リバーポートソング第二部 第九話 自分がコツコツためてきたコレクションは自分のアイデンティティのかなり大きな部分であり、それをコピーされるのは、自分の存在価値をそのまま盗まれるのと同義である気がした

【第二部 第八話はここから】

【あらすじと今までのお話一覧】

「バンドはやったことないけど、ギターは趣味でやってる。佐々木のベースと合わせたことぐらいはあるよ」部屋の隅のスタンドに立てかけられたギターをじっと見ていたら杉元が言った。佐々木君と僕は高校の時バンドをやっていたが、彼が杉元とも演奏した事があるという話は聞いたことなかった。
「弾いてみても良い?」
「勿論」
 とりあえずアンプにつながずにじゃかじゃか生音だけで弾いてみたが、それだけでいいギターだと思った。フェンダーのストラトキャスターで日本製だった。当時フェンダージャパンと言えばアメリカで作ってるものよりも比較的安価だが、音もそれなりといった印象で、アメリカ製のフェンダーが一般的にカラッとした抜けの良い音だとするならば、日本製はもっともっさりとした音という認識でいたが、杉元のもっていたギターはそのもっさり感に妙な艶やかさと深みがあって、今まで聞いたことないぐらいいい音がしたギターだった。その後すぐにアンプを通して弾いてみたが勿論いい音だった。音が少し大きすぎたのか、杉元は無言でアンプのヴォリュームを下げた。
 そのあと話題は自然と棚に置いてあるCDの話になった。杉元は柳の様なオールジャンルカバーするようなマニアックなリスナーではなかったが、だいぶUKロックに偏っていた(僕も柳と会うまでは結構そうだったが)佐々木君と違ってUSのオルタナティブロック方面も好きだったから話があった。当時は入手困難だったジェームス・ブラッド・ウルマーの『Are You Glad to Be in America?』やポップ・グループのセカンド『For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?』※①なども持っていて、そこで初めてそれらの音に触れたのだった。
「CDはほとんどもう買ってない。借りてパソコンに取り込んで、こいつで聴いてる」
 杉元は当時はまだ珍しかったiPod※②を持っていて、音楽は基本的にiPodかパソコンで聴いており、CDプレイヤーを持っていなかった。パソコンはONKYOのスピーカーに接続されていて、ウーファーも完備していたから、VictorのCDラジカセ※③しかない、僕の家よりもいい環境だった。今ではちょっと信じられないが音源だけを楽しむという発想が当時の僕にはなかった。外ならともかくうちで音楽を聴くときはCDについてる解説やアートワークを眺めたりしながらじっくり聴くのが習慣化していたため、CDを持たずに音源だけというのが信じられなかった。しかしこの後僕も徐々に聴きたい音楽と買えるCDの量が増えていくにつれCDを借りることが多くなり、パソコンに取り込んで聴くスタイルに徐々に変化していった。今では殆どスマホでサブスクで音楽を聴いている。CDは年に一、二枚しか買わない。

 杉元とはそれから割と頻繁に会うようになった。大学の帰りに彼の最寄り駅を電車で通過するので、定期を持っている僕が彼の家に遊びに行くことが多かった。彼はアニメのDVDや漫画を集めるのが趣味だったため、よく二人で彼のおすすめのアニメを見たり、漫画を読んだり、ゲームをしたりして過ごした。集るのは大抵は夜で、明け方までダラダラ遊んで始発で僕が帰ることが多かった。杉元の家は駅から割と遠かったので、明け方の道をとぼとぼと駅まで歩いていくのはだるかったが人のいない東京の街並みを一人で歩くのは気持ちがよかった。僕は大学に入ってから殆ど漫画を読まなくなっていたし、ゲームもしなくなっていたので、集中的に漫画を読んだりゲームをしたりする時間は楽しかった。柳とは違ったダラダラした時間が二人の間で流れた。2005年の夏はそうして終わった。僕たちは涼しいクーラーの効いた部屋で貴重な時間を食いつぶしていた。

