないので、なかなか僕の家に彼女が来ることもなかった。その代わりに我々はよく車で遠出した。彼女はよく実家の車が使える平日に迎えに来てくれた。彼女の運転するその青い車で僕たちは広い公園とか河川敷に行き、シートをしいて寝転がって音楽を聴いたり、本を読んだり、空をずっと眺めたり、くっつきあってゴロゴロ転げてお互いの心臓の鼓動を聞きあったりした。大学の帰りに池袋周辺をであるく事も多かったが、僕らは二人だけの世界に浸れる車や自然の中を好んだ。僕の人生でこれほど輝きや喜びに満ちていて幸福な日々はなかった。別にそれまで不幸な人生を歩んできたわけではないが、それから先には今までいろいろとあった。その後の人生でやりきれない時期がくると、僕はこの思い出の明かりを灯台の様にして暗闇の中を進んだ。 

 柳と会うのは実に三か月ぶりだったが、彼はまるで昨日も一緒にあっていたかのように僕に接した。この三か月間ずっとドラムばかり叩いていたらしい。いくつかのバンドに参加しており、三つバンドをかけもちしているという。ドラムを募集しているバンドは多いから、楽器屋やスタジオのメンバー募集で見込みがありそうなものに連絡をして話を聞き、何度か一緒にスタジオに入って今のバンドに絞ったという。僕は柳と会わなかった間殆ど杉元と遊んでいたから、柳に話せるようなトピックはなにもなかった。しかもこれは原宿にデートに行った直後の話で、また僕と錦の関係にも曖昧な所が多かったから、そのことについては触れなかった。
 その後柳とはスタジオに入るまでに二、三回程会って今回の新曲のアレンジを詰めた。ついでに前回までにやった曲のおさらいもした。

 十月の中旬に下準備が終わり、いよいよ三人でスタジオに入った。今度は池袋にあるスタジオだった。その頃には僕と錦は何回か会って、その関係は固定されてきていた。
 結論から言うとそこに前回感じられた様なスパークはなかった。錦の書いてきた曲は前回のよりも更に完成度が高くなっていたし、僕のベースの腕前は殆ど変わらなかったけれども柳のドラミングは格別に良くなっていた。にもかかわらずだ。にもかかわらずそこには前回感じられた様な光るものが無かった。たまたま皆調子が悪かったのかもしれない。いずれにしても期待はずれだった事は確かだった。こういう事はバンドには良くある事だけど、ショックは大きかった。そして「よくなくなってる」というのは不思議な事に言わなくても不思議と共有できるのだった。
 時間が来たのでスタジオを出て、スタジオにあるちょっとした休憩スペースで今日の感想についてすこし話した。次の予定はたてなかった。
 本当はこの練習のあと錦と二人きりでどこかに行きたい気分だったしお互いにそう思っているみたいなアイコンタクトが別れ際にあった。だが我々は池袋で別れて、それぞれの岐路についた。
 帰りの電車の中で僕と柳は何も喋らなかったと思う。とにかく疲れていたし、練習の内容がいまいちだったからか柳は珍しく不機嫌そうな様子だった。我々の最寄り駅につき、別れ際に柳が淡々といった。
「メンバーの中に恋愛関係があるバンドには参加しない。今回だけは知らなかったから叩いたけど。悪いが次はない。またな」
 不意のことだったので僕は何もいえずにただ彼が去っていく背中をみていた。僕はその晩ぐずぐずとした言い訳のメールを書いては消し、最終的にシンプルに謝りのメールを書いて彼に送った。柳からは一言「謝ることはないし、気にしてない」とだけきた。

 話は前後するが大学が再び始まり、文化祭シーズンが始まった。錦は自分の大学の学園祭に出演することになっていた。ただ、彼女はピアノの伴奏担当でメインは友達のボーカルだった。ピアノと歌だけのシンプルな編成で歌をじっくりと聴かせる趣旨だという。「良かったら柳君とみに来て」と言われたから、恐る恐る彼を誘ってみたが、返事は快諾だった。当然同じ時期に僕と柳の大学でも学祭があり、一応僕も自分の大学で軽音に所属していたが、殆ど幽霊部員だったから参加しなかった。聞けば錦の大学のステージに実はStraySheepsもでるという。そういえば石田さんも石崎さんも錦と同じ軽音所属だった。StraySheepsは当時精力的な活動を続けており、徐々に人気が出始めていた。自主制作でミニアルバムも作ってだしており、本格的にレコーディングの話も出ているらしい。以前の僕だったら苦々しく思っていたかもしれない。けれどももう脱退したのは一年近く前の話だったし、錦と一緒にいることでじゅうぶん満たされていたので他の事は全部瑣末なことに思えていて、StraySheepsに対するわだかまりはもうなくなっていた。むしろなんで自分からわざわざやめていってしまったのかと思い返すぐらいだった。別にやめてほしいとも言われてなかったのだ。しかしあの時辞めていなければ錦とこうなることもなかったし、柳と出会うこともなかったかもしれないと思うとこれで良いと思えるのだった。

 文化祭当日は家まで柳を迎えに行き二人で池袋に向かった。あの時の練習以来会っていなかったが特に気まずい雰囲気もなく僕らは相変わらず音楽のことについて適当に話ながら実に気楽な心持ちで会場に向かった。
 会場についてみると錦を始め、藤田さんや石田さんなど、知った面子が塊になって話し込んでいたので声をかけた。
 錦との事もあったからか、思ったよりも皆から熱烈に歓迎されて「侑里ちゃん(錦の事)泣かしたらゆるさん」とか「淡泊なふりしてなかなかやりおるのー」とか言いながら石崎さんや藤田さんに揉みくちゃにされた。錦はそれもみて照れくさそうに笑っていた。石田さんも「ちょっとみないうちにいい顔つきになったね。Power of Loveだね」とか変なことを言っていた。話題を変えたいのもあって「なにかあったんですか」ときいた。
「それがね。侑里ちゃんが一緒にやる予定だったボーカルの子が体調悪くなっちゃって病院いったらインフルエンザだったらしくて。残念だけど予定してたライブは中止で抜けた穴のステージをどうしようかって話をしてたの」石田さんが説明してくれた。錦もとても残念そうだった。
「そういう事なら錦さんが歌えばいいんじゃないですかね」
 柳が言った。

続く。

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