リバーポートソング 第十話 僕の周りは当時は笑顔であふれていたような気がする。笑っていないのはいつも僕だけだった。

【第九話はここから】

【あらすじと今までのお話一覧】

 実家の滞在中に特にすることはなかった。昔は夢中になって通っていた地元のCD屋も、東京のCD屋を見た後では色あせてしまっていた。ブックオフや中古屋も覗いてみたが、特に面白いものも見つけられなかった。帰郷していた地元の友達にあったり、家で東京に持っていかなかった安いアコースティックギターを弾いたり、漫画を読んだりしてだらだらと過ごし、三日目ぐらいにはもう東京に戻りたくなっていた。その日の晩に明日の朝に帰ると伝えた。両親が残念がっているのがわかったが僕は気にしていなかった。部屋で軽く荷造りしていると親父が訪ねてきた。
「鈍行列車で帰るのか? ※①『深夜特急』みたいだな」「ん、そうだけど、なにそれ、映画?」「沢木耕太郎の小説だよ。面白いぞ、貸すから帰りの電車で読んでみたらどうだ」親父は音楽はそこそこだが、かなりの本の虫で、僕が結構本を読むのも親父の影響だった。※②サリンジャーの『ライ麦』も村上春樹も親父の本棚から拝借して読んでいた。「いいよ、コレ読むから」と言って僕はその日に近所の本屋で買った『罪と罰』の下巻をひらひらさせた。そうすると案の定かなり食いついてきて長くなりそうだったので、準備があるからと言って適当に追い返してしまった。
 結局『深夜特急』を読んだのは二年前に親父が亡くなった後だった。あの時『深夜特急』を借りていればよかった、ドストエフスキーの話をじっくりとすれば良かった。結局そんな機会は二度と訪れなかった。人生はそういう後悔であふれている。あふれすぎている。
 次の日の朝早く僕はまるで高校に行ってくるぐらいのノリで早々にうちを出た。青森駅まで送って行くと言ってくれていたが、無理矢理断ってバスに乗って上京したことで自分の中で昔よりも小さくなってしまった青森の街並みを見ながら駅まで向かった。なるべく違う景色を見たいと思ったので帰りは秋田経由で行くことにした。一日で東京の下宿までたどり着くのは不可能だから、福島県の郡山を1日目のゴールにして、郡山の漫画喫茶で一泊した。よせばいいのに漫画を読み始めてしまい、結局寝たのは二時間程度だった。案の定二日目は車中で殆ど寝ていて、ボロボロになりながら下宿に転がり込み、シャワーもせずに寝てしまった。世間はお盆で浮き足立っており、合宿は十日後に迫っていた。
 合宿まで僕はバイトも入れず、なんとか一曲だけでも合宿に間に合わせようと曲作りに取り組んでいた。実は、例の高岸に組み立ててもらって何とか曲にしてもらったもの以外にもいくつか曲のアイデアの断片があって、それらを組み合わせて何とか一曲できそうだったのだ。その状態には夏休み前までにはなっていて、あとは歌詞を作ってアレンジを考えるだけで、アレンジは仙台、青森旅行前に大体頭の中で出来上がっていた。しかし問題は歌詞で、これがまったく思いつかなくてその曲は頓挫していた。思えばこの時点で高岸か、石田さんに作詞の教えを乞うか、作詞自体を依頼してしまえば良かった。けれどもちっぽけなプライドが邪魔してそれができなかった。いや、そもそもそんな発想自体がなかったのだとおもう。とにかく自力で何とかしようと躍起になっていた。
 しかし、夏までのバイト中に無理矢理書き出した言葉の羅列と、鈍行電車の旅の中で戯れに書いていたいくつかのイメージをつなぎ合わせてようやく歌詞らしきものが完成した。それが「West Side Story」という曲だった。曲がりなりにも一曲できたので僕は満足して、あとは合宿までギターを練習して過ごすことにした。
 お盆があけるとサボっていた自動車教習所にまた通い始めた。夏休み前から入校していたのだが、覚える事も多く、車も別に好きではなかったから、なんとなく二週間、三週間と間隔が空いてしまって、テストが終わってからは一度もいってなかった。しかし、今回の帰郷ツアーで旅と道路への欲望を掻き立てられた僕は前よりもかなり前向きに免許取得に取り組もうと思っていた。
