リバーポートソング第二部 第五話 九月だったが、まだ暑く日差しの強い日で、ホーム横の木々の緑が五月のように色濃く見えた。

【第二部 第四話はここから】

【あらすじと今までのお話一覧】

「バンドはやったことないけど、ギターは趣味でやってる。佐々木のベースと合わせたことぐらいはあるよ」部屋の隅のスタンドに立てかけられたギターをじっと見ていたら杉元が言った。佐々木君と僕は高校の時バンドをやっていたが、彼が杉元とも演奏した事があるという話は聞いたことなかった。
「弾いてみても良い?」
「勿論」
 とりあえずアンプにつながずにじゃかじゃか生音だけで弾いてみたが、それだけでいいギターだと思った。フェンダーのストラトキャスターで日本製だった。当時フェンダージャパンと言えばアメリカで作ってるものよりも比較的安価だが、音もそれなりといった印象で、アメリカ製のフェンダーが一般的にカラッとした抜けの良い音だとするならば、日本製はもっともっさりとした音という認識でいたが、杉元のもっていたギターはそのもっさり感に妙な艶やかさと深みがあって、今まで聞いたことないぐらいいい音がしたギターだった。その後すぐにアンプを通して弾いてみたが勿論いい音だった。音が少し大きすぎたのか、杉元は無言でアンプのヴォリュームを下げた。
 そのあと話題は自然と棚に置いてあるCDの話になった。杉元は柳の様なオールジャンルカバーするようなマニアックなリスナーではなかったが、だいぶUKロックに偏っていた(僕も柳と会うまでは結構そうだったが)佐々木君と違ってUSのオルタナティブロック方面も好きだったから話があった。当時は入手困難だったジェームス・ブラッド・ウルマーの『Are You Glad to Be in America?』やポップ・グループのセカンド『For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?』※①なども持っていて、そこで初めてそれらの音に触れたのだった。
「CDはほとんどもう買ってない。借りてパソコンに取り込んで、こいつで聴いてる」
 杉元は当時はまだ珍しかったiPod※②を持っていて、音楽は基本的にiPodかパソコンで聴いており、CDプレイヤーを持っていなかった。パソコンはONKYOのスピーカーに接続されていて、ウーファーも完備していたから、VictorのCDラジカセ※③しかない、僕の家よりもいい環境だった。今ではちょっと信じられないが音源だけを楽しむという発想が当時の僕にはなかった。外ならともかくうちで音楽を聴くときはCDについてる解説やアートワークを眺めたりしながらじっくり聴くのが習慣化していたため、CDを持たずに音源だけというのが信じられなかった。しかしこの後僕も徐々に聴きたい音楽と買えるCDの量が増えていくにつれCDを借りることが多くなり、パソコンに取り込んで聴くスタイルに徐々に変化していった。今では殆どスマホでサブスクで音楽を聴いている。CDは年に一、二枚しか買わない。
 杉元とはそれから割と頻繁に会うようになった。大学の帰りに彼の最寄り駅を電車で通過するので、定期を持っている僕が彼の家に遊びに行くことが多かった。彼はアニメのDVDや漫画を集めるのが趣味だったため、よく二人で彼のおすすめのアニメを見たり、漫画を読んだり、ゲームをしたりして過ごした。集るのは大抵は夜で、明け方までダラダラ遊んで始発で僕が帰ることが多かった。杉元の家は駅から割と遠かったので、明け方の道をとぼとぼと駅まで歩いていくのはだるかったが人のいない東京の街並みを一人で歩くのは気持ちがよかった。僕は大学に入ってから殆ど漫画を読まなくなっていたし、ゲームもしなくなっていたので、集中的に漫画を読んだりゲームをしたりする時間は楽しかった。柳とは違ったダラダラした時間が二人の間で流れた。2005年の夏はそうして終わった。僕たちは涼しいクーラーの効いた部屋で貴重な時間を食いつぶしていた。
 九月になった。ある日杉元が僕の家に遊びに来る事になった。僕の家にはゲームも漫画もなく、普通の大学生がダラダラ集まって遊ぶ様な娯楽に欠けていたので、あまり人を積極的に呼んでいなかった。家が近い柳ですらあまりきた事がなかった。それで何故杉元が遊びに来る事になったかというと、僕のCDコレクションをみてみたいからだった。
 実は杉元の家に行く時、僕はオススメのCDを度々何枚か持ってきていた。杉元は遊んでる間にそれらCDをパソコンに取り込んで(リッピング※④して)その日のうちに返した。持ってくるCDは僕のおススメだったが、彼は僕の家で借りたいCDを一度自分で直接選んでみてみたいようだった。
 当時僕のCDコレクションは千枚程度だったと思う。それは音楽に目覚めた小学五年生ぐらいからコツコツと集めてきたもので、上京してきてから中古CDも買うようになり爆発的に枚数が増えた。半分ぐらいは新品で、なけなしの小遣いやバイト代をやりくりして集めてきた物だった。収納は文庫本用の高さ1m20cmぐらいの棚を三つ買い、それをコの字型に並べて使っていた。収まりきらないCDもあってCDラジカセの上や、そのCD棚の上にうずたかく積み上げてあった。その他MDやカセットが大量に入った箱があり、ケースに入ったCDRも二百枚ぐらいあった。
「宝の山だね」僕のコレクションを見て杉元が言った。彼は一時間ぐらいかけてCD棚を物色し、彼があまり守備範囲としていなかったUKロック全般を三十枚ぐらい選んで、持ってきたリュックに詰めていった。借りるとしてもせいぜい十枚ぐらいだと思っていたので正直面食らった。
