必要なものが揃った。マイスペースには塀の前で撮ったシリアスな写真を使った。フライヤーは二つパターン作って、それぞれコインランドリーでのショットを採用した。早速印刷して行きつけのスタジオ、出演予定のライブハウスに置いてもらった。本番一週間前には僕と西沢君で、下北沢、渋谷、新宿でフライヤーを配った。バンドロゴを作ってステッカーやTシャツを作るという話もあったがそこまでの余裕はなく、諦めた。
我々が出ることになったのは下北沢の地下にある老舗のライブハウスで、全部で四バンドが出演。勿論StraySheepsがトリで、我々は三番目といういい出番だった。リハーサルの記憶はない。それぞれワンコーラスだったし、他の出演者の目もあるようなないようなまばらな感じだったと思う。我々も他の演者のリハーサルは殆ど見ていない。ライブ開始前の空き時間は下北沢の町に出て地上の空気を吸っていた。順番からしてリハーサル時にStraySheepsのメンバーと顔を合わせなくてはならないのは自分にとっては出演が決まった時からずっと気重だったが、久しぶりだったこともあって石田さんは無邪気に再会を喜んでくれ、気持ちを和らげてくれたし、会話はぎこちなかったが、なんと高岸とも少し喋れてしまった。本当に少しだけだったが。僕がリバーポートソングのような一時的なものではなく、本格的なバンド活動をまた始めたことで彼も気が楽になったのかもしれないし、こっちも柳を引き抜いたので、お互い様ということでやはり負い目がなくなったのかもしれない。そんなことは関係なく、僕の自意識過剰で、彼は気にしたこともなくて、話してくれたのも単純に目が合ってしまったからで、ただの気まぐれだったかもしれないが、予想外で、素直に嬉しい事だった。高岸とは短かかったが、楽しい時間を過ごした。青森から上京して周りにほとんどだれも知り合いがいない状況だった僕にとって音楽やバンドの事でこれだけ分かり合える存在がいるという事は本当にありがたかった。それに、この時点ではW3は最高に上手くいっていたと思っていたし、むしろStraySheepsを辞めて良かったと思うようになっていたから、わだかまりももう無かった。ただ、脱退の一因となった花田とは喋ることは無かった。いつもこちらが話しかける意思を持たないのにあちらから話しかけてくるのが花田の常だったが、この時はそれもない。石田さんも花田も社会人で、働きながらバンド活動をするのはどんな感じなのか聞きたかった気もしたがそんな機会も当然なかった。というわけで僕はStraySheepsのメンバーに対し、何も気にしなくてもよかったぐらいだったが、StraySheepsのメンバーの間には深い溝ができていたのが見て取れた。少し早めに会場入りした僕らは、彼らが自分たちのリハーサルの直前に集まり、リハーサル中もその前も最低限の会話しかせず、リハが終わると散り散りになり、それぞれ他の対バン相手の親しいメンバーに話しかけに行ったのを見た。ライブハウスでの所作に慣れ切っていたから最低限のコミュニケーションで全てを済ませていたのかもしれないが、それだけではないハッキリとしたよそよそしさがあり、人間関係の終わりのムードが立ち込めていた。僕はそれを壁際で丁度正面から見た。家族間の不和をわかりやすく演出した出来の悪い舞台をみているみたいだった。
ライブが始まるちょっと前には僕らが呼んでいた顔なじみが何人か来てくれていた。成戸が来てくれた。石崎さんも来ていて「StraySheepsとW3、同時に見れてとてもうれしい」と言っていた。石田さんは出番が無い時はずっと石崎さんと一緒にいて、この二人の自然な組み合わせを見れてよかった。成戸はその社交性もあっておそらく初対面も含めて沢山の人と話をしていたが、柳と一緒にいる時間が多かった。この間大学で写真を見たとき意気投合していたようだったからその時のムードがまだ続いているように感じられた。
