リバーポートソング第二部 第十三話 僕は自分を痛めつけるためだけに定期的にそれを覗いて、たまに「いいね!」したりする。

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ライブはあっという間に終わった。一曲目以降の曲はもっとキャッチーで複雑な曲だったから、錦の凄さや、柳のドラミングの勘の良さが、もっとわかりやすく伝わったと思う。対抗意識も別になかったが、我々は期せずしてStraySheepsが起こした感動を、錦の圧倒的なパフォーマンスで上書きしてしてしまった。その中で自分がどのくらいのパフォーマンスを出来ていたのかは全然わからなかったが、終わったあと、どのくらいの人間が声をかけてくれたかで、自ずとその評価はわかった。僕の所には知り合いしか来なかった。
 だが僕の目標は完全に達成できたといってもよかった。このライブをみていた物は全員、錦がその圧倒的な歌唱でボーカリストとして、そしてMCを通してこれらの曲が自作であることが明かされた事でソングライターとして卓越した存在であることを知ったのだった。また、一部は錦だけでなく、柳の存在にも注目していた。そしてこの時柳に注目していた人は彼が後にドラマーではなく、ギターボーカルとして再登場することで再度驚くことになった。
 ただ僕はこのあと起こる事を全く予想出来ていなかった。予想出来ていたら悩んだ末にこのライブに代打出演することを、全くの利己的な思いから強く反対していたとおもう。恋人としてだけでなく、バンドメイトとしての錦との関係性をもっと深め、彼女の才能に対する世間の賞賛と、自分がもっているものとのギャップの衝撃に十分に備えてから、彼女の存在を世に知らしめようと慎重になっていたと思う。
 ライブ中のMCで錦はこのバンドがもともと予定していたバンドのかわりであることを当然のように説明した。もともと予定していたバンドをみに来てくれた人を目当てで来た人もいたからだ。それだけでなく、このリバーポートソングというバンドの背景まで彼女は説明してしまった。つまりこれはちゃんとしたバンドではなく、錦の曲を形にしてみたいというそれだけの為に好意で僕と柳が協力してくれたという事まで皆に明かしてしまったのだ。彼女はそれによって何が起こるか全く考えもしなかったと思う。彼女はただの親切心から、出演できなかった友達への申し訳なさから、僕と柳に対する感謝から、これらの説明を観客にしたのだった。その結果彼女が「フリー」であることが明らかになると、ライブの終わりから熾烈な勧誘合戦が始まった※①。彼らは話題のバンドがいるからとStraySheepsを敵情視察に来た連中だった。
 彼女はいくつかのバンドに同時に誘われて、そして彼女の性格からか、断り切れずにそのうちのいくつかに参加することになった。そして最悪なことに誘われたバンドのベースに僕がなることを条件とした。彼女からしたらそれは心細さから来るものだったかもしれない。ひょっとしたらそうすることで諦めてもらおうとしたのかもしれない。僕としてはそんなことで僕を利用して欲しくなかった。彼女は否定していたが、僕はベーシストとしてその時点では全然大したことがなく、彼女の力量に釣り合っていなかったから、屈辱的だった。そして更に最悪なことに、僕は錦が勧誘されたバンドでベースをやることを断らなかった。彼女を「発見」したのは自分だというエゴが僕にはあり、彼女が世に羽ばたく瞬間には自分が側にいるべきだという考えに僕は固執していた。また恋人としての独占欲もあったと思う。中にはバンドメイトとして誘っておいて、彼女にしつこく言いよっている奴までいた。当然そんな連中が僕をベーシストとして歓迎してくれるわけもなく、力量の面でも疎んじられたし、もともといたベーシストからはいくつか罵倒の言葉も頂戴した。
 その点、藤田さんは実にしたたかだった。彼にはもともとメソポタミア文明ズに錦が在籍していたというアドバンテージがあったし、錦との付き合いも長かったから彼女の性格も理解していた。それらの即席の勧誘が上手くいかない事をわかっていたのだろう。じっくりと彼は錦を中心としてメソポタミア文明ズの改造計画を水面下ですすめた。結果、錦は、メソポタミア文明ズのメンバーとしてのみの活動に結果的に落ち着き、メソポタミア文明ズは藤田さんが舵をとった上で、錦のボーカルと作曲能力を全面に押し出すバンドになり、ふざけたバンド名も偶然同じ名前のバンドが都内で活動していたこともありSafety Blanketsに変更になった。そしてSafety Blanketsはすぐに絶対安全毛布になった。どうでもいいことだが、それらのバンド名も実は僕がつけた。藤田さんには合宿の時から良くしてもらったし、恩義もある。だが彼が錦を彼のバンドの中心に据えようとしたことだけはどうしても許せなかった。僕は藤田さんも避けるようになり、いよいよ石崎さんや石田さん達の界隈から距離を置くことになった。 
 ただ藤田さんも含めて錦を自らのバンドに勧誘してきた連中にとって完全に誤算だったのは、錦に「有名になりたい」とか「デビューしたい」とかそういう思いが全然なかったことだ。彼女は確かに音楽で食べていけたら素敵だなという大学生らしい仄かな思いを持っていたかもしれない。ただ、同時に他の学生と同じように、自分の将来について「まともな」考えを持っていたし、「安定」「安心」を心から欲していた。
 当然のごとくこれらの状況は僕と錦の関係にひびを入れ始めた。僕は彼女の人気と才能にはっきりと嫉妬するようになった。彼女の行動に対して疑り深くなりはじめた。同時に彼女から「被害妄想的」と言われ続けるぐらい自分を卑下するようになっていった。
 メソポタミア文明ズが最終的に絶対安全毛布になり、錦が勧誘されて参加した最後のバンドが最悪な終わり方をしたころに僕たちは別れた。最後の方は喧嘩していることの方が多かった。僕は比較的穏やかな性格だと思っていた彼女から、いままで人生で投げかけられてきたことがないような罵りの言葉をもらった。二人ともズタズタになった所でもう暫く会わない方が良いという結論になり、どちらともなく別れるという話になった。正直ここら辺の経緯は思い出したくないからか、よく覚えていない。ただ、いくつかの凄惨な場面は残念ながらお気に入りの服の目立つ所についてしまった取れない大きなシミのようにこびりついていて、彼女との楽しい思い出を引っ張り出したときに嫌でも思いだしてしまう。
 ありがたいことにこの後も僕はいくつかの恋愛を経験することになるが、どれも長続きしなかった。相手からすれば僕はいつも上の空で何を考えているかわからないそうだ。誰かほかの人のことが頭の中にあるように見えるとみんながいう。そうかもしれない。僕の心の中には未だに錦が占めているスペースがあるのかもしれない。僕の人生で後にも先にも錦との出会いから別れまでのあの短い間、あれほどロマンティックで幸福な時間はなかった。終わり方も人生で最悪といえるものだったが、不幸なことにこれに勝るとも劣らない最悪な出来事にはその先何度か遭遇することになる。
 そしてありがたくないことに、錦ではなくなった彼女のFacebookは今でも律儀に更新が続いており、そこには幸せな家庭の模様がダイジェストで映し出されている。僕は自分を痛めつけるためだけに定期的にそれを覗いて、たまに「いいね!」したりする。

第二部 絶対安全毛布編 完

W3編に続く。

①フロントマンのお株を奪われると思ったのか、流石に錦の獲得合戦に高岸は参加しなかったが、ドラマーとして柳をStraySheepsに誘ってきた事を後に柳が僕に明かした。

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