リバーポートソング第三部第七話 僕が期待していたのは自分が惨めに感じないギリギリのライン、「そこそこいいバンドだけどまあ普段聴きたいとは思わない」というレベルの演奏だった。

【第三部 第六話はここから】

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ライブから二、三日後に加瀬くんは柳に脱退を伝えた。僕にも遅れてメールで連絡がきた。南さんのことは全く書いておらず、捻挫のせいで活動に支障がでること、自分は僕らと演奏するには技術不足であることを挙げ、脱退したい、柳には連絡済みで許可をもらった、という旨が書いてあった。そこには加瀬君らしくない事務的な響きがあった。

彼は南さんにW3に加入するべきだと説得したらしく、柳にも南さんを入れてほしいと言っていたようだ。次の練習でスタジオに入った時には当たり前の様に彼女がいて、三人で練習した。あのステージの様な一体感、高揚感は味わえなかったが、この先の道がちゃんと何処かに続いているような、目指すべき形が見えているような手ごたえはあった。南さんは柳とは違った意味で表情が読み取りにくいというか、いつもあっけらかんとしている人で、表面的には良好なコミュニケーションを取ることは勿論できるのだが、本人が本心ではどう思っているのか読み取れなかったし(みんなそうだといえばそうなのだが)、打ち解けるのにはだいぶ苦労した。柳はご存知の通りだし、バンドは音楽的には上手くいっていたが、人間関係は複雑化した。加瀬君と付き合っていたから恋愛がどうこうという心配もなかったし、誰もそんなつもりはなかったけれど、南さんは歳下だったし、変な威圧感や不快感を与えないように気を遣った。これがもっと人数の多いバンドだったら違ったのだろうけどスリーピースだったから人間関係の分散も難しい。柳に対しては音楽的に尊敬していたこともあり、下手なことは出来ないという緊張感を僕は元々持っていたから、この頃はなかなかスタジオで安らげる瞬間がなかった。そして前述の通り二人とも我が道を行く人間なので、気詰まりを感じていたのは僕だけにみえた。練習場所も近所から八王子近辺に住んでいる南さんのアクセスを考慮して、吉祥寺になり、終わった後に軽くスタジオで打ち合わせしたりはしたが、以前のようにメンバーで柳の家に集まってわいわい音楽の話をして、気づいたら朝になっていたという事もなくなった。加瀬君は遠いのに何度か我々の街まで来てくれていた。僕は柳とも距離ができてしまったような気がしていた。

 この加入劇について彼女自身がどう思っていたのかを後々この時よりも仲良くなった後で聞いてみたら「勿論あのライブは楽しかったですけど、正直勝手に加入するしないを決められてる感じがしてムカつきましたねー」といっていたから、なかなか打ち解けなかった気がしていたのは彼女がずっとそういう不満を抱えていたからかもしれない。

 さて、この後加瀬君が僕の人生からすっかり姿を消してしまったのかというと実はそうでもない。南さんと別れるまではW3のライブにも欠かさず来てくれていたし、その時には仲良く世間話などもした。彼は捻挫していた時にギターを始め、脱退の傷も癒えた頃には自分がギターボーカルのバンドを始めたと嬉しそうに語った。南さんとの破局後は疎遠になっていたがFacebookでは繋がっていて時々彼のバンドのライブ告知が流れてくるのを何度か社会のパソコンからぼんやりと眺めていた。彼はストレートに卒業してさっさと就職するものだと思っていたがそんなそぶりは全く見えず、バンドは順調そうだった。自分は例のブラック企業でまだ働いていたころで、土曜日だったが仕事で会社に来ていて近くの箱で彼のバンドのライブがあるみたいだったから珍しく夜の比較的早い時間に仕事を切り上げて上司が睨みつけながら嫌味を投げかけてくるのも無視して会社を出て、スーツのままで会場に向かった。