 9月になった。ある日杉元が僕の家に遊びに来る事になった。僕の家にはゲームも漫画もなく、普通の大学生がダラダラ集まって遊ぶ様な娯楽に欠けていたので、あまり人を積極的に呼んでいなかった。家が近い柳ですらあまりきた事がなかった。それで何故杉元が遊びに来る事になったかというと、僕のCDコレクションをみてみたいからだった。
 実は杉元の家に行く時、僕はオススメのCDを度々何枚か持ってきていた。杉元は遊んでる間にそれらCDをパソコンに取り込んで(リッピング※④して)その日のうちに返した。持ってくるCDは僕のおススメだったが、彼は僕の家で借りたいCDを一度自分で直接選んでみてみたいようだった。
 当時僕のCDコレクションは千枚程度だったと思う。それは音楽に目覚めた小学五年生ぐらいからコツコツと集めてきたもので、上京してきてから中古CDも買うようになり爆発的に枚数が増えた。半分ぐらいは新品で、なけなしの小遣いやバイト代をやりくりして集めてきた物だった。収納は文庫本用の高さ1m20cmぐらいの棚を三つ買い、それをコの字型に並べて使っていた。収まりきらないCDもあってCDラジカセの上や、そのCD棚の上にうずたかく積み上げてあった。その他MDやカセットが大量に入った箱があり、ケースに入ったCDRも二百枚ぐらいあった。
「宝の山だね」僕のコレクションを見て杉元が言った。彼は一時間ぐらいかけてCD棚を物色し、彼があまり守備範囲としていなかったUKロック全般を三十枚ぐらい選んで、持ってきたリュックに詰めていった。借りるとしてもせいぜい十枚ぐらいだと思っていたので正直面食らった。
 その日はちょっと豪勢に、チェーン店ではあるが駅の近くにあるステーキ屋に入って夕飯を食べた。彼は明日バイトがあるとのことでそのまま駅で別れることになった。その帰り際、改札で杉元は言った。
「また来る。凄いコレクションだった。コツコツ通い詰めて棚にあるCD全部借りたいな」
「また来なよ」
そういって精一杯明るい顔つきをしたつもりだったが、正直内心は怒りと戸惑いでかなり動揺していた。彼の厚かましさに腹がたったのもある、体のいい無料CDレンタル屋として扱われており、友情を蔑ろにされた気がしたのもある。しかし一番ダメージが大きかったのは、彼がやろうとしている僕のコレクションをそのままコピーするという行為だった。自分がコツコツためてきたコレクションは自分のアイデンティティのかなりの大きな部分であり、それをコピーされるのは、自分の存在価値をそのまま盗まれるのと同義である気がしたのだ。と、同時にショックだったのは、他人が作り出した芸術を集めたもの(そしてそれはコピーされた誰にでも手に入る商品)にアイデンティティのかなりの部分を自分が背負わせていたという事実である。それをとってしまったら僕には他には殆ど何も残っていないのでは、という恐怖心が植え付けられた。これは僕がまた自分で曲を作ることや音楽活動へ向かうため、音楽により深く向き合うための原動力となった。杉元にはそのきっかけを与えてくれた事に今では感謝している。が、その時はそんな視点も余裕も僕にはなく、彼に対するネガティブな感情が大きかった。そして彼も僕のちょっとした表情の変化に気が付かない程、愚かではなかった。何かまずいことを言ってしまったような雰囲気は感じ取ったようで、そそくさと改札奥へと消えていき、結局それ以降僕の家に来る事はなかった。その後また僕は何枚かCDを持参して彼の家に行き、そこで例の三十枚を返してもらって、しばらく彼と会うことはなかった。

第二部第十話に続く

※①ジェームス・ブラッド・ウルマーはアフリカン・アメリカンのジャズギタリストでオーネット・コールマンに影響を受けた音楽スタイルで有名。『Are You Glad to Be in America?』は彼の代表作だったが、長らく廃盤で入手困難だった。ポップ・グループはイギリスブリストル出身のポストパンクバンド。彼らのセカンドアルバム『For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?』も当時入手困難で5000円ぐらいで中古市場で出回っていた。

※②2001年に発表され2022年に発売終了したAppleのデジタルオーディオプレイヤー。

※③実家にあったCDコンポがVictor製だったこともあり、僕はVictorの音が好きだ。Panasonicに比べるとだいぶ音がこもった感じがしてそれが好みで、上京した時もわざわざVictorのCDラジカセを買った。ちなみに当時カセットテープはとっくに過去の遺物になっていたが、実家でカセットに録音したラジオ音源などを聴きたかったので、わざわざカセット機能がついているものを買った。

※④記憶が定かではないが当時のリッピングスピードはかなり遅く、4、5枚取り込むのに1時間ぐらいかかった気がする。今なら15分かからない。

第二部第十話に続く

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