時々そのまま錦とずっと一緒にバンド活動を続けていけばどんな未来が待っていたのだろうと考えてどうしようもなくなる時がある。その選択肢も確かにあったはずだ。しかし僕は途中で放り投げてしまったし、錦ではなく、柳を選んだ。
どの道過去を変えることは出来ない。そうだったかもしれない可能性を考えることは辛いことだし、意味のない事だ。しかし、そうとは知りつつも何度も繰り返して考えてしまう。
話を当時に戻そう。錦から是非一緒にやってほしいと返事が来た後、僕はすぐにドラムの話を切り出した。そして石崎さんはどうかという話をした。文明ズのドラムの高山さんはもうじき就職活動で身動きが取れなくなる。しかし2年生の石崎さんならまだまだ活動できるし、錦とは同じ大学、同じサークルなので面識もあるはずだ。
ところが彼女にはもし僕がベースで手伝ってくれるならドラムのアテはあるという。という事で早速スケジュールの合間をぬってスタジオに入ることを決め、僕たちは新しいバンドに向けて動き出したのだった。
一方で、すとれいしーぷすの練習も追い込みに入っていた。オーディションライブ直前の練習でかなりの手応えを僕らは感じていた。バンドは今までにない領域に突入していた気がしていた。それは今から考えてみるとまだまだ稚拙で未熟だったが、当時の僕らは何かしらの上り調子の途上にいるのだという強い確信を得ていた。少なくとも僕はそうだった。だから高岸が僕のギタープレイに不満を感じていたなんて事は全く気づいていたなかった。もちろん僕は自分のプレイや作曲、編曲能力が他のメンバーと比べて劣っている事ぐらいは気づいていたし、自分でもかなり気にしていた。だから僕はすんなりやめる事ができたのだ。だが、バンド自体の調子は良かったのでそれは自分が思うほど問題ではないと思っていた。
下北沢は学生とサブカルチャーの街だ。東京の都心付近では珍しく高い建物が無い街で見上げるとそこに空を見る事ができる街でもある。小さな店が沢山並んでおり、それらの殆どが生活に必ずしも必要でないもの、けれど特定の人々には無しでは生きていて無いものを売っていた。そしてそこには音楽もあった。有名無名含め沢山のライブハウスがその小さな区域に点在していた。今でもそうなのかはわからない。もう十年近く下北沢には近づいていない。
我々が昼間のオーディションライブを受けるのは下北沢駅から少し離れ、ディスクユニオンの近くにある地下のライブハウスだった。十分な練習を繰り返した我々は結構リラックスしたムードで本番を迎えた。昼間のオーディションライブは実に気楽なムードで5、6バンドぐらいが3、4曲ぐらいやって引き上げる簡単なものだった。どんなバンドが出ていたか正直覚えていない。1バンドだけ#①ゴイステが好きなんだろうって言う高校生バンドがめちゃくちゃ下手くそだけど熱のこもった演奏をしていた。正直音ははちゃめちゃだったが思いは伝わってきたので僕は好きだったし、今でも覚えている。
たいした告知はしなかったが、我々の知り合いも5、6人見にきてくれていて、終わった後にみんなで遅い昼食をとったと思う。下北沢でこれだけの人数が一度に入れる場所を探すのはなかなか骨が折れるはずだったが結局どうなったのかは覚えていない。帰りにディスクユニオンでCDを何枚か買って家路に着いた。あれだけ練習した割にはすとれい しいぷすの初ライブはあっさりと密かに終わった。この日は分からなかったが、我々は一応オーディションに合格し、平日の夜の部に出れることになった。そしてある程度の手応えを感じた我々はまた一月後に他のライブハウスでのライブを一本入れた。それが我々の本格的なデビューとなり、僕のすとれいしーぷすでの最後のライブになった。
夏休みが終わって大学が始まる直前に例の錦のバンドの顔合わせがあり、僕たちは渋谷に集まった。これは錦の実家が京王線沿いにあり、もう1人のメンバーの実家が東急線沿いにあるからだった。
僕たちはモヤイ像前で待ち合わせする事になった。僕は田舎者だったのでモヤイ像なんて知らなかった。ハチ公前でいいじゃないかと思っていた。けどそれはもう1人のメンバー小木戸えりが※②ブルーハーツが好きだからという理由だった。
モヤイ像を探すのに時間がかかったので、約束の時間ギリギリに着くとそこにもう2人とも着いていた。小木戸えりはベリーショートで髪を明るめの茶色に染めており、まだ少し暑いぐらいの季節なのにTシャツの上にレザージャケットを羽織り、あとはジーンズとスニーカーという恰好だった。スネアドラムとペダルを入れたケースを折り畳み式のカートに載せて錦と待っていたからすぐに彼女が例のドラマーだと直ぐにわかった。錦が軽くお互いを自己紹介してくれると小木戸は手を差し伸べて握手を求めてきた。握手を求められた事なんてもしかしたら初めてかもしれない。女の子の手を握るのも一年振りぐらいだった。パンキッシュなファッションとは裏腹にとても柔らかな手だった。
僕たちはセンター街方面のファミレスに入った。昼ちょっと前だったのであまり並ばずに入れたと思う。錦も僕も会話をリードするタイプでは無い。小木戸が会話をリードしていた。
小木戸と錦の2人は高校の同級生で、都心の女子高に通っていたらしい。2人はその高校がとにかく嫌いだったという事で一致していた。
ひとしきり2人の思い出話を聞いたところで僕は言った。
「小木戸さんはどんな音楽すきなの?」
「そうだね。やっぱりロックとかパンクかな。侑里はソウルとかR&Bとか好きだけど、私は見ての通り」
「パンクってピストルズとかクラッシュとか?」
「二つとも好きだけど私はストラングラーズとダムドが好き」
ストラングラーズは有名な曲一曲ぐらいしか知らないと言ったらCDを貸してくれることになった。
「最近のだとリバティーンズとストロークス!」
今でこそリバティーンズもストロークスもそれなりに聴くが当時は二つとも嫌いなバンドだった。ストロークスは「モダン・エイジ」がベルベット・アンダーグラウンドの焼き直しみたいで嫌いだったし、リバティーンズはよく聴きもしないのにガチャガチャうるさいだけだと思っていた。ストロークスはメンバーのソロを聴いてから、リバティーンズはandymori 経由でちゃんと聴き直し、2ndアルバムの一曲目でノックアウトされてから好きになった。
そんなわけでそこから特に会話が広がるわけでもなかった。それよりも小木戸は実は哲学を勉強していて、本を沢山読むという事で盛り上がった。僕もそれなりに小説などが好きだったからだ。
食べ終わった所でやっとバンドの話になった。錦は自分の曲を三曲スタジオで弾きがたりしたものを録音して、CD-Rに焼いて持ってきてくれていた。同時にコード進行を書いた簡単な紙もくれた。僕たちは各々のCDプレーヤーでその曲を聴いた。前に中村佳穂みたいと書いたが、当時は中村佳穂は影も形も無かったから、僕はaiko と矢野顕子とビョークを足して3で割ったような音楽性だと思った。aiko みたいな割と複雑で時にブルージーなメロとコード進行で、矢野顕子みたいな「怖い」歌詞、そしてその熱量はビョークだった。わからない。僕は当時の思い出を美化し、印象を誇張しているのかもしれない。だが、当時は恐ろしい才能だと思っていた。コレにバンド演奏は蛇足ではないかと思い始めていた。
※①ゴイステはバンドGoing Steadyの略称。バズコックスのコンピレーションアルバム『Singles Going Steady』からとられた。メンバーは後に銀杏BOYZを結成。