 バンドは3 Days Creationという名前で、「神が七日かけて作るところ、三日で仕上げてしまったような荒々しい世界」を表しているらしい。ポストハードコアバンドっぽい名前だ。会場にいたのはちょっとやんちゃめな若者ばかりで、そうは言っても当時は自分もそんな連中と歳はそうそうかわらなかったが、スーツを着ていたのは一人だけだったからかなり浮いていた。そういう事情もあったから端の方でとりあえず酒をちびちび飲みながら大人しく見ているつもりだった。出番前の加瀬君が誰かと談笑しているのが見えた。彼は相変わらずひょろひょろしていたが、トレードマークだと勝手に思っていた黒縁丸メガネはなくなっていて、長めだった髪も短くなり、ワックスでとがっていて最初は誰だかわからなかった。そんな変貌を遂げたあとでも彼自身がなんとなくコミカルで可愛らしいキャラクターなのは変わらず、まるでハリネズミが精一杯背中の針を震わせて不良を演じてるように見えた。

 彼のバンドはトリだったから、開場してからそれなりの時間が経ってしまっていたが、出番には間に合った。加瀬君も余裕があるのかフロアにちょくちょく出入りしていて、話しかけるつもりはなかったが、バンドの入れ替わりのタイミングで彼と目があってしまい、お互い歩み寄る形で久々と対面となった。そこで何を話したかは覚えていない。ギクシャクした会話が展開された事は確かだ。バンド活動から離れて久しかったので、続けている彼が妬ましかったし、彼の方は彼の方で、この時の学生が社会人に感じる妙な圧力みたいなものを僕に感じていたと思うから、表面的には平和的なやりとりでもそこにはピリピリとした緊張感があった。彼は(まぁこれは単に僕の被害妄想かもしれないが)「あんたが諦めたバンドをやっててかなりいいところまできてますよ。あなたは僕を事実上クビにしたけどね」といわんばかりの様子だったし、僕は僕で彼の不安や社会的な劣等感(本来感じなくてもいいものだが)を煽るように見せつけるように手首を振ってじゃらじゃらと高級時計の存在を見せつけたり、スーツの皺を伸ばしたりして下らない社会人アピールをした。

壁にもたれて後ろの方でビールを飲みながら出番を待つ。彼らの音楽性がどんなものかバンド名以外の事前情報はなく、ポストロックやエモ、スロウコアなど加瀬君が好きだった音楽を勝手に想像していた。良くなかったら鼻で嗤ってやろうと思っていたが、彼の鑑賞眼は信じていたから、酷いものではない事も分かっていて、僕が期待していたのは自分が惨めに感じないギリギリのライン、「そこそこいいバンドだけどまあ普段聴きたいとは思わない」というレベルの演奏だった。フロアが暗転したところで大きな歓声が湧き、人気の程が伺える。初めはカオティックで一見自由に演奏している様なノイズの応酬だったがそれが段々と一つの方向性に収束していくような動きを見せ、一旦ブレイクした後で重たいギターのリフが聴き手にズシンとのしかかってくる。Rage Against MachineやHelmetを想起させるようなHip Hopのリズムとメタルの凶暴さを合わせたグルービーな暴力的サウンド。冷静に分析していたが心は穏やかではなかった。興奮しない方がおかしいぐらいの良くできたNu-Metal。悔しさよりも目撃できた嬉しさが勝った。二曲目は打って変わってFugaziみたいな複雑な構成を持ったポストハードコアだった。彼らのステージアクションも元ネタをたどれはNu-MetalとFugaziのステージマナーをコピーしたものだったが、それは完全に彼らの中で消化されていて、音楽性とマッチしていたから見ていて相当興奮した。加瀬君は怒りやエナジーをため込んでここぞというときに一気に開放するようなボーカルスタイルで、キャッチーな繰り返しのフレーズで畳み掛けてくる音の洪水と相まってとんでもないことになっていた。三曲目はもっとストレートで単純なパンクナンバーで初期ダムドやMC5みたいな、わかりやすくて何も考えずに騒げる曲だった。彼らのライブは、正にロックの荒々しさの見本市だった。しかも勢いでごまかされている感じは全くなく、そこには美学と洗練が見受けられ、なおかつ「よくできてますね」で終わらず、こちらの興奮を否応なしに引き出した。これはなかなか稀有なことだった。気づいたら僕は最前列の方で騒いでいる連中に突撃していくように合流していて、なんだかわからないままにライブは終わって、若干引いている加瀬君に「よかったよ、最高だよ」と語彙力が低めな感想を興奮しながら投げかけていた。
すっかり彼のバンドのファンになった僕は、仕事のストレスを暴れまくって解消できることもあって、関東周辺の彼らのライブには可能な限り顔を出した。外回りにかこつけてライブに行っていたからいつもスーツで、その内彼らのライブにスーツ姿のヤバいファンがいるらしいという噂がたったらしい。勿論暴力沙汰とかを起こしていた訳ではなかったが、スーツで踊り狂っているのが周りからしたら相当気味が悪かったらしく、加瀬君から「迷惑なのでおとなしく見れないならもう来ないでください」とはっきり言われた。同じタイミングで仕事を辞め、つきものが落ちたように僕は大人しくなり、暴れるつもりも理由も、もうなくなっていたが、いやむしろそうだからなのか3 Days Creationのライブには行かなくなってしまった。彼らは今でも活動を続け、ポストハードコアバンドの重鎮として海外公演なども積極的に行なっている。我々の音楽仲間の中で一番成功したのは僕が音楽的才能を全く見出していなかった加瀬君だった。

