リバーポートソング 第十三話 そうだったかもしれない可能性を考えることは辛いことだし、意味のない事だ。しかし、そうとは知りつつも何度も繰り返して考えてしまう。

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 時々この時からそのまま錦とずっと一緒にバンド活動を続けていけばどんな未来が待っていたのだろうと考えてどうしようもなくなる時がある。その選択肢も確かにあったはずだ。しかし僕は途中で放り投げてしまった。
 どの道過去を変えることは出来ない。そうだったかもしれない可能性を考えることは辛いことだし、意味のない事だ。しかし、そうとは知りつつも何度も繰り返して考えてしまう。
 話を当時に戻そう。錦から是非一緒にやってほしいと返事が来た後、僕はすぐにドラムの話を切り出した。そして石崎さんはどうかという話をした。文明ズのドラムの高山さんはもうじき就職活動で身動きが取れなくなる。しかし2年生の石崎さんならまだまだ活動できるし、錦とは同じ大学、同じサークルなので面識もあるはずだ。
 ところが彼女にはもし僕がベースで手伝ってくれるならドラムのアテはあるという。という事で早速スケジュールの合間をぬってスタジオに入ることを決め、僕たちは新しいバンドに向けて動き出したのだった。
 一方で、すとれいしーぷすの練習も追い込みに入っていた。オーディションライブ直前の練習でかなりの手応えを僕らは感じていた。バンドは今までにない領域に突入していた気がしていた。それは今から考えてみるとまだまだ稚拙で未熟だったが、当時の僕らは何かしらの上り調子の途上にいるのだという強い確信を得ていた。少なくとも僕はそうだった。だから高岸が僕のギタープレイに不満を感じていたなんて事は全く気づいていたなかった。もちろん僕は自分のプレイや作曲、編曲能力が他のメンバーと比べて劣っている事ぐらいは気づいていたし、自分でもかなり気にしていた。だから僕はすんなりやめる事ができたのだ。だが、バンド自体の調子は良かったのでそれは自分が思うほど問題ではないと思っていた。
 下北沢は学生とサブカルチャーの街だ。東京の都心付近では珍しく高い建物が無い街で見上げるとそこに空を見る事ができる街でもある。小さな店が沢山並んでおり、それらの殆どが生活に必ずしも必要でないもの、けれど特定の人々には無しでは生きていて無いものを売っていた。そしてそこには音楽もあった。有名無名含め沢山のライブハウスがその小さな区域に点在していた。今でもそうなのかはわからない。もう十年近く下北沢には近づいていない。
 我々が昼間のオーディションライブを受けるのは下北沢駅から少し離れ、ディスクユニオンの近くにある地下のライブハウスだった。十分な練習を繰り返した我々は結構リラックスしたムードで本番を迎えた。昼間のオーディションライブは実に気楽なムードで5、6バンドぐらいが3、4曲ぐらいやって引き上げる簡単なものだった。どんなバンドが出ていたか正直覚えていない。1バンドだけ#①ゴイステが好きなんだろうって言う高校生バンドがめちゃくちゃ下手くそだけど熱のこもった演奏をしていた。正直音ははちゃめちゃだったが思いは伝わってきたので僕は好きだったし、今でも覚えている。
 たいした告知はしなかったが、我々の知り合いも五、六人見にきてくれていて、終わった後にみんなで遅い昼食をとったと思う。下北沢でこれだけの人数が一度に入れる場所を探すのはなかなか骨が折れるはずだったが結局どうなったのかは覚えていない。帰りにディスクユニオンでCDを何枚か買って家路に着いた。あれだけ練習した割にはすとれいしーぷすの初ライブはあっさりと密かに終わった。この日は分からなかったが、我々は一応オーディションに合格し、平日の夜の部に出れることになった。そしてある程度の手応えを感じた我々はまた一月後に他のライブハウスでのライブを一本入れた。それが我々の本格的なデビューとなり、同時に僕のすとれいしーぷすでの最後のライブになった。 

