リバーポートソング第三部 第二話 いままでギターと格闘して「なにもできない、なにもできない」と悩み、仮にメロディが思い浮かんでも歌詞が思い浮かばないという苦労が嘘のように、それからは歌詞があれば曲が作れるようになった。

【第三部 第一話はここから】

【あらすじと今までのお話一覧】

 石崎さんの祖父母への挨拶を済ませると、家の裏手の物置に行く。そこからキャンプ道具がぞろぞろと出てきたので、キャンプ好きのおじいちゃんおばあちゃんなのかと思ったが、どうやら石崎さんは定期的に同じような突発性キャンプを行っているらしく、その時のために、キャンプセットを置かせてもらっているらしかった。畑仕事でもしているのか、おじいちゃんはよく日に焼けていて、石崎さんが矢継ぎ早に色々と話しかけてくることを黙ってうんうんと聞き、それに短い言葉でしずかに返答していたのが印象的だった。対しておばあちゃんはそんな石崎さんにまけずに彼に矢継ぎ早に色々とキャンプについての細かい質問を投げかけたり、あれは持ったか、これは持ったか、お昼は食べたかなど、おせっかいを焼いてきて、最初は時間が無いとか言って石崎さんは断っていたのだがとうとう折れ、そうめんが出てきてそれを二人でいただいた。ミョウガの量が多すぎるそうめんで、ほとんどミョウガだけを食べてる気がしたが、おいしかった。考えてみたら人の家でご飯をいただくのはかなり久しぶりだった。
 車の名前は覚えてないが、自動車は軽で、マニュアル車だった。教習所以来マニュアル車を運転してないというとちょっとやってみなよと言われて近所のスーパーのガラガラの駐車場で少し運転させてもらったが、クラッチがうまく噛み合わずエンストしてしまい、石崎さんはゲラゲラ笑った。二、三回トライすると、ぎこちなくだが、つながって、そもそも車の運転自体久しぶりなのもあり、駐車場を危なっかしく一周した。そういえばそれ以来マニュアル車を一切触っていない。
 そのスーパーでキャンプに使う具材、カレーを作るためのもろもろを買って(きっちり割り勘した)、いよいよ長瀞に向かった。