 教習所へは最寄りの駅からありがたいことに送迎バスが出ていて、それに乗り込めば楽に教習所まで通えるのだが、大学の帰りに寄れないとか、結局一日仕事になるとかでそれまでいけなかったのもあると思う。時間のある夏休み中に何とかものにしたかった。しかしバイク体験でモチベーションがあがってはいたものの実際の教習が始まると実にげんなりすることの連続だった。当然間隔を開けていた僕が悪いのだか、前回までやっていた事を忘れるわ、自分の運転の下手さとどんくささに嫌気がさすわで、久々の教習を連続でいれたことを後悔し始めていた。それに比べると座学の時間は実に楽だった。ただ、交通ルールについて黙って話を聞いていればよい。勉強はそれなりに得意なほうだったし、実習より苦痛ではなかった。座学二コマに、実習二コマでどっと疲れてしまい、専用の端末で次回の教習の予約をするのだが、次回は合宿が終わってからにすることにした。本当は空きがあったら明日も入れてやるぐらいのことはおもっていたんだけれども。
 予約が終わってさあ帰ろうとすると肩をたたかれ、※③振り返るとそこに知った顔があった。英語のクラスで一緒の成戸由紀なりと ゆきだった。
「成戸じゃん。なにしてんの」
「間抜けな質問だね、免許取りにきてるにきまってんじゃん」と言って彼女は笑った。僕の周りは当時は笑顔であふれていたような気がする。笑っていないのはいつも僕だけだった。
 成戸由紀とは必修の英語の授業でたまたま隣に居合わせて話すようになった。彼女との出会いは本当に偶然でしかない。僕はその日たまたま池袋で買ったサニーデイ・サービスの『MUGEN』というアルバムを授業の前に開封して眺めていたところに、偶然隣に座っていた成戸が反応した事からちょくちょく話すようになった。成戸は積極的で社交的な性格で、僕だったらとなりに座っていた人がたとえ自分の※④大好きなCDを広げていたとしても話しかけないだろうし、たとえその日話しかけたとしても、次会った時には軽く会釈するぐらいで、二、三ヵ月するころには会釈すらなくなり、やがて忘れてしまうだろう。ところが成戸は翌週の授業でも僕に話しかけてくれて、CDをかしてくれた、それが※⑤Spangle call Lilli lineの『Spangle call Lilli line』だった。成戸の趣味は音楽ではなくメインはカメラでいつもNikonのカメラを携帯しており、恥ずかしかったが何回か僕も写真を撮られた。しかし撮られた写真を見てみると確かにそれは見過ごされがちだけど大切な一瞬を切り取ってとらえたような、優れた肖像画に見られるような何かがあったから、成戸は写真家としてもそれなりにすごいやつだったのかもしれない。音楽の話に戻ると成戸は当時は僕の周りでは珍しい殆ど邦楽しか聴かない音楽ファンだった。Number GirlやFlipper’s Guitarが好きで、その点気が合った。フィッシュマンズを教えてくれたのも彼女だった。彼女が一番好きだったのはサニーデイ・サービスとフィッシュマンズだった。洋楽はパルプとブラーしか聴かないと言っていた。でもオアシスの『モーニング・グローリー』は大好きと言っていた。おかしなやつだ。
 成戸に誘われて教習所の近くのファミレスに入った。大学の四年間で僕は一生分のファミレスに入った気がする。成戸はいつもは帽子をかぶっていることが多く、ニットやベレー帽を好んでいたが、その日は珍しく無帽だったし、カメラも持っていなかったし、大抵髪をまとめていたのだが、髪をおろしていた。話しかけられなければ気づかなったかもしれない。大学生の集団が入って来て、「なんでこんな冴えない奴が女と二人でファミレスきてんのに俺らはヤローの集まりなんだ」的な視線を投げかけて来た。オレもほんとにそう思う。だがこれが現実だ。悪いなボウズ。