 夏休みが終わって大学が始まる直前に例の錦のバンドの顔合わせがあり、僕たちは渋谷に集まった。これは錦の実家が京王線沿いにあり、もう1人のメンバーの実家が東急線沿いにあるからだった。僕たちはモヤイ像前で待ち合わせする事になった。僕は田舎者だったのでモヤイ像なんて知らなかったしモアイ像の言い間違いだと思った。ハチ公前でいいじゃないかと思っていた。けどそれはもう1人のメンバー小木戸えりが※②ブルーハーツが好きだからという理由だった。
 モヤイ像を探すのに時間がかかったので、約束の時間ギリギリに着くとそこにもう2人とも着いていた。小木戸えりはベリーショートで髪を明るめの茶色に染めており、まだ少し暑いぐらいの季節なのにTシャツの上にレザージャケットを羽織り、あとはジーンズとスニーカーという恰好だった。スネアドラムとペダルを入れたケースを折り畳み式のカートに載せて錦と待っていたからすぐに彼女が例のドラマーだと直ぐにわかった。錦が軽くお互いを自己紹介してくれると小木戸は手を差し伸べて握手を求めてきた。握手を求められた事なんてもしかしたら初めてかもしれない。女の子の手を握るのも一年振りぐらいだった。パンキッシュなファッションとは裏腹にとても柔らかな手だった。
 僕たちはセンター街方面のファミレスに入った。昼ちょっと前だったのであまり並ばずに入れたと思う。錦も僕も会話をリードするタイプでは無い。小木戸が会話をリードしていた。小木戸と錦は高校の同級生で、都心の女子高に通っていたらしい。その高校がとにかく嫌いだったという事で二人の意見は一致していた。ひとしきり二人の思い出話を聞いたところで僕は言った。
「小木戸さんはどんな音楽すきなの?」
「そうだね。やっぱりロックとかパンクかな。侑里はソウルとかR&Bとかテクノが好きだけど、私は見ての通り」
「パンクってピストルズとかクラッシュとか?」
「もちろん好きだけど私はストラングラーズとダムドが好き」
ストラングラーズは有名な曲一曲ぐらいしか知らないと言ったらCDを貸してくれることになった。
「最近のだとリバティーンズとストロークス!」
今でこそリバティーンズもストロークスもそれなりに聴くが当時は二つとも嫌いなバンドだった。ストロークスは「モダン・エイジ」がベルベット・アンダーグラウンドの焼き直しみたいで嫌いだったし、リバティーンズはよく聴きもしないのにガチャガチャうるさいだけだと思っていた。ストロークスはメンバーのソロを聴いてから、リバティーンズはandymori 経由でちゃんと聴き直し、2ndアルバムの一曲目でノックアウトされてから好きになった。
 そんなわけでそこから特に会話が広がるわけでもなかった。それよりも小木戸は実は哲学を勉強していて、本を沢山読むという事で盛り上がった。僕もそれなりに小説などが好きだったからだ。
 食べ終わった所でやっとバンドの話になった。錦は自分の曲を三曲スタジオで弾きがたりしたものを録音して、CD-Rに焼いて持ってきてくれていた。同時にコード進行を書いた簡単な紙もくれた。僕たちは各々のCDプレーヤーでその曲を聴いた。前に中村佳穂みたいと書いたが、当時は中村佳穂は影も形も無かったから、僕はaiko と矢野顕子とビョークを足して3で割ったような音楽性だと思った。aiko みたいな割と複雑で時にブルージーなメロとコード進行で、矢野顕子みたいな「怖い」歌詞、そしてその熱量はビョークだった。わからない。僕は当時の思い出を美化し、印象を誇張しているのかもしれない。だが、当時は恐ろしい才能だと思っていたし、そのままでも十分成立していたから、この音源にバンド演奏は蛇足ではないかとすら思い始めていた。
 パンクが好きというからには、小木戸えりのドラミングはやぶれかぶれで勢いがあるものだと思っていたが、実際スタジオに入ってみると、思いの外タイトでしかも勢いもあるドラミングだった。正直タイトさで言えばザッキーさんより上だった。でもそのタイトさが錦と微妙に相性が悪いかもしれないと感じた。
 僕のベースはお話にならなかった。ギタリストがベース弾いてますぐらいの腕前という事もあったが、コードの移り変わりの割と激し目な錦の曲について行くのが精一杯だった。次回までにかなり練習が必要だと思った。次があればだが……。
 今回は顔合わせがメインだったから軽く合わせた僕たちはすぐに解散してそれぞれの帰路についた。僕は重いベースを背負いながら渋谷のレコファンに足を運び、そこでリプレイスメンツの『ティム』を買った。