 その日はちょっと豪勢に、チェーン店ではあるが駅の近くにあるステーキ屋に入って夕飯を食べた。彼は明日バイトがあるとのことでそのまま駅で別れることになった。その帰り際、改札で杉元は言った。
「また来る。凄いコレクションだった。コツコツ通い詰めて棚にあるCD全部借りたいな」
「また来なよ」
 そういって精一杯明るい顔つきをしたつもりだったが、正直内心は怒りと戸惑いでかなり動揺していた。彼の厚かましさに腹がたったのもある、体のいい無料CDレンタル屋として扱われており、友情を蔑ろにされた気がしたのもある。しかし一番ダメージが大きかったのは、彼がやろうとしている僕のコレクションをそのままコピーするという行為だった。自分がコツコツためてきたコレクションは自分のアイデンティティのかなりの大きな部分であり、それをコピーされるのは、自分の存在価値をそのまま盗まれるのと同義である気がしたのだ。と、同時にショックだったのは、他人が作り出した芸術を集めたもの(そしてそれはコピーされた誰にでも手に入る商品)にアイデンティティのかなりの部分を自分が背負わせていたという事実である。それをとってしまったら僕には他には殆ど何も残っていないのでは、という恐怖心が植え付けられた。これは僕がまた自分で曲を作ることや音楽活動へ向かうため、音楽により深く向き合うための原動力となった。杉元にはそのきっかけを与えてくれた事に今では感謝している。が、その時はそんな視点も余裕も僕にはなく、彼に対するネガティブな感情が大きかった。そして彼も僕のちょっとした表情の変化に気が付かない程、愚かではなかった。何かまずいことを言ってしまったような雰囲気は感じ取ったようで、そそくさと改札奥へと消えていき、結局それ以降僕の家に来る事はなかった。その後また僕は何枚かCDを持参して彼の家に行き、そこで例の三十枚を返してもらって、しばらく彼と会うことはなかった。
 錦から久しぶりに連絡があったのはもうすぐ大学の後期が始まろうとしていた時期だった。新しい曲が何曲か出来たので柳と僕と三人でまた集って形にしてみたいという。ということでデモ音源をもらうためにまた錦と二人で会うことになり、錦はついでに服も見たいらしいから原宿駅※⑤で待ち合わせることになった。九月だったが、まだ暑く日差しの強い日で、ホーム横の木々の緑が五月のように色濃く見えた。有名な駅だったが思いのほか作りはシンプルで駅舎部分が殆どないのにはびっくりした。そして改札をでるとTVでよく見るおなじみのあの竹下通りがすぐ見えた。待ち合わせ五分前だったが、錦は既に来ていた。錦はいつものメガネをやめてコンタクトにしており、前あったときよりも髪がのびていた。当時スマホはなかったが携帯電話はあり、連絡はどこにいてもつくので、待ち合わせに不便を感じる事はそれほどなかった。ただ今より人と会う前に頻繁に連絡を取り合うこともなかったので、当時の待ち合わせと今の待ち合わせに微妙な差異がある。今は会う前から頻繁に連絡を取り合うことが多いから、出会ったときの「いた!」という驚きや喜びみたいなものが少ない気がするのだ。とにかく改札を出たときに錦がまっていたその光景をよく覚えている。五か月ぐらい会ってないだけだったが、彼女はずいぶん変わった。外見だけでなく心の持ちようも変化していた気がした。
「今日はメガネじゃないんだね。なんか新鮮」
「そうなの。今日はね」といって彼女は少し照れた様子だった。僕はもう少し踏み込んで何かを聞くべきかと思ったが何も言わずにたわいない話を始めた。原宿で降りるのは初めてという話をしたら、当然明治神宮に行ったこともないという話になり、本当にすぐ近くだから見ていこうということになった。時間だけはたっぷりあった。
 駅から少し歩くと本当に明治神宮があって、なるほど駅から見えていた木々は明治神宮の鎮守の森だったということをこの時初めて知った。そして名前だけは何度も聞いたことがあるこの有名な神社がこんな大都会の真ん中にあることも原宿みたいな騒がしそうな場所に隣接していることも当然初めて知ったのだった。当時はGoogleマップも詳細なネット上の地図なんかもまだまだ無く、あっても携帯でみるのに手間もかかったから、この様な地理上の発見は現地まで行かないと得られないことが多かった。
 鳥居をくぐるとそこはもう都会から切り離された別空間で、思ったより静かだった。人は田舎の仏閣よりも遥かに多く、そこが都会らしさを感じさせた。
「わすれないうちにわたしとくね」と言って錦がMDを二枚取り出した。僕と柳の分だ。あとで聴いてみると、MDからMDにダビングする機械がなかったからなのかわざわざ二回録音してくれたみたいで、それぞれ同じ曲が入っていたが微妙にニュアンスが違っていた。柳に渡す前に一応二枚聴いてみてそのことに気がついた僕は、二枚とも柳の家に持っていって、二人でそれぞれ聴き比べてみて、受ける印象の違いなどの意見を交換しながら、面白く聴いた。
「今回は五曲できたんだ。いままでよりも歌詞に拘って作ってみたつもり。実は歌詞から曲を書いてて」砂利道をザクザクいわせて前にすすみながら彼女は作曲に関するプロセスについて少しうつむき加減でゆっくりと話し始めた。彼女はいま、様々なアプローチで曲を作ることに挑戦しているという。もう、あれからなん十曲も出来ており、その中でも「まともに聴けるもの」を選んできたそうだ。彼女の作曲に対する積極的なアプローチにも相変わらず感心させられたが、歌詞から曲を書くというのが驚きだった。僕には歌詞から書き始めるという発想がなかった。というのも作詞こそ自分がもっとも苦手とする事だったからだ。曲の断片ばかり思いついてもそれをどう発展させるかも悩ましい問題だったが、それに歌詞をつけるとなるともうお手上げで、何時間も考えてみても何も浮かばないということが常だった。それなのにそれをのせる曲の骨格もないまま歌詞を先に書くというのは無から何かを取り出す行為に等しく思えた。