我々は三十分で五曲をやった。柳の曲三曲に僕と西沢君の曲、一曲ずつ。柳の曲のうち、二曲は三人体制でやっていたものだった。この日の為に周到な準備を重ねてきたはずなのに、自分たちの演奏に関する記憶は不思議なほど薄い。内容は準備期間に見合う申し分ないものだったと思う。が、良くも悪くも求めていた緊張がなかった。練習しすぎたのもあったと思う。この件は後で西沢君と話し合うことになるのだが、スタジオでかっちりと仕上げ過ぎた。柳の曲はもともと本番でのアレンジに余白があるような作りではあったが、演奏自体が心地よかったのも相まって、準備期間中に回を重ね過ぎて、ベストなパターンがみえてしまい、本番も各人がおおよそそれをなぞっていた。だからある種のハプニング的な跳躍が本番では起きなかった。他の大きな要因としてはStraySheepsと我々、そして観客との関係にもあった。夢想していたのは、StraySheepsとの緊張関係の中、我々を期待していない観客の前で圧倒的なパフォーマンスを見せる事で彼らを熱狂を持って改宗させ、それに対抗するように、StraySheepsも熱のこもった演奏で応えるというものだった。だが観客は次に出てくるStraySheepsを早く観たいあまり、我々に対して敵意を持つ、なんてことは当然なく、我々を知らない人は、他のバンドにするように我々がどんなバンドなんだろうという期待感を持ってのぞんでくれていたし、失礼なことにそのような人たちがいることに全く思い至ってなかったが、三人体制のW3が好きで、四人になったらどうなるんだろうという不安と期待をもって来てくれたであろう顔なじみの人たちもいた(そもそもメンバーが増えたことすらしらず驚いた人もいただろう)。だから地蔵になった観客や、敵意をむき出しにした観客、我々に全く興味が無く時間をつぶしている観客を、我々の演奏で黙らせる、なんてドラマなぞ起こりようがなかった。そんな事を思ってしまったのも、StraySheepsは我々と緊張関係があるという前提が、僕と西沢君のなかで出来上がっていて、その緊張関係をなぜかStraySheepsのファンも共有しているという、冷静に考えればそんなことあるはずがないという妄想を僕はいつのまにか組み立ててしまっていて、その時点でもうおかしいのだが、前提となるStraySheepsとの緊張関係自体が存在しておらず、それは僕個人の脱退劇や柳が元々StraySheepsで、柳を引き抜いたという経緯から、僕と西沢君が勝手に恐れをなして作り上げたもので、イベントに入れてもらいながら、恩を仇で返す様にその恐れを敵対心に変え、ライブまでのモチベーションとして二人で勝手に都合よく利用していただけの事だった。だからそんなストーリーを共有していなかった柳も南さんも終わった後は(二人にしては珍しく)満足げにやり切ったような表情、付き合いの浅い人間には判別できないぐらいの微かな変化、だったが、対して西沢君と僕はどこか肩透かしを食らった気分になっていた。勿論この構造にこの時点で気づいているぐらいなら、途中で(おそらくStraySheepsが我々のイベント出演を承諾してくれた時点で)どこかおかしいと気づくはずで、今になって思うとそういうことだったのだとわかるが、この時は二人ともただ期待外れだと思っただけだった。
とはいえ、我々のライブが失敗だったかというと先の柳と南さんの表情が示しているように、全くそんなことはなく、期待していたドラマが生じなかっただけで、インパクトは十分にあったとは思う。というのも先の三人体制のW3を見に来ていたお客さんが、僕や西沢君がそれぞれがメインの曲で歌い始めたときに、明らかにちょっとびっくりしたような反応をしたような気がしたからだ。そう、ハッキリと驚いたとは断言はできないのだが、そういう雰囲気としか言えないようなムードがあって、それを感じることは出来た。これは西沢君には実は伝わっていなかったようだが、後で柳や南さんに聞いたところ、そのような反応を「感じられた」(「見た」ではないのだが)と言っていた。ただ複数のボーカルがいたせいで新生W3がどういうバンドかわかりにくくなってしまったのではないかという反省も同時にでてきた。それは次もライブを見てみたいという欲求を掻き立てる側面もあったが。これも後からの反省であって、その時は自分たちを俯瞰でみることはできていなかった。これ以降のライブで、三人体制の時はよく来てくれていたのに、このライブ以降は全く顔を出してくれなくなった人もいたし、三人体制の終わりの時期は、スリーピースバンドとしてどんどん洗練されてきていたので、このライブの時は、その時よりもキャッチーではなくなっていたと思う。その頃のファン(もしいればだが)からすると、なぜ洗練をすて、混沌に走ったのかと思うのも無理も無いことだろう。が、それは仕方のないことだ。僕が求めていたのは混沌の先にある到達困難な場所までたどり着くことだった。