 九月ももうすぐ終わろうという時期になり大学が始まった。夏休みが始まる前までは僕は高岸と頻繁に会っていた。それが嘘かのようにこの頃には高岸と顔をあわせる事もなくなっていた。それはすとれいしーぷすの曲が定まってきてもう頻繁に打ち合わせする必要もなくなり、後はライブに向けて個人が練習をすると言う段階に入っていったのもある。だが正直言ってこの頃には高岸となんとなく距離みたいなものを感じていた。その正体の一つがハッキリしたのは、大学が再開してから二三日経って高岸に呼び出されたときのことだった。
 奴は学食で先に僕のことを待っているとのことだった。到着すると見知らぬ三人ぐらいの女子と談笑をしていた。出会った頃は高岸の交友関係なんて片手で数えるぐらいで、大体どんな面子かもわかっていた。しかしこの頃には彼の周りには僕の知らない人間ばかりがたむろしていた。
 僕が到着しても彼女たちは暫く離れる様子は無く、五分ほど経ってやっと彼女達が消え、ようやく高岸と会話することが出来た。僕の不機嫌な顔つきを見て察したのか、高岸は少し謝ると話を始めた。「実は話しておかなきゃならない事があってさ」
「なんだよ、怖いな」
高岸は少し笑って「別に怖くないよ。実はな」
「うん」
「石田さんと付き合ってるんだ」
なんとなくそんな感じはしていた。そんな空気が合宿あたりからあった。というか実は最初からこうなる予感があった。石田さんをバンドに引き入れようという話があった時から僕らの関係はもう同じではいられないと思った。というわけで意外性も薄く、覚悟もあった。しかし、やはりショックはショックだった。自分でもなんでそんなにショックだったのかはこの時はよくわからなかった。
「いつからだ」
そう聞くと高岸はちょっと悲しいような困ったような顔をしていった。
「合宿のちょっと前ぐらいから」
 そのあとどんな話をしたのか本当に覚えていない。2人とも暫く無言でいたと思う。それはなんだか不自然でよくわからない時間の流れだった。高岸の顔をじっと見てみる。鋭い眼差しからは自身や決意のようなものが伝わってくる。髪型はラフな様でよく計算されてる自然なかっこよさがあった。そこには出会った頃の野暮ったさも、すぐにずれてしまうメガネも無かった。Weezerの1stアルバムのジャケットよりはブラーのメンバーに収まった方がしっくりくるいでたちだった。
「よかったな」とか「じゃ次の練習で」とか気のないやりとりで僕らは別れた。
 僕はその日、なんとなく新宿区から埼玉と板橋区の境にある家まで、3時間ぐらいかけて歩いて帰った。