加瀬君の代わりに南さんが加入することで、柳の歌とギターを中心としたフォークロック的なバンドから、よりバンドアンサンブルを重視したロックバンド然とした音楽性へと少しずつ変化することになった。ドラムのフレーズが単調なものから、より「メロディアス」で歌心あるものになり、音楽的芳醇さが増すことによって我々ベースとギターもそれに応えるように中身の濃いものになっていった。スリーピースだからあまり情報過多になることはないが、雄弁でありながらもなるべくシンプルにしたいし、勢いや歪みで誤魔化さずにそれぞれの演奏を聴かせたかった。なかなか高度な要求だったと思うがそれなりに達成できていたと思う。そんなわけで音楽的には進化したとは思っていたのだが、二人でやっていた時や、加瀬君がいた時のマジカルなムードはなぜか後退した。というのも今までは柳の歌とギターの放つオーラやオリジナリティが中心になっていて、それが個性であり、圧倒的な魅力となっていたのだが、真っ当なスリーピースになってそれぞれの楽器にフォーカスが当たるようになったは良いが全体としてのインパクトは減った。バンドとしての個性を出すまでにはまだ至ってなかったのだろう。最初に三人で合わせた時の喜びや高揚感も徐々に薄れ、再現出来なくなり、何度も同じ曲のアレンジを煮詰めていく事でバンド自体がマンネリ化してきた。ライブも頻繁にできなくなり、加瀬君脱退から翌年の三月まで、二回しかライブが出来なかった。南さんは物凄くテクニカルというわけではないが、リンゴ・スターみたいに彼女にしか出せないグルーヴがあって、代替不可能な得難いドラマーだったから、一緒にやってもらってるという感覚がどうしても抜けなかったし、年下ということもあって、なかなかライブ活動や頻繁なスタジオ入りで金銭的な負担をかけるのに気が引け、それがバンドの歩みを鈍くしてしまっていた。柳は柳でその様な負い目は何にも感じて無さそうだったが、この頃の彼は昔みたいに僕と近所でぶらぶらと時間を潰すことはほとんどせず、一人でふらっと国内を青春18きっぷで旅行したり、東南アジアを周遊したりして東京にいない事すら多かった。勿論その間に僕が一人で何もやっていなかったわけではない。相変わらず楽曲分析やコピーは続けていたし、柳の曲に対抗できる様な曲を作れるように作曲も進めていた。だが、作曲は難航し、結局大したことない二、三曲ができたきりだった。掴んだと思った作曲のコツも、また失っていた。問題は歌詞で、とにかく歌詞が浮かばなかった。そんなわけで当時の僕は加瀬君がいた時より大きな行き詰まりを感じていた。バンド以外の生活にも閉塞感があり、同学年の周りの連中の中には内定が出たやつもちらほら現れ始める中、相変わらず就職活動から背を向け続け、気持ち的には錦と別れた直後ぐらい最悪だった。そんな時にする事といえば楽しかった過去に逃避する事で、錦と過ごした楽しい数ヶ月間の思い出に浸っては、彼女の身体、その部分部分の柔らかな手触りや強く抱きしめた時の存在感や最中の彼女の表情を思い浮かべて布団の中で自分を慰め、ことがすんだ後で最悪の気分の中で眠りに着くのが日課になっていた。

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