ステージから機材を持ってはけるとき、高岸は「よかった」と一言、すれ違いざまに言ってくれた。石田さんも「凄かった」といって肩を叩いてくれた。納得がいかない部分もあったが、僕はそれらの曖昧で抽象的な褒め言葉だけで十分満たされてしまった。
そんな温かい言葉を投げかけてくれた人たちに対してそう思ってしまったのは後ろめたかったが、次のStraySheepsの演奏を聴いて緊張関係が生まれようが無かった理由も、我々がこのイベントに滑り込めた理由もわかってしまったような気になってしまった。彼らのステージは、バンド内の不和を正しく反映させたようなギクシャクとした他人行儀なものだった。勿論音楽的には「ずれ」のない演奏だった。が、不思議なもので、バンドというものは演奏レベルも楽曲のクオリティも両方落ちていなくても、演者の心持ちやコンディション次第でライブの出来が全く違ってきて、それは、たとえ人間関係が良好なバンドでもそうで、人間関係がガタガタなバンドの演奏がよくないかというと逆に良い場合もあるのだが、彼らの場合はやはりよくない方向に作用して、演者同志の気持ちの「ずれ」が聴く者に対して違和感を与えていた。少なくとも僕にはそう感じられた。全盛期のStraySheepsだったらもっとけんか腰に当日出ていたどのバンドよりも優れたバンドなんだということを見せつけるようなステージングをメンバーが一丸となって見せてくれたに違いない。これ以前に僕が何度かみた彼らのステージの様に。たまたまその日コンディションが悪かったとか噛み合わなかったとかそういう事ではなく、彼らは根本的な所からもう崩れてきてしまっていると感じられた。哀しいことに彼らの求心力もそれに伴って落ちてしまっていたのかもしれず、だからこそ我々の出演の申し出を受け入れてくれたのかもしれない。事実かはわからないが、そう思ってしまった。そしてやはり実際にそれはStraySheepsの終わりを示すようなライブだった。石田さんは我々と対バンした後にすぐに脱退した。理由はいくらでもあると思う。仕事が忙しくなった、社会人になってそもそもの価値観が変わった、元恋人と同じ空間に居続けるのが辛かった。少し事情を知っている部外者が推測しやすいわかりやすい理由なんてそんなものだが、もっと複雑で本人にすら説明がつかないものが背後にあったっておかしくない。
石田さんを欠いてStraySheepsはやっていけるのか? 僕はイエスだと思った。彼女の強力なキャラクター、スター性といってもいい、そして彼女のソングライティングはもちろんStraySheepsの強烈な強み、個性の一つだったが、その頃はもう不可欠ではなくなっていた。聞くところによると石田さんの曲は徐々に減っていき、最後の方は彼女がボーカルを取る曲も一つのライブで一曲あるかないかという状態だったらしい。実際その対バンの時も石田さんのボーカルは一曲だけだった。だが現実には、石田さんが抜けたStraySheepsは機能せず、彼らの名前を聞くことは無くなった。そして、その後大学で高岸に偶然会うまで彼らがどうなったかも僕は知らなかった。