 僕よりも後から入校したのに既に成戸は仮免一歩手前まで来ていた。周りには要領がいい人間ばかりで嫌になりそうだ。「仮免の問題出しっこしようよ」まだ五コマぐらいしか受けていないから断ったのだが、無理やり付き合うはめになった。でも結果的にはここで色々問題を出し合うことでかなり仮免の筆記テストには役にたった。一通り問題を出し合うと、お盆や夏休み、これまで何をしてたかなどの話をした。成戸は実家がある名古屋に帰省していたという。その流れで僕も帰省の旅とそしてバンド合宿の話をした。
「ねぇ。そのバンド合宿に私も参加していい?」
「まじで? 合宿明後日だよ。宿の予約もあるし、車の人数あわせもある、何より知らない奴ばっかだよ。いいの」
「いい、いい。だってあんたも半分知らない人なんでしょ。そういう会じゃん」
確かにメソポタミア人の知り合いは僕にはいない。
「お願い! 人を撮る練習したいの! バンド好きだし、バンドの写真撮りたいし。後で写真撮っといてよかったって思うよ絶対。なんなら御目当ての娘の写真もとりますぜ、旦那」
「そんな人いねーよ。これでも真面目な合宿なんだぞ」
 諦めるどころかますます顔を輝かせて「私だって無理なら無理でスッと諦めるし、聞いてみてよ」と成戸は食い下がった。確かに成戸なら僕と違ってすぐにみんなに打ち解けるだろうし、高岸はともかく年長組ならあっさりOKしてくれそうだった。という事で結局は僕が折れて石崎さんにその場で電話する事になった。「(石崎さんが電話に)出なかったら諦めろよ」とかけながら成戸に言ったが、待ってたかのようにすぐに石崎さんは電話に出た。事情を説明すると「そういう事なら一肌脱ぐよ。しかし君も淡白に見えてなかなかやるね」と、そのニヤケ顔が想像できるようなトーンで言った。めんどくさいので訂正しなかったが絶対何か勘違いしている。「ちょっと待ってくれ」といって石崎さんは電話を切った。成戸は何も言わなかったが「ほらね」って顔をしている。十五分ほど待って石崎さんから電話がかかってきて成戸は合宿に参加する事になった。僕が左手でOKサインをだすと「かわって」と言って成戸に電話を奪われた、僕はその後十分間コミュニケーション能力が高い人たち同士の会話の断片を聞いていた。
 店を出るとあたりは暗くなりはじめていて、教習所からそれぞれの方面に向かうバスがなくなりそうな時間だった。二人とも方向は別々で、僕のが先にきた。
「合宿たのしみだね」
「成戸の行動力には驚いたよ。じゃあまた」
「いい加減その『なりと』ってのやめてくんない、苗字気に入ってないから。由紀でいいよ」
「わかったよ」と僕は言ってバスに乗り込んだが、男が「わかったよ」って女性に即答するとき、全然わかっていない場合が多い。この時もそうだった。
 合宿当日。高田馬場に着くと高岸も成戸も来ていて二人で何かを話していた。ギターを担いでいた高岸を見て成戸が声をかけたらしかった。高岸はまた服装が少しお洒落になっていた気がした。とぼとぼと歩いてくる僕を成戸が見つけて早速写真に撮っていた。
「フィルム勿体ないからやめやめ」
「残念でした。※⑥デジタル一眼だからヘーキです」
 八時五分過ぎぐらいに石崎さんと石田さんが車でやってきた。確か黒のホンダ、オデッセイだったと思う。「共用だけど姉貴が地元でメインで使ってる車だから、何かあったら姉貴に何されるかわからん」らしい。成戸が自己紹介してあっという間に二人と打ち解けていた。その間チラチラと石崎さんがニヤニヤとこっちを見ている。早速みんなで記念撮影があった。僕は写真を取られるのが苦手だったけど旅行でワクワクする気持ちがあったから悪い気はしなかった。
