リバーポートソング 第四話 石田さんはそれを読むと吹き出して「まじめにやれ」と笑いながら石崎さんに軽くチョップした。

【第三話はここから】

【あらすじと今までのお話一覧】

 打ち上げが終わったのは九時半ごろで、外は雨だった。僕らは間抜けな事に傘を持ってきていなかった。エーテルワイズには機材車があってそれはギタリストのコネによるものらしかった。彼は僕らも送ってくれようとしたが僕たちは丁重に断って駅までずぶ濡れになりながら走っていった。当時の大塚駅は山手線の中で最も古めかしい駅舎の一つで僕らはそこに駆け込んでしばらく呼吸を整えながら機材や楽器の点検をした。不思議と僕たちは何にも会話をしなかった。ただずぶ濡れで電車に乗り、車窓に打ち付ける雨粒と夜の東京を見ていた。高田馬場で降りると、駅前で二人ともビニール傘を買って、僕は地下鉄で高岸は徒歩で帰路に着いた。家に着いたのはなんだかんだで十一時近くで、ギターと高岸から預かった機材の無事を確かめると、ずぶ濡れになった服を洗濯機に放り込んで湯船に浸かって今日一日の出来事を振り返った。
 高岸は僕の同意を待つ事なくすぐに石田さんの提案を承諾した。彼からすると願ってもない好条件だった。エーテルワイズのドラマーは石崎さんと言って、彼は「けいちゃんがそう言うならオレ叩くよ」言ってバンドに加入してくれるみたいだった。早速次の土曜に池袋のスタジオで集まる事になり、新しいバンド名のアイデアとそれぞれのオリジナルの音源を持ち合う事になった。スタジオでは手始めにカバーをやってみる事になった。とりあえず三曲、チープ・トリックの「サレンダー」(高岸発案)、ツインボーカルの具合を見るため、スーパーカーの「Lucky」(石田さん発案)、クランベリーズの「ドリームス」(石崎さん発案)をやる事になった。僕は機材を届けがてら、ギターパートの割り振りをする為に早速高岸の家に次の日に行くことになっていた。
 僕は湯船につかりながらそのまま新しいバンド名をぐるぐると考え始めた。以前候補に挙げたものをもう一度推してみるのも手だけどなんかしっくりこなかった。もう高岸と二人だけのバンドではないのだ。風呂から出るともう深夜二時で疲れ果ててドライヤーもかけずに寝てしまった。
 次の日高岸の家に着くと彼は※①昨日のライブの音源を聴いていた。練習の成果か一曲目以外はなんとか聴けるものになっていた。僕らはそれを※②MDに録音しながら始めから終わりまで聴いた。あまりライブの感想については意見交換せずに僕らは次の集まりの為のギターの割り振りをする事にした。
 チープ・トリックの「サレンダー」は基本僕がバッキングで高岸はボーカルに専念、イントロとかのシンセフレーズだけは高岸がエフェクターでそれっぽいのを再現する事になった。サビは僕もユニゾンで歌うことになった。石田さんにはハモリを後で高岸からメールでお願いしてくれるそうだ。スーパーカーの「Lucky」は高岸がパワーコードのバッキングで僕がリードになった。コレぐらいならなんとか耳コピ出来そうだった。わからないところがあれば高岸に聞くという事にした。クランベリーズの「ドリームス」は僕がアルペジオのメインギターで高岸がハモリとバッキングになった。耳コピに慣れてない僕にとっては中々厳しい条件だった。当時はネットにタブ譜が無いことも無かったが、御目当ての曲があるとは限らなかったし、テキストでなんとかタブ譜を表現したような海外のサイトしかなかった。かといって僕にはわざわざこの為に楽譜を買う余裕も無かった。
 外に出るともすでにあたりは暗くなりかけていて、初夏特有のモヤッとした空気がすっと胸に飛び込んできた。夜と夕方の境界線で僕たちは影絵の世界の住人みたいになった。何故かこの時の風景や空気の質感が僕の記憶の中に焼き付いている。そんな瞬間の積み重ねがこの人生を有意義にしているとは思わないだろうか。
「ゆでめんでも食べよう。美味しいのがあるんだ」といって高岸は風間食堂という小ぢんまりとした定食屋に連れてってくれた。正直高岸に言いたいことは沢山溜まっていた。僕としてはあの場で石田さんに返事をせずに二、三日二人で相談したかったのに、勝手に話を進めてしまった事が最大の不満だった。でも言っても意味がないことは明白だったから僕はその言葉をゆでめんと一緒に飲み込んた。この間の矢野屋のラーメンよりはうまかった。「ここの親父、細野晴臣に似てない?」と小声で高岸がいうから振り返って見てみると確かに似ていた。「お前はミュージシャンに似てる店主がいる店をオレに紹介するのが趣味なのか」と言って僕は笑った。
 その週は大学にもちゃんと行きつつ、ギターの練習をする日々だった。バンド名に関しては結局だらだらと約束の日までに考えてきたもののなにも思い浮かばず、パッと英和辞典を開いたページにあったものがStray Sheepだった。迷える羊。それを単純に複数形にしてつけた名前が※③StraySheepsだった。そのほかに※④The Great Escapeも思いついた。忘れそうだったのでメモ帳に適当にそれらを殴り書きした。StraySheeps はメモに書く段になってスペルがわからなくなり、時間もなかったので平仮名で「すとれいしーぷす」と書き殴って慌ててうちを出た。
 七月になっていた。もうすぐ学校も期末テストやレポートの季節だ。やらなくてはならない事は沢山あった。後で詳しく書こうと思うがバイトもあった。時間が僕らには無かった。電車に揺られながら僕は何をどうこなしていこうか考えていた。
 池袋に着くと休日の人波に流されながらなんとかスタジオに定刻通りに着いた。マイクやシールドやらを店員から受け取りながら「ギリ間に合ったな」と高岸が言った。僕以外の三人はすでに何分か前に来ていたらしく、受付近くのテーブルで石田さんと石崎さんはくつろいでいた。石田さんは髪をゴムでまとめている所で、石崎さんはスティックで膝を叩いていた。「おっ来たね、じゃいこうか」と石田さんは快活に言ってベースを背負ってスタジオへ向かった。

