リバーポートソング第三部 第四話 音楽は続けてもバンドは辞めるという選択肢もあったかもしれない。一応ヒップホップや電子音楽の扉も開いてはいた。ただ、そこに一歩進むには僕はバンドミュージックにもうどっぷりとつかり過ぎていた。

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 柳がStraySheepsを辞めるのは簡単じゃなさそうだったが、高岸の方でも何かを感じて準備があったのかもしれない、それともStraySheepsに入りたいってドラマーなら結構いたのか、全ては、一本の電話であっさりとかたがついた。吉祥寺から帰った次の日の出来事だった。僕たちは次の日から早速集まってもともと作っていた曲を聴かせ合ったり、二人で曲を作ったり、アレンジしたりし始めた。

 2006年のライブシーン、勿論通っていたライブハウスにもよると思うが、僕の記憶する限りでは当時海外では一応ロックンロールリバイバルみたいなものが盛り上がっていたはずなのだが、その影響は少なくてもライブハウスでは見受けられず、どちらかというとアメリカンフットボールやトータスなどに影響を受けたエモ、ポストロック、マスロックバンドが多かった。それらのアマチュアバンドはインストの曲が多く、ボーカルや歌はあまり重視されていなかった。彼らは、自分と同じく、歌や歌詞が書けないからそうしていると僕は思いこんでいて、心のどこかでは見下していた。それが間違いであることに気づくのは卒業してから大分あとで、ポストロックやエモの良さがちゃんと分かり始めてからだった。それ以外はナンバーガールや銀杏ボーイズのフォロワーみたいなバンドが多かった。特にナンバーガールが好きそうなバンドは彼らの真似をして失敗しているケースが大半だった。そんな空気感があったシーンに満足していたら、もしかしたらこれ以上自分たちでなにかをやろうという気は起きなかったかもしれない。だが、僕たちが求めていたのはそこにないものだった。歌の力も重視しながらバンドという形態でやる意義があるものだった。思えばStraySheepsもそのようなスタイルの音楽性だった。2004年、入学当時の僕がやりたかったものはStraySheepsが2006年当時やっていたような音楽性だった。高岸とはそもそも音楽的方向性が一致して一緒にバンドを組んでいたのだ。ポップで攻撃的で楽しくてダンサブルで……XTCやロキシーミュージック、調子がいい時のブラー、アトラクションズ時代のエルヴィス・コステロ、チープ・トリック、サディスティック・ミカ・バンド、ファーストアルバムのビートルズ。大雑把にまとめてしまえばパワーポップと言えるかもしれない。ライブ映えするようなとにかくアッパーなバンドミュージックだった。前述したバンド達には勿論及ばないもののそれらに影響をきちんと感じさせるほどの素晴らしいバンドサウンドをStraySheepsは実現していたから、脱退した当初は自分がその輪の外側にいてとても悔しかったし、嫉妬もしていた。だが、様々な人との出会い、高良君や柳、錦や、それによってもたらされた今まで聴いてもこなかった音楽との出会い、ヒップホップ、テクノ、ハウス、や自分で掘って開拓してきた音楽によって、StraySheepsみたいな音楽が一番やりたいことではもうなくなっていた。音楽は続けてもバンドは辞めるという選択肢もあったかもしれない。一応ヒップホップや電子音楽の扉も開いてはいた。ただ、そこに一歩進むには僕はバンドミュージックにもうどっぷりとつかり過ぎていたのだと思う。ロックミュージックに拘る必要はもう本当にないなと心から思えたのは本当にごく最近のこと、僕がバンドを辞めてから十年以上たってからだった。
 というわけで僕のやりたいことはその時にはStraySheepsの音楽性とはずれた所にあったから、結果的には脱退して良かったし、彼らの音楽性と被ることもなさそうだったから新しくバンドを始めるのに変な気兼ねはいらなかった。で、どんなバンドをやりたいと思っていたかというと、まずバンドの形態としては柳に井の頭公園で言ったように複数のボーカリストと複数のソングライターだった。ボーカリストが複数いたほうが、歌に幅もでるし、一つのライブやアルバムの中でバリエーションもできるので好きだった。そして出来る事なら一曲の中で交互に歌ったり、コーラスも当然あった方がいいと思っていた。ビーチボーイズやイーグルスみたいなそこまでのハーモニーを要求はしないがビートルズぐらいのハーモニーは是非ともやりたかったし、クラッシュの、ジョー・ストラマーとミック・ジョーンズの掛け合いが大好きだったから、そういうのもやりたかった。複数のソングライターも肝だ。