 石崎さんが車に乗り込む時に「やるな」と一言。石崎さんは良い人で好きだったが、こういうノリに僕はついていけない時があった。僕は無視して車の三列目、みんなの荷物がうず高く積んである隣に早々と乗り込んだ。運転席は石崎さんで、助手席は石田さん。その後ろに成戸でその隣が高岸になった。自分から進んでそこに落ち着いたとはいえ、みんなが本当に前の方で楽しげにしているのはなかなか寂しくもあった。同時に後ろの席で静かに物思いにふけりたい気持ちもあった。
 さて、旅行の準備で1番大事なのは何か? ※⑦前にも言ったけど音楽好きにとってはどのアルバムをお供にするか、である。今回はバンド練習のリファレンス用CDと車内用のCDと二つの用途を加味して選ばなければならない為、なかなか骨が折れた。特に成戸の参加によって車内用には成戸が知ってそうな物を選ぶという縛りも出てきてしまったから、選ぶのに結構時間がかかってしまい、出発の日は寝不足だった。車内は最初は高田馬場まで石田さんが(多分)無理やりかけたロキシー・ミュージックだったが、今は成戸を考慮し、僕が持ってきたサニーデイ・サービスの『Best Sky』がかかっている。
 いつもは電車で通っていたり、徒歩で歩いている場所を車中から見るとまた別の印象を受ける。車から見る東京の街並みと、駅と駅の間の点と線がつながっていくのが面白かった。東名高速に乗り、途中※⑧サービスエリアによって小田原駅には十時ちょっと前に着いた。メソポタミア文明ズの面々とは十時半に小田原で待ち合わせの予定だった。横浜方面に住んでいるメンバーをピックアップしてから来るということらしい。ところが僕たちは早く来すぎてしまったので、石崎さん以外のメンバーはその辺を探索する事になった。
 僕以外の三人は小田原城周辺を散策、僕は駅舎に入ってみたり周辺を探索したりした。この後僕は何度も小田原駅を利用する事になるが、この時の経験のせいか、いつもこの駅からは旅やドラマの始まりを感じて胸がいっぱいになってしまう。駅舎を通って反対側のロータリーに出るとそこは小田原のメインの素朴な街並みが広がっていて、適度な都会感と観光地的な雰囲気が混ざり合っていてとても好感が持てた。街並みを更に奥に進んでいくとTaharaと言う初めて見るCDのチェーン店がビルの中にあり、物色しようと中を覗くも、十時半まで後五分ぐらいになってしまっていたので、急いで駅の方向へと戻っていった。
 ロータリーに着くともうみんな揃っていて、自己紹介っぽい感じになっていた。「メソポタミア文明ズ」は男女混合の四人組バンドで石田さん、石崎さんと同じ大学の軽音サークルのメンバーが主だった。リーダーは藤田さんという大柄の男でメガネをかけて髭を生やしており、遠くから見るとまるで熊がいるように見えた。彼はベーシストで文明ズのバンドリーダーでたまに自作曲も作っていたみたいだった。藤田さんは石崎さん曰く「何年大学にいるのかわからない」人らしく、本人も「何年生か忘れた」と言って豪快に笑っていた。次に紹介されたのが高山さんという三年生の女性ドラマーで、ドラムとボーカルを兼ねていた。痩せ型でスラっとしていてオレンジ色のフレームの眼鏡をかけ、髪をまとめてハーフアップにしていた。話し方がとても柔らかで印象的な人だった。深川さんという男性がギタリストで、彼は中肉中背だったがめちゃくちゃ色白で、石崎さんに「コイツ生命力無さそうだろ?」とか言ってめちゃくちゃないじられ方をしていた。でもそう見えたので思わず笑ってしまった。石崎さんと深川さんは同じ二年生で、めちゃくちゃ仲が良さそうに見えたので石崎さんに親しみを感じていた僕はその姿を見てちょっと胸がちくりとした。そして最後に紹介されたのが錦侑里にしき ゆりだった。錦は人見知りで自己主張がなさそうなタイプに見えた。こういう場面や人付き合いがあまり得意ではない僕は勝手に彼女にシンパシーを抱いていた。彼女からすれば迷惑な話だ。錦は僕や高岸と同じ一年生でキーボード担当だった。
 StraySheeps、絶対安全毛布、そしてW3、それぞれのバンドを将来的に率いることになるバンドリーダーが一堂に会したのはこれが初めてだった。