このライブ以降、石田さんと石崎さんには会わなくなっていった。これ以降のW3のライブにも数回来てくれていたような気がしたが、それ以外で会うこともなかった。再会したのは僕が卒業してから三年後。何もかもが変わってしまい、仕事まみれの生活のなかで携帯を一度くだらない理由で自ら破壊してしまったこともあって、大学のころ付き合いのあった人たちとは連絡がとれず(とる気にもなれなかったし、失われた連絡先を回復させようとも思わなかったが)、誰も僕の連絡先を知らなかったからFacebookで石崎さんがわざわざ連絡をとってくれたのだった。Facebookなんてそのころには殆ど見ていなかったので、メッセージに気づけたのは偶然だった。送られてから三週間が経っていた。直ぐに返事をして会う約束をし、代官山のカフェで待ち合わせ、嬉しくて時間の十分前には到着したが、二人はすでにガラス張りの店内にいて、そこから僕を見つけ、石田さんは全力で、石崎さんはちょっと遠慮がちにはにかみながら手を振ってくれていた。石田さんはショートカットで、学生の時は一度も見たことがなかった髪型だったが、大人っぽくて上品でこれ以上は無いというぐらい似合っていたから当日付き合いのある人たちは彼女のロングヘアなんて想像もできないだろう。石崎さんはさらに頭を刈り込んでガチガチの営業マンみたいになっていて社会で揉まれた経験が見た目から無駄を削ぎ落としたように見えた。二人とも素敵な大人になっていたし、その姿形、落ち着き払った様子からは暮らし向きの良さが伺えた。
ひとしきり思い出話に花を咲かせた後、石崎さんは改まって言った。
「俺たち、結婚するんだ」
久しぶりに心から幸せな気持ちになった。
ブラック企業で身をすり減らしながら働いていた時期だったから、このクソみたいな世界で自分の周りでハッピーな出来事が起こったのは本当に喜ぶべきことだと思った。二人が付き合っているかどうかすらはっきりとその口から聞いたわけでもなかったから、不意打ちだったが驚きが薄れていくうちにじわじわと嬉しくなった。 昔より落ち着いてすこし言葉数が減っていた石田さんは何も言わずに照れながら笑っていた。僕は大袈裟に喜び、「先に言ってくださいよ、なんかお祝い持ってきたのに」と大きな声でいったから、上品そうな客が何人か迷惑そうにこっちを振り向いた。
石田さんがトイレにたった時、石崎さんは静かに言った。「変な話なんだけど、高岸も含めて、お前らに感謝してる。高岸がケイと付き合った時にさ、あいつのこと大切で大好きだったのにその事もよくわからずになんで何にもしてこなかったのかと、突然もの凄く後悔したんだよ。いや、その前にもケイには恋人がいた事もあったし、俺もそうだったんだけどさ。ああ見えて昔は結構大変なやつだった事もあって、まあいまもそういう難しい事もあるんだけどそれはお互い様ではあるし、なかなかそんな恋人とか考えれる状態でもなかったんだよ。だから本当に気づいたのはあの時だったんだ。なぜかな。ケイがいなくなる人生を初めて想像したんだ。そしたらそんなこととても耐えられないって思った。突然だった。気付けて良かった。あの時がなかったら今こうなってないし、ずっと後悔していたと思う。ありがとう」
僕はこの二人に出会って、二人のことが好きになって、それから石崎さんがこれらの言葉をいうのをずっと聞きたかった。
数ヶ月後、二人の結婚式に参加した。当然高岸はいない。僕に気を遣ったのかどうかはわからないが錦もいなかった。もう一度彼女に会えないかと期待していたのはあった。式は彼らの地元の高崎で行われて、招待客も地元の友人が中心だったから自分の存在は例外的に思えた。彼らと同じ大学だった人もあまりおらず、僕は石崎さんの地元のツレと同じテーブルに振り分けられ、空気感が違って最初戸惑った。学生のころのナイーブな僕だったらその場の雰囲気に飲まれてなにも喋らずに静かに式を見るだけだったろう。だが、悪夢のような社会人経験を経ていたからもう怖いものなんてなく、式が終わるころには同じテーブルの皆と表面的には打ち解けていた。肝心な二人はというと、二人とも本当に幸せそうだった。これでも何度か友人の結婚式には参加していて、自分には経験がないから断定できない部分はあるが、皆、ドラマみたいな幸せの絶頂という感じでもなく、勿論喜ばしく思っているものの、ある種の通過儀礼的な覚悟と準備してきたものを上手く遂行していかないとという緊張をまとっていて、二次会の方がリラックスしているのが常だった。しかし彼らは全力で式を楽しんでいて、それはちょっと二人らしからぬ感じではあったが、地元の友人たちの前ではこのようなノリなのかもしれないとも思えた。