音楽連載小説 第七話

【第六話はここから】

打ち上げが終わったのは9時半ごろで、外は雨だった。僕らは間抜けな事に傘を持ってきていなかった。エーテルワイズには機材車があってそれはギタリストのコネによるものらしかった。彼は僕らも送ってくれようとしたが僕たちは丁重に断って駅までずぶ濡れになりながら走っていった。当時の大塚駅は山手線の中で最も古めかしい駅舎の一つで僕らはそこに駆け込んでしばらく呼吸を整えながら機材や楽器の点検をした。不思議と僕たちは何にも会話をしなかった。ただずぶ濡れで電車に乗り、車窓に打ち付ける雨粒と夜の東京を見ていた。高田馬場で降りると、駅前で2人ともビニール傘を買って、僕は地下鉄で高岸は徒歩で帰路に着いた。家に着いたのはなんだかんだで11時近くで、ギターと高岸から預かった機材の無事を確かめると、ずぶ濡れになった服を洗濯機に放り込んで湯船に浸かって今日1日の出来事を振り返った。高岸は僕の同意を待つ事なくすぐに石田さんの提案を承諾した。彼からすると願ってもない好条件だった。エーテルワイズのドラマーは石崎さんと言って、彼は「けいちゃんがそう言うならオレ叩くよ」言ってバンドに加入してくれるみたいだった。早速次の土曜に池袋のスタジオで集まる事になり、新しいバンド名のアイデアとそれぞれのオリジナルの音源を持ち合う事になった。スタジオでは手始めにカバーをやってみる事になった。とりあえず三曲、チープ・トリックの「サレンダー」(高岸発案)、ツインボーカルの具合を見るため、スーパーカーの「Lucky」(石田さん発案)、クランベリーズの「ドリームス」(石崎さん発案)をやる事になった。僕は機材を届けがてら、ギターパートの割り振りをする為に早速高岸の家に次の日に行くことになっていた。僕は湯船につかりながらそのまま新しいバンド名をぐるぐると考え始めた。以前候補に挙げたものをもう一度推してみるのも手だけどなんかしっくりこなかった。もう高岸と2人だけのバンドではないのだ。風呂から出るともう深夜2時で疲れ果ててドライヤーもかけずに寝てしまった。

次の日高岸の家に着くと彼は※①昨日のライブの音源を聴いていた。練習の成果か一曲目以外はなんとか聴けるものになっていた。僕らはそれを※②MDに録音しながら始めから終わりまで聴いた。あまりライブの感想については意見交換せずに僕らは次の集まりの為のギターの割り振りをする事にした。

チープ・トリックの「サレンダー」は基本僕がバッキングで高岸はボーカルに専念、イントロとかのシンセフレーズだけは高岸がエフェクターでそれっぽいのを再現する事になった。サビは僕もユニゾンで歌うことになった。石田さんにはハモリを後で高岸からメールでお願いしてくれるそうだ。スーパーカーの「Lucky」は高岸がパワーコードのバッキングで僕がリードになった。コレぐらいならなんとか耳コピ出来そうだった。わからないところがあれば高岸に聞くという事にした。クランベリーズの「ドリームス」は僕がアルペジオのメインギターで高岸がハモリとバッキングになった。耳コピに慣れてない僕にとっては中々厳しい条件だった。当時はネットにタブ譜が無いことも無かったが、御目当ての曲があるとは限らなかったし、テキストでなんとかタブ譜を表現したような海外のサイトしかなかった。かといって僕にはわざわざこの為に楽譜を買う余裕も無かった。

外に出るともすでにあたりは暗くなりかけていて、初夏特有のモヤッとした空気がすっと胸に飛び込んできた。夜と夕方の境界線で僕たちは影絵の世界の住人みたいになった。何故かこの時の風景や空気の質感が僕の記憶の中に焼き付いている。そんな瞬間の積み重ねがこの人生を有意義にしているとは思わないだろうか。

「ゆでめんでも食べよう。美味しいのがあるんだ」といって高岸は風間食堂という小ぢんまりとした定食屋に連れてってくれた。正直高岸に言いたいことは沢山溜まっていた。僕としてはあの場で石田さんに返事をせずに2、3日2人で相談したかったのに、勝手に話を進めてしまった事が最大の不満だった。でも言っても意味がないことは明白だったから僕はその言葉をゆでめんと一緒に飲み込んた。この間の矢野屋のラーメンよりはうまかった。「ここの親父、細野晴臣に似てない?」と小声で高岸がいうから振り返って見てみると確かに似ていた。「お前はミュージシャンに似てる店主がいる店をオレに紹介するのが趣味なのか」と言って僕は笑った。

その週は大学にもちゃんと行きつつ、ギターの練習をする日々だった。バンド名に関しては結局だらだらと約束の日までに考えてきたもののなにも思い浮かばず、パッと英和辞典を開いたページにあったものがStray Sheepだった。迷える羊。それを単純に複数形にしてつけた名前が※③Stray Sheepsだった。そのほかに※④The Great Escapeも思いついた。忘れそうだったのでメモ帳に適当にそれらを殴り書きした。Stray Sheeps はメモに書く段になってスペルがわからなくなり、時間もなかったので平仮名で「すとれいしーぷす」と書き殴って慌ててうちを出た。

7月になっていた。もうすぐ学校も期末テストやレポートの季節だ。やらなくてはならない事は沢山あった。後で詳しく書こうと思うがバイトもあった。時間が僕らには無かった。電車に揺られながら僕は何をどうこなしていこうか考えていた。

池袋に着くと休日の人波に流されながらなんとかスタジオに定刻通りに着いた。マイクやシールドやらを店員から受け取りながら「ギリ間に合ったな」と高岸が言った。僕以外の三人はすでに何分か前に来ていたらしく、受付近くのテーブルで石田さんと石崎さんはくつろいでいた。石田さんは髪をゴムでまとめている所で、石崎さんはスティックで膝を叩いていた。「おっ来たね、じゃいこうか」と石田さんは快活に言ってベースを背負ってスタジオへ向かった。

第八話に続く

※①オプションでお金を払えばライブハウスが音源を録音してCDに焼いてくれるサービスがあった。今ならサイトでダウンロードになるのだろうか?

※②MDはミニディスクの略で、出た当初はCDに代わるものとして出てきて、MDでリリースされたアルバムも沢山あった。僕は青森のジャスコのCD屋でビリー・ジョエルとマイケル・ジャクソンのMDアルバムを見た。ところがCDより更に小さくなったアートワークは更に情緒にかけるもので、所有欲を喚起するには不十分だったのか、カセットに代わる記録媒体として利用されるに留まり、更にパソコンでCDが焼ける時代がすぐに訪れて、当時すでに廃れてきていた。

※③Sheepの複数系は同じくsheepなので文法としてはstray sheeps は破格となる。当時はそんなこと知らなかったけど、それはそれでいいと思ってる。わざと文法的に破格にする表現は音楽ではよくあることなのだから。

※④映画『大脱走』の原題。日常という名の牢獄から抜け出す音楽、という意味で付けた。僕としてはコレが一押しだった。その時はそう思っていたが、JUDY AND MARYのベストアルバムが同じタイトルで、そこから無意識に拝借したのかもしれない。

第八話に続く

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