音楽連載小説 第十九話

【第十八話はここから】

実家の滞在中に特にすることはなかった。昔は夢中になって通っていた地元のCD屋も、東京のCD屋を見た後では色あせてしまっていた。ブックオフや中古屋も覗いてみたが、特に面白いものも見つけられなかった。帰郷していた地元の友達にあったり、家で東京に持っていかなかった安いアコースティックギターを弾いたり、漫画を読んだりしてだらだらと過ごし、3日目ぐらいにはもう東京に戻りたくなっていた。その日の晩に明日の朝に帰ると伝えた。両親が残念がっているのがわかったが僕は気にしていなかった。部屋で軽く荷造りしていると親父が訪ねてきた。

「鈍行列車で帰るのか? ※①『深夜特急』みたいだな」「ん、そうだけど、なにそれ、映画?」「沢木耕太郎の小説だよ。面白いぞ、貸すから帰りの電車で読んでみたらどうだ」親父は音楽はそこそこだが、かなりの本の虫で、僕が結構本を読むのも親父の影響だった。※②サリンジャーの『ライ麦』も村上春樹も親父の本棚から拝借して読んでいた。「いいよ、コレ読むから」と言って僕はその日に近所の本屋で買った『罪と罰』の下巻をひらひらさせた。そうすると案の定かなり食いついてきて長くなりそうだったので、準備があるからと言って適当に追い返してしまった。

結局『深夜特急』を読んだのは2年前に親父が亡くなった後だった。あの時『深夜特急』を借りていればよかった、ドストエフスキーの話をじっくりと2人ですれば良かった。結局そんな機会は二度と訪れなかった。人生はそういう後悔であふれている。あふれすぎている。

次の日の朝早く僕はまるで高校に行ってくるぐらいのノリで早々にうちを出た。青森駅まで送って行くと言ってくれていたが、無理矢理断ってバスに乗って上京したことで自分の中で昔よりも小さくなってしまった青森の街並みを見ながら駅まで向かった。なるべく違う景色を見たいと思ったので帰りは秋田経由で行くことにした。一日で東京の下宿までたどり着くのは不可能だから、福島県の郡山を1日目のゴールにして、郡山の漫画喫茶で一泊した。よせばいいのに漫画を読み始めてしまい、結局寝たのは1、2時間程度だった。案の定2日目は車中で殆ど寝ていて、ボロボロになりながら下宿に転がり込み、シャワーもせずに寝てしまった。世間はお盆で浮き足立っており、合宿は十日後に迫っていた。

合宿まで僕はバイトも入れず、なんとか一曲だけでも合宿に間に合わせようと曲作りに取り組んでいた。実は、例の高岸に組み立ててもらって何とか曲にしてもらったもの以外にもいくつか曲のアイデアの断片があって、それらを組み合わせて何とか一曲できそうだったのだ。その状態には夏休み前までにはなっていて、あとは歌詞を作ってアレンジを考えるだけで、アレンジは仙台、青森旅行前に大体頭の中で出来上がっていた。しかし問題は歌詞で、これがまったく思いつかなくてその曲は頓挫していた。思えばこの時点で高岸か、石田さんに作詞の教えを乞うか、作詞自体を依頼してしまえば良かった。けれどもちっぽけなプライドが邪魔してそれができなかった。いや、そもそもそんな発想自体がなかったのだとおもう。とにかく自力で何とかしようと躍起になっていた。

しかし、夏までのバイト中に無理矢理書き出した言葉の羅列と、鈍行電車の旅の中で戯れに書いていたいくつかのイメージをつなぎ合わせてようやく歌詞らしきものが完成した。それが「West Side Story」という曲だった。曲がりなりにも一曲できたので僕は満足して、あとは合宿までギターを練習して過ごすことにした。

お盆があけるとサボっていた自動車教習所にまた通い始めた。夏休み前から入校していたのだが、覚える事も多く、車も別に好きではなかったから、なんとなく2週間、3週間と間隔が空いてしまって、テストが終わってからは一度もいってなかった。しかし、今回の帰郷ツアーで旅と道路への欲望を掻き立てられた僕は前よりもかなり前向きに免許取得に取り組もうと思っていた。

教習所へは最寄りの駅からありがたいことに送迎バスが出ていて、それに乗り込めば楽に教習所まで通えるのだが、大学の帰りに寄れないとか、結局一日仕事になるとかでそれまでいけなかったのもあると思う。時間のある夏休み中に何とかものにしたかった。しかしバイク体験でモチベーションがあがってはいたものの実際の教習が始まると実にげんなりすることの連続だった。当然間隔を開けていた僕が悪いのだか、前回までやっていた事を忘れるわ、自分の運転の下手さとどんくささに嫌気がさすわで、久々の教習を連続でいれたことを後悔し始めていた。それに比べると座学の時間は実に楽だった。ただ、交通ルールについて黙って話を聞いていればよい。勉強はそれなりに得意なほうだったし、実習より苦痛ではなかった。座学2コマに、実習2コマでどっと疲れてしまい、専用の端末で次回の教習の予約をするのだが、次回は合宿が終わってからにすることにした。本当は空きがあったら明日も入れてやるぐらいのことはおもっていたんだけれども。