 十月。二回目のすとれいしーぷすのライブは吉祥寺だった。この間の下北沢のオーディションライブとは違い、この時は集客に力を入れた。メソポタミア文明ズのメンバーも全員きてくれるみたいで、錦は小木戸も連れてくると言っていた。成戸もカメラを持ってきてくれるということだった。僕は以前ライブに来ると約束してくれた高良くんを呼んだ。
 その時にはエーテルワイズは正式に解散していて、彼らの固定ファンは新生エーテルワイズのお目見えという事でそれなりの人数が集まった。チケットの売り上げが出演料を超えたので僕と高岸は初めてバンドとしてお金を稼ぐことができた。エーテルワイズの評判のおかげだった。という事でエーテルワイズ時代のファンを納得させなきゃいけないというプレッシャーが少なからずあった。彼らの目当ては石田さんと石崎さんで、エーテルワイズのテイストだった。僕らは品定めされる立場にあった。前回の下北のライブでは完全新曲だったが、この時はエーテルワイズの代表曲を二曲入れた。一曲目が石田高岸共作曲で、二曲目がエーテルワイズ曲、三曲目が僕の「West Side Story」で、四曲目がエーテルワイズの曲で、ラストがすとれいしーぷすで一番自信があるナンバーだった。
 「West Side Story」は完全に石田さんメインボーカルで僕がコーラスの曲になり、かなりのテコ入れをした結果なかなかの曲に仕上がった。唯一石田さんが作曲に関わってない曲でもあるため、異なるテイストを提示できるという意味で、セットリストの起承転結の転を作るのに恰好の一曲になった。正直プレイ面では大した力になれていないので、多少なりともバンドに貢献できるのが嬉しかった。
 前回のライブまでで新曲は大体固まったので、今回のライブまでの練習ではエーテルワイズの曲をどうすとれいしーぷすとしてアレンジするか、を重点的に取り組んできた。エーテルワイズ時代はポップなテイストが強かったので、ポップさを残しつつも攻撃的な要素を取り入れて、かなり中毒性の高いナンバーに仕上げることができた。最後の練習の頃には早くライブしたくてみんなうずうずしていた。その時は高岸が石田さんとの交際を明らかにした後で、多少の気まずさはあったが、いざ練習が始まるとそんな事はどうでも良くなるぐらい練習は熱の入ったものになった。
 その日の出演は四バンドで、我々の出番は最初だった。ステージ上で準備をしていると、チラホラと知ってる顔が暗がりの中に見え、緊張が高まる。正直言ってライブ中のことはよく覚えていない事の方が多い。この日のこともよく思い出せない。※③しかしお客さんが盛り上がってくれたこと、反応が上々だったことはよく覚えている。
 演奏が終わって片付けをしていると何人かがステージまで来てくれて褒めてくれていた。大抵は知り合いだったけど嬉しかった。石田さんの所には特に多く人が集まっていた。高岸の周りにも人は多かった。僕のところには成戸と錦、高良くんが来てくれて、照れ臭くてわざと忙しそうに機材の片付けをしている僕に、手を振ったり、声をかけてくれていた。ステージから捌ける時に高良くんは面識がないはずの成戸と二人で話をしていた。コミュニケーションのお化けたちだ。
 控え室に戻ると、我々はライブが成功したことをとりあえず祝福した。客席に戻ると既に次のバンドが始まっていた。彼等はインストメインの※④ポストロックバンドだった。アメリカン・フットボールとモグワイを足して四ぐらいで割った様なバンドだった。二バンド目が終わって静かになると僕たちは知り合い同士で固まって色々とライブの感想を言い合ったりした。そこに話しかけに来てくれたのが花田さんだった。

第十四話に続く

※①ゴイステはバンドGoing Steadyの略称。バズコックスのコンピレーションアルバム『Singles Going Steady』からとられた。メンバーは後に銀杏BOYZを結成。

※②THE BLUE HEARTSのシングル「ブルーハーツのテーマ」のCDジャケットの写真はモヤイ像前で撮影された。

※③不思議なことに自分がダメだと思ったライブをめちゃくちゃ褒められたり、逆に今日は凄い演奏ができた、という時に反応が悪かったりして、一致することは少ない。この時は数少ない例外だった。

※④2004年当時、ナンバーガールを下敷きにしたバンドも相当多かったが、ポストロックバンドもかなり多かった。僕は歌詞を書くのに非常に苦労したので、ポストロックバンドが多い理由は、歌詞を書かなくても良いから、という穿った見方をしていた。

第十四話に続く

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