 車中では石崎さんのチョイスでシン・リジィの『脱獄』を聴いた。名前とジャケットしか知らなかったから、古臭いハードロックかと思ったら、予想よりも派手な展開はなく、小気味良いギターロックでニック・ロウやドクター・フィールグッド的なパブロック伴奏に初期ブルース・スプリングスティーンや小沢健二、吉田拓郎みたいな言葉数の多いメロディが乗っかったドライブにぴったりの軽快さがあって直ぐに気に入り、このキャンプ旅行が終わるとすぐにCDを買った。
 高速道路のサービスエリアで売ってそうなパッケージの森進一のベスト盤が何故か車に置いてあったので、我々はそれも聴いた。紅白で何度も聴いた「おふくろさん」や吉田拓郎が作った「襟裳岬」は知っていたが、松本隆と大滝詠一のコンビで作られた「冬のリヴィエラ」、同じく松本隆と細野晴臣による「紐育物語」をそこで初めて聴いた。本格的に昭和の歌謡曲を聴いてみようとしたきっかけはこの体験か、小沢健二が筒美京平と作ったシングルを聴いて筒美京平に興味を持ったかどっちかだったと思う。そこからハードオフでキャンディーズやピンクレディーのレコードを100円であさり、その過程でサザンや山下達郎の『Ride on time』以降のレコード(全部100円だった)を揃えたりしたという流れもあったから結構重要な出来事だったかもしれない。
 そうこうしているうちに目的地である川辺に着いた。時刻は既に3時ぐらいになっていた。その川辺は特徴的な真っ平らな岩場になっていて、またその場所に行ってみたい気がするがもう道も覚えてない。
 泳ぐにはまだ少し寒いし、水着などは持ってきてないから、テントを組み立て終わってから、適当に足だけ川に浸かった。そもそも泳いで良い場所なのかもわからない。時間が時間だからか、平日だからか、大学生っぽいグループと一組のカップルしかおらず、彼らも夕方ごろにさっさと帰ってしまった。川遊びを少し嗜んだ後に適当に近辺を散策し、それから火を熾して、カレーの調理に入った。なんとか暗くなる前に出来上がったが、人参もジャガイモも煮込みが足りなくてすこし堅かった。
 暗くなり、焚火をじっと見つめながら適当にギターを弾いたり、くだらない話をしたりした。石崎さんがそのくだらない話に節をつけ始めてそれに適当に僕がコードをあてて曲をつくるという遊びをやった。段々興がのってきて、次々に曲が出来た。石崎さんがでたらめな歌詞を思いつき、それに僕がAメロ部分を作り、Bメロ用の歌詞を彼が思いつき、Bメロとコードを僕が作り、サビも同じ要領で作った。東京に帰ったらレコーディングしようとか適当なことをいいながら、三曲くらい完成した。一見ばかばかしいエピソードのようだが、この経験は僕にとっては非常に大きかった。今までいい曲を作ろうとしてなんにも出来なかったが、歌詞さえあれば、こだわりさえなければ、曲なんていくらでも作れるようになっている事を発見したのだ。沢山の曲を今まで耳コピしてきたから、ある程度コード進行のパターンみたいな物がすり込まれていたのか、歌詞に曲をあてるのは全く苦労はしなかった。これ以降僕は、詩を先に書いて、曲をあてていくスタイルで作曲するようになった。いままでギターと格闘して「なにもできない、なにもできない」と悩み、仮にメロディが思い浮かんでも歌詞が思い浮かばないという苦労が嘘のように、それからは歌詞があれば曲が作れるようになった。

 作曲遊びにも飽きて、石崎さんは本格的に飲み始めた。僕はあまり飲めないので、そこからは酒を割るためのコーラを飲んだ。そこから暫くだらだらと話して、おもむろに石崎さんが「侑里ちゃんとはもう全く会ってないのか」といった。
「錦さんとはもうまったくあってないですね」
「『錦さん』ね……」
 お返しに、そっちこそ石田さんとは会ってるんですかと聞こうと思ったが、流石にそれはやめておいた。その始まりも破局もオープンになっていた僕たちの関係に比べて彼と石田さんの関係は、周りにはなんとなく伝わっていたが、明文化されていない、もっとデリケートな話題と言ってよかった。その会話がきっかけでなんとなく場が白けてしまったのをお互いに感じたのか、もう寝ることになった。多分まだ九時ごろだった。普段二時とか、三時とかに寝ることもざらの不規則な生活を送っていたので、当然テントで横になってもまったく寝付けず、携帯で、今日の体験を元にして歌詞でも書いてやろうと思ったが、まったく思いつかなかった。iPhoneの発表までまだ一年ちょっとあった当時、スマホなんて当然存在せず、携帯でできる暇つぶしなんてたかがしれていた。ドコモならiモードとかで色々と充実していたのかもしれないがあいにく僕はauだったし、覚えていないが、そもそも当時長瀞の山奥まで電波が来ていたかも怪しい。結局歌詞の断片的なものを自分宛のメールを作成して書き連ねてるうちに、気づいたら寝てしまっていた。