大抵複数のボーカリストがいるバンド(キッスやYMOなど)はその曲を歌うのはその曲を作った人だったりする(もちろん違うこともあるけれど)。それにバンドメンバーが全員曲が作れるバンドはアレンジも最高だった。TOTO、イーグルス、はっぴいえんどなど、バンドの教科書にのっても差し支えないようなアレンジを施せるバンドはメンバーの殆どが曲を作れたりするものだ。特にグレイプバイン、イーグルスなど、ドラマーが曲を作れると最高だ。そういうドラマーのドラミングには歌心が感じられて、ドラムの演奏をおっているだけで楽しいことが多い。ということで僕は、次にメンバーに加えるなら、歌えて、曲の作れるドラマーだと思っていた(結局その夢はかなわず仕舞いとなった)。さて、肝心の音楽性はどういうものかというと、歌、人間の声の力、詩をおろそかにしてないもの、そしてそこには熱量と、凄みを感じさせるものがあり、ある種の普遍性を備えている、という漠然とした、壮大な、それでいてほぼ何もいってないに等しいアイデアしかなかった。
 「なにか具体的にこういう曲っていうのはないのか」吉祥寺からの帰り道に僕の話をききながら柳が言った。
「ジェフ・バックリーの『ハレルヤ』、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『ハレルヤ』ピクシーズの『モンキー・ゴーン・トゥー・ヘヴン』R.E.Mの『レディオ・フリー・ヨーロッパ』レディオヘッドの『エアバッグ』……」といくつか羅列したあと、柳が前にいくつか披露してくれた曲にもそのような凄みが備わっていると力説した。
「おれのつくった曲がそんな風なのかはよくわからないけどやってみよう」柳はそういって僕とバンドを始めることを承諾してくれた。
 高岸はやりたいビジョンがあって、今できることをやりつつも段々そちらに近づけていくという現実的なアプローチをとっていたが、そのため途中でビジョンに合うものを提供できなくなった僕の居場所が徐々になくなっていった。対して柳は僕のビジョンや方向性に賛同してくれつつも結局はこの二人でできる事しかできないから、できることをとりあえずやってみようという考え方らしかった。結局僕たちはどうあがいてもビートルズにはなれない。よくも悪くも。ということもあって柳は僕が作ってきた曲は、文句をいうことも、吟味することもなく、全曲やってみようといってくれ、彼が作った曲はとにかく数が多いから、いくつか披露してもらって、どれをアレンジして曲として固めていくか、僕のなかのビジョンに合うものをチョイスしていった。僕は早速ライブをやりたいと思っていたし、柳から了解を取るとすぐに高岸がアレンジしてくれた例の大塚のライブハウスにブッキングをとることにした。あそこならデモテープやオーディション無しに、お金さえ払えば出れることは分かっていた。ただその前にバンド名を決めなくてはならなかった。
「なあ、バンド名なににするよ」
「俺はなんでもいい」柳はギターをひく手を止めずにいった。
「それじゃこまるんだよな……」僕はギターを置いて柳の部屋の本棚を物色し始めた。インスピレーションの源になりそうなものがあるかもしれない。柳の部屋には沢山のCDやレコードだけでなく、本、漫画も沢山あった。適当にバンド名候補を見つけるのに最適だ。『ゲンセンカン主人』『ねじ式』『孔子暗黒伝』『青い車』『童夢』『リバーズ・エッジ』『W3』……。『W3』? 手塚治虫の漫画だった。手塚治虫は結構読んでいて好きだったが、これは知らなかった。ダブリュースリーと書いてワンダースリーと読ませるらしかった。あらすじは三人の宇宙人が地球を一定期間観察にきて、酷いことばかりしている人類を滅ぼすべきか、そのままにしておくべきか判断するという、当時はどうだったかしらないが、今にしてみればよくある話だった。さわりだけ読んだら結構面白そうだった。
「柳、バンド名、W3ワンダースリーにしよう」
「OK」柳はこちらを振り返らず、ギターをひきながらいった。
「W」をワンダーと呼ぶのも洒落てるし、「素晴らしい三人」みたいな意味合いも、スリーピースバンドに最適だった。そう、いまは二人だけれども、そのうちドラマーは絶対に入れたいとおもっていたからそれを見越してスリーピースっぽいバンド名でもいいかとおもった。
「それからこの本、借りてくよ」『W3』をもって言ったが、何の本かも確認せずにまた「OK」と一言柳が返したから、そのままその日は『W3』を借りて電車に乗り込み続きを読んだ。大塚のライブハウスに着くと「W3」と書いたバンド名でブッキングをし、僕たちは六月の下旬のライブに出ることになった。

第三部第五話に続く

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