予約が終わってさあ帰ろうとすると肩をたたかれ、※③振り返るとそこに知った顔があった。英語のクラスで一緒の成戸由紀(なりと ゆき)だった。

「成戸じゃん。なにしてんの」

「間抜けな質問だね、免許取りにきてるにきまってんじゃん」と言って彼女は笑った。僕の周りは当時は笑顔であふれていたような気がする。笑っていないのはいつも僕だけだった。

成戸由紀とは必修の英語の授業でたまたま隣に居合わせて話すようになった。彼女との出会いは本当に偶然でしかないと思い返してみて思う。僕はその日たまたま池袋で買ったサニーデイ・サービスの『MUGEN』というアルバムを授業の前に開封して眺めていたところに、偶然隣に座っていた成戸が反応した事からちょくちょく話すようになった。成戸は積極的で社交的な性格で、僕だったらとなりに座っていた人がたとえ自分の※④大好きなCDを広げていたとしても話しかけないだろうし、たとえその日話しかけたとしても、次会った時には軽く会釈するぐらいで、2、3ヵ月するころには会釈すらなくなり、やがて忘れてしまうだろう。ところが成戸は翌週の授業でも僕に話しかけてくれて、CDをかしてくれた、それが※⑤Spangle call Lilli lineの『Spangle call Lilli line』だった。成戸の趣味は音楽ではなくメインはカメラでいつもNikonのカメラを携帯しており、僕も本当に嫌だったが何回か写真を撮られた。しかし撮られた写真を見てみると確かにそれは見過ごされがちだけど大切な一瞬を切り取ってとらえたような、優れた肖像画に見られるような何かがあったから、成戸は写真家としてもそれなりにすごいやつだったのかもしれない。音楽の話に戻ると成戸は当時は僕の周りでは珍しい邦楽しか聴かない音楽ファンだった。Number GirlやFlipper’s Guitarが好きで、その点気が合った。フィッシュマンズを教えてくれたのも彼女だった。彼女が一番好きだったのはサニーデイサービスとフィッシュマンズだった。洋楽はパルプとブラーしか聴かないと言っていた。でもオアシスの『モーニング・グローリー』は大好きと言っていた。おかしなやつだ。

成戸に誘われて教習所の近くのファミレスに入った。大学の四年間で僕は一生分のファミレスに入った気がする。成戸はいつもは帽子をかぶっていることが多く、ニットやベレー帽を好んでいたが、その日は珍しく無帽だったし、カメラも持っていなかったし、大抵髪をまとめていたのだが、髪をおろしていた。話しかけられなければ気づかなったかもしれない。大学生の集団が入って来て、「なんでこんな冴えない奴が女と2人でファミレスきてんのに俺らはヤローの集まりなんだ」的な視線を投げかけて来た。オレもほんとにそう思う。だがコレが現実だ。悪いなボウズ。

第二十話に続く

※①沢木耕太郎『深夜特急』は紀行小説の金字塔で旅するものにとってはバイブルのような小説であり、これを読んで世界に旅立っていったバックパッカーも多いと思う。僕はこの時しらを切ったが、親父の本棚にあったのを見ていたから存在は知っていた。

※②J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』は1951年に発表された青春小説、カウンターカルチャーのバイブル。主人公の少年ホールデン・コールフィールドの一人称で進んでいくのだが、その独特の語り口に僕もかぶれてしまった一人だ。

※③そんな馬鹿みたいな偶然あるかと思うかもしれないが、うちの大学の生協と提供している教習所はいくつかに限定されていて、大学周辺の下宿から教習所までのシャトルバスの関係でおのずと行く教習所はいくつかに限定されているため、そう不思議でもない。それに成戸とはこの教習所に行く話を事前にしてて「それなら私もいってみようかな」的なことを彼女も言っていたような気もする。

※④でも、結局は希少性の問題かもしれなかった。例えば隣に居合わせた人間が、オアシスの『モーニング・グローリー』やレディオヘッドの『OKコンピューター』を開封していたら「まあメジャーだしな」ぐらいですますし、ピクシーズの『サーファー・ローザ』だったら「それ僕も大好きです」と言いたくなる(言わないけど)とは思う。XTCだったら声をかけてしまうかもしれない。『メタル・マシーン・ミュージック』だったら…ここらへんでやめておこう。

※⑤Spangle call Lilli lineは2000年代初頭から活躍している日本のポストロックバンド。エレクトロニカからの影響が大きい反復するフレーズとリズムに、非常に抽象的な言葉が並ぶが聴きやすく、独特の美しい世界観が魅力である。『Spangle call Lilli line』は彼らのファーストアルバムで2001年に発表された。メンバーの笹原清明はフォトグラファーとしての活動でも有名なので、ひょっとしたらそこから成戸はこのバンドを知ったのかもしれない。

第二十話に続く

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