そうとしか言いようがない。その時にはブラック企業を辞めて海外を放浪したり、仕事もなんにもせずにぶらぶらしていたので穏やかな気分に戻っていたのもあったが、僕はその挙式の二次会で知り合った石田さんの高校の時の仲がよかった部活の後輩の女の子と意気投合し、石崎夫妻も交えて何度か遊ぶうちに付き合うことになった。石崎さん達とその子と僕と四人とで一時期よくダブルデートしたり、石田さんが出産した後も二人で会いに行ったりした。彼女との未来の為にもと思い(そのままぶらぶらする気もなかったのだが)、今の会社に再就職したが、直後に僕らは別れた。子育てで忙しくなり、ライフスタイルも変わってしまった石崎さん達とも疎遠になった。僕はまた二人の事を日常の中で忘れた。
石崎さんに再会したのはそれから更に四年後、今から二年前の冬、夜の有楽町近辺だった。似たようなシルエットが遠くに見え、東京駅の方まで続いていく地下道の方に降りていくので、まさかと思って人ごみを掻き分け、後を追いかけた。石崎さん達の事はすっかりと忘れてしまっていたが、かといって大切でないわけがなく、こんなチャンスを逃す手もなかった。地下道を足早に進んで行くのをさっと回り込んで見ると少しやつれてはいたが確かに石崎さんだった。そんな僕に気づいて彼はこっちを少し見ると、石崎さんは一瞬苦い顔つきをしたがふっと笑顔を見せてくれた。「本当に偶然ですね。嬉しいです。この後飲みにいけますか? ケイさんは、娘さんは元気ですか」本当は帰社して片付けなくてはならない仕事が幾つかあったが、無視した。この一瞬で厚かましくも彼らの家にあがりこんで一緒にテーブルを囲む妄想すらしていた。質問には答えずに少し間があいて、彼は目を細め静かに言った。「ちょっと一緒に歩けるかな」ゆっくりとならんでついて行く。嫌な予感はあった。自分で歩けるかなと行ったくせに彼は不意に立ち止まって言った。
「ケイとは別れた」
平日ど真ん中の夜中で、地下道に人はまばらで付近には僕たちしかいなかった。それが僕らを大胆にした。僕たちのやり取りには芝居みたいな嘘っぽい熱があった。
「どういう事ですか」
「どうもこうもない。終わったんだ。今は独りで暮らしてる」目を合わせようとしない。ずっと下を向いて地面に話しかけているようだった。「悪いけど、お前と話すと色々思い出して思ったよりも辛いわ。じゃあな」
あっけにとられて動けない。背中が遠くなっていく。だが歩くペースはさっき一人で歩いていた時ほど速くない。呼び止めてほしいみたいだった。走ればきっと彼を捕まえて、ゆさぶりをかけることもできた。そうすればその日の深夜には二人で笑えていたかもしれない。独身同士の楽しい付き合いが、またそこから始まっていたかもしれない。けれど、声をかけることすらしなかった。彼が走っていれば自分も釣られて追いかけてドラマが生まれていたと思う。しかし、ゆっくりと歩き去っていくそれは誘いをかけているようで白々しくて、何もする気になれなかった。何もかも無駄に感じ、何もせず、何もできなかった。まだ彼の姿がはっきりと見える段階で、僕は反対方向の有楽町の方に戻っていった。一度も振り返らなかった。逆に追いかけてきてくれるかもしれないという希望がなかったかというと嘘になる。僕の足取りも茶番じみた緩慢さだった。だがそんな事も起こらなかった。地下道から出てまた人の波の中に戻るとさっきまでの出来事がまるで夢の様に感じられたが気持ちは戻らず、会社にも行かずに家に帰った。
それから一度も石崎さんにも石田さんにも会っていない。二人の間に何があったのかは結局分からない。別れた理由ならその日の夜に何通りも考えた。あそこまで拒絶反応が出るなら相当酷い事が二人の間に起こったのだろう。考えても無駄だが考えてしまった。だがそれを知って結果が変わるならともかく、変わらないなら知りたくもなかった。
しばらくして、彼らの事も彼らにまつわる当時の思い出もまた記憶の底に沈んで浮かび上がってこなくなった。
リバーポートソング 第三部十一話 しばらくして、彼らの事も彼らにまつわる当時の思い出もまた記憶の底に沈んで浮かび上がってこなくなった。