 朝。携帯の時計を見ると五時半頃だった。石崎さんはぐっすり寝ている。今でもビビッドに思い出せるのだが、変な夢を見た。起きた僕は寝袋の中で、それを反芻してみた。
 僕は海沿いの施設に入れられていて、白いユニフォームみたいなものを着せられている。その施設から砂浜には自由に出ていけるが、その砂浜を抜けて他の場所に行くことは出来ない。僕は曇り空の下、その砂浜に佇んで海岸線をずっと見ている。なんとなくトリュフォーの『大人は分かってくれない』ぽさがあった。場面は変わって僕は停車中の車の後部座席にだらしなく座る子供になっている。父親らしい全然知らない人が運転席から振り返って僕を見て外を静かに指差す。それはある街への入り口で、横浜の中華街やハリウッドのチャイニーズシアターのような中国風の大仰な門だった。そこで僕は目が覚めた。
 石崎さんを起こさないようにゆっくりとテントから出た。そとはもう明るくなり始めている。僕はわざとらしく朝の空気を吸った。焚火の跡の近くに無造作においてあったギターケースからギターをそっと取り出す。借り物のギターなのに酷い扱いだ。ギターをもってテントから離れた川縁の岩場までいく。さっき見てテントの中で反芻していた夢で何故か一曲できそうな気がした。

※①「砂漠について」

海沿いの施設にもどったら
君がいて、思わず「あっ」て叫んだ
そこでは僕らは12歳で、
僕はまた君にいじめられた。

その街はばかげた門構え
休日に父に連れられ目にして
そこでは夢破れたものたちの
嗚咽交じりの声がスピーカーで流されていた、えっくえっく

似た物同士だから奪うんだ。
そういって彼はこぶしを振り上げた

あのころ砂漠について考える人なんか
誰一人、いなかった
いても すぐ 忘れた
ただただラクダが ああ 素敵だな なんて
その程度のものだった。

はしゃいでた大人たちの裏で、
鳴る鐘は、祭りの後、気づかれて。
僕らは僕らをうちのめし、
たたき割ったのも立てかけた鏡だった。

似た物同士だから嫌うんだ
そういって君は瞳をうるませた…

あのころ砂漠のこと考えろって人は
誰一人、おらずに、
いても すぐ 忘れた
ただただラクダが さぁ 素敵だな なんて
実に無邪気で
だから無感動で
その程度のものだった。

一時間程度川べりで作業してなんなくその曲は完成した。最後に僕はタイトルを「砂漠について」とした。タイトルをつけるのは苦手だからいつも歌詞の中から適当に選んでいる。携帯のメールにメモした歌詞を僕自身に送りつけ、満足してテントに戻り、また寝てしまった。
起きると今度は隣に石崎さんがいない。テントから出ると、焚火の跡は綺麗にされて、荷物もあらかた片付けられていた。ギターもなかった。駐車場に向かう小道から石崎さんが降りてきて「遅かったな、テント畳むから手伝ってくれ」と言った。僕がなかなか起きなかったからか少し怒っているような気配があった。結局それは気のせいだったのか、テントを畳み終えるころには僕らの間には和やかなムードが流れた。最後に川べりを少し散歩して車に乗り込んだ。石崎さんの祖父母宅に着くとまたミョウガまみれのそうめんが待っていた。僕らは朝食を取っていなかったから無言でそれらを胃にかきこんだ。僕らはお返しに庭を掃除したり、庭の柿の木の剪定を手伝ったりした。心地よい疲れにまみれて僕たちは帰りの電車にのった。二人とも無言でずっと寝ていた。
家についたら大急ぎで朝作った曲をMDレコーダーで録音した。夜作ったコミックソングも試しに録音してみようと思ったが、もう思い出せなくなっていた。

第三部第三話に続く

※①結局この曲で見た夢を素材として使ったのは一番のAメロ部分だけだった。そこから先はすらすらと出てきた。当時この曲が何を意図して、何を意味しているのかはわからなかったし、そういう歌詞の書き方はしていなかった。いま解釈するとこれは成長するにつれて踏みにじられるイノセンスについて歌っている様に見える。勿論ほかの解釈もできる。現代文明批判的な要素もある。一番のAメロ部分は自然でとても気に入っているが、二番のAメロ部分はとても作為的で「作った」感じがして気に入っていない。

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