第十一話に続く

※①沢木耕太郎『深夜特急』は紀行小説の金字塔で旅するものにとってはバイブルのような小説であり、これを読んで世界に旅立っていったバックパッカーも多いと思う。僕はこの時しらを切ったが、親父の本棚にあったのを見ていたから存在は知っていた。

※②J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』は1951年に発表された青春小説、カウンターカルチャーのバイブル。主人公の少年ホールデン・コールフィールドの一人称で進んでいくのだが、その独特の語り口に僕もかぶれてしまった一人だ。

※③そんな馬鹿みたいな偶然あるかと思うかもしれないが、うちの大学の生協と提供している教習所はいくつかに限定されていて、大学周辺の下宿から教習所までのシャトルバスの関係でおのずと行く教習所はいくつかに限定されているため、そう不思議でもない。それに成戸とはこの教習所に行く話を事前にしてて「それなら私もいってみようかな」的なことを彼女も言っていたような気もする。

※④でも、結局は希少性の問題かもしれなかった。例えば隣に居合わせた人間が、オアシスの『モーニング・グローリー』やレディオヘッドの『OKコンピューター』を開封していたら「まあメジャーだしな」ぐらいですますし、ピクシーズの『サーファー・ローザ』だったら「それ僕も大好きです」と言いたくなる(言わないけど)とは思う。XTCだったら声をかけてしまうかもしれない。『メタル・マシーン・ミュージック』だったら…ここらへんでやめておこう。

※⑤Spangle call Lilli lineは2000年代初頭から活躍している日本のポストロックバンド。エレクトロニカからの影響が大きい反復するフレーズとリズムに、非常に抽象的な言葉が並ぶが聴きやすく、独特の美しい世界観が魅力である。『Spangle call Lilli line』は彼らのファーストアルバムで2001年に発表された。メンバーの笹原清明はフォトグラファーとしての活動でも有名なので、ひょっとしたらそこから成戸はこのバンドを知ったのかもしれない。

※⑥NikonのD100。当時はまだデジタル一眼は珍しく、高価だった。成戸はそれだけでなく、写ルンです(使い捨てカメラ)、チェキ(インスタントカメラ)、画像取り込むためのノートパソコン、フィルム式のカメラ(ミノルタの一眼レフ、親からの借り物)、三脚を持ってきていた。彼女曰く「それぞれの良さがあるんだよね」らしい…。

※⑦今なら車と携帯をBluetoothで同期させてサブスクリプションサービスに繋いでなんでも聴けるからそんな悩みは殆どなくなってしまって寂しい気がする。昔は家族で遠出する時ようにカセットテープで旅行用のテープを作っていたものだった。

※⑧特にお腹空いてなくてもサービスエリアの屋台でなんか買っちゃう現象をなんと名付けようか。

第十一話に続く

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