「どうやって歌詞を書いてるの? 僕にはさっぱりわからない。なにからどうやっていいのかわからないんだ」
 本当はもっと深い悩みで叫びだしたい気持ちだったが、なんてことないんだけどちょっと悩んでるという風に軽めの口調で言ったつもりだった。が、彼女は背景にあるものを感じ取ったのかすこし考えていった。
「例えばいま明治神宮を二人で歩いてるでしょ。このことを多分ずっと後で思い出すの。そしてその時どう感じたとかを後でじっくりと思い出して違う言葉で書き出すの」
「違う言葉?」
「そう、違う言葉で。明治神宮とか直接は言わないで同じような雰囲気を持つ別の場所をかえてみるとか登場人物を増やしてみるとか、でも思った事の感触はかえずに」
「どうしてわざわざ違う言葉で言い直す必要があるんだい」
「うーん。同じシチュエーションでもいいんだけど、それだと実際に起きたことに引っ張られちゃうから別な場面にして想像をふくらます余地をつくるためかな」
「そうか、ありがとう。今度やってみる」
 あまり響いてないのが伝わったのかそのあと暫く返答がなく、砂利を踏みしめる音が続いた。
「歌詞については私も最初全然思い通りにならなくて、中学生の時とかジュディマリとか椎名林檎の真似みたいな変な歌詞しか出てこなかった。けれど下手なりにいろいろとこねくりまわしていたら、ある日『これは』と思えるものが書けるようになってた。自転車に乗れるようになる感覚かな。でも本当に満足いく歌詞を書けるようになったのはあの伊豆合宿のほんのちょっと前だったりするんだ。実はね」
 なるほど僕にはまだ歌詞と格闘する時間が足りてないのかも知れない。
「確かまだ曲を書き始めてちょっとしか経ってないでんでしょ」
「うん。大学に入ってからだよ。ほんというと曲を書こうという発想すらなかったんだ。選ばれた人の特権だと思ってた」
 そんな事はないと言って彼女は笑った。
「昔の私とは違って既に色々聴いてるわけじゃない。それで歌詞のハードルが上がってるんじゃないかな。言い方悪いかもだけと本当にどうでもいい歌詞をかいてみるのはどう?」
「お腹すいたとか眠いとか?」
「そう! あとは『ラーメン食べたい』とかね」
「あれは名曲だね※⑥
 この会話のおかげで少し何か掴めた気がした。
 気がつくとまた大きな鳥居の前まで来ており、そこをくぐって本殿の方へ向かう。本殿の前まで行くと満足して、僕たちは元来た道を引き返し、そこから先はもうバンドの話はしなかった。
 鎮守の森からまた原宿の喧騒にもどると、僕が行ったことがないという理由で、竹下通りに向かった。てっきりこの竹下通りで服を買うものだと思っていたが、なるほどそれは違うということが雰囲気でわかった。年齢層が低い。女子高生だけでなくローティーンが多かった。良い時間だったから僕たちはファーストフードでカジュアルにおなかを満たした。明治通りに出てラフォーレ原宿に行き、裏原※⑦で何件か回った。完全なレディースの店などは外で少し待ったり、別の店にいったり割と自由に過ごした。彼女が試着している間、彼氏みたいに試着室の前に張り付いてるのも変だったので、店の中をぶらぶらしたり、たまに意見を求められたりしたときは「似合ってる」とか「さっきのほうが良かった」とか、気を使い過ぎるのも変な気がしたので率直に答えた。それも良くないのかもしれないけど、正解もわからない。「この時はこう答えるべし」みたいな、そういう人間関係の不文律をもう気にしすぎることなく無視して生きる覚悟がこの頃だんだんと身についてきた様な気がした。こちらの都合の良い解釈なのかもしれないが、それは彼女が「思っていることを素直に言ってほしいタイプ」にみえたのもある。一応僕も彼女に選んでもらって古着屋で白のブラウスと淡いピンクのTシャツを買った。淡い上品な色合いの絶妙なピンクだったがこれを買おうという発想が僕にはまるでなかったので面白かった。次の練習の時早速着ていこうと思った。最後に僕たちは表参道を青山方面まで歩いて行き、ここまでいくともう原宿は離れすぎているから表参道駅から半蔵門線で永田町まで行き、乗り換えて有楽町線で池袋方面まででることにした。錦のアイデアだ。言われてみれは彼女はずっと東京を遊び場として十代を過ごしてきたのだ。今日一日彼女とずっと一緒にいて、他愛ない話をして僕は彼女のことを何にも知らなかったということがよくわかった。洗練された都会的な気質が彼女にはあって、それが彼女の創作活動にもポジティブな影響を与えていることにもやっと気づけた。それは田舎で育った僕とは大違いだった。羨ましくないといえばうそになるが、嫉妬心とかではなく、ただただそういう事実に唸るしかなかった。
 錦は池袋から西武池袋線なので途中で降りることになる。僕たちは地下鉄に乗っている間座らずに立ってずっとしゃべっていた。そこには何かしらの熱量みたいたものが発生していた。そのまま乗っていれば僕は家までは直だったが、勢いで一緒に池袋で降り、そのままなぜか西武線のホームまで見送りに来てしまっていた。彼女が乗る電車がもうきていたが出発まで時間があったからホームでまたずっとしゃべっていた。突然空白の時間が訪れて僕たちはキスをした。長い長いキスだった。腕に通した買い物袋がこすれあってずっとガサガサなっていた。発射のベルがなって彼女はあわてて電車に飛び乗り、じゃあねと彼女が言って扉がしまり電車が出発した。

第二部 第六話に続く

※①副都心線が開業している2008年以降だったら明治神宮前駅で待ち合わせだったかもしれない。

※②「ラーメン食べたい」は矢野顕子の名曲。基本的にラーメンを真剣に食べる様子が描写された歌詞だが、「色々としんどい事もあるがしぶとく前向きにいくという覚悟」を感じさせる内容になっている。

※③裏原宿のこと。服飾洋品店が集まっているエリア。当時は裏原宿が一番盛り上がっていた時期が終わろうとしていたころで、割と落ち着いて見れたと思う。

※④ジェームス・ブラッド・ウルマーはアフリカン・アメリカンのジャズギタリストでオーネット・コールマンに影響を受けた音楽スタイルで有名。『Are You Glad to Be in America?』は彼の代表作だったが、長らく廃盤で入手困難だった。ポップ・グループはイギリスブリストル出身のポストパンクバンド。彼らのセカンドアルバム『For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?』も当時入手困難で5000円ぐらいで中古市場で出回っていた。

※⑤2001年に発表され2022年に発売終了したAppleのデジタルオーディオプレイヤー。

※⑥実家にあったCDコンポがVictor製だったこともあり、僕はVictorの音が好きだ。Panasonicに比べるとだいぶ音がこもった感じがしてそれが好みで、上京した時もわざわざVictorのCDラジカセを買った。ちなみに当時カセットテープはとっくに過去の遺物になっていたが、実家でカセットに録音したラジオ音源などを聴きたかったので、わざわざカセット機能がついているものを買った。

※⑦記憶が定かではないが当時のリッピングスピードはかなり遅く、4、5枚取り込むのに1時間ぐらいかかった気がする。今なら15分かからない。

第二部 第六話に続く

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