 スタジオで一番最初にセッティングが終わるのが多分ドラマーだ。自前の※⑤ドラムセット持参なら一番時間がかかるが、大抵はペダルとスネアドラムとスティックしか持ち込まない人が多い。そうするとペダルをセットしてスネアやタムタムをチューニングして、シンバルなどの調整をしてフルセットのバランスを見たら終了だ。その段階でギタリストたちはまだシールドを繋いでアンプを温めて、エフェクターを準備し終わってチューニングしてたりするから、ドラマーはドラムを練習してないでマイクをセットしてあげるとめちゃくちゃ親切だし早く全体練習を始める事ができる。石崎さんは正にそんな人でドラムをセットして少し叩くと石田さんと高岸と僕のマイクをセットしてマイク用のPA卓の調整までしてくれていた。石崎さんは石田さんと同じ池袋の大学に通っていて、彼女とは※⑥お馴染みだそうだ。高校では柔道をやっていたという事で身体はガッチリしており、ドラマー向きの体型と言えた。しかし、後で分かる事だが、ドラムプレイはダイナミックで単純なプレイというよりは意外と繊細なプレイを好んでおり、そのギャップがなんだか面白かった。
 石崎さんの協力のおかげで準備が早く終わり十分もたたないうちに我々は最初の音合わせに入った。最初はスーパーカーの「Lucky」をやった。「Lucky」はスーパーカー初期の名曲で男女ツインボーカルのポップなギターロックナンバーだ。それぞれのパートにそれぞれ美味しいフレージングがあってギターポップのお手本のようなナンバーである。ただ我がバンドの二人のボーカリストの歌唱スタイルとはちょっと違っていて歌いにくそうではあった。ただバンドとしての手応えは確かに感じられた一曲だった。「結構いいじゃん」と石田さんは終わってから笑顔で言った。
 「サレンダー」はチープ・トリックの代表作で、パワーポップの親玉みたいな曲でライブで盛り上がるアンセム的な賑やかさとどこか切ないメロディーが同居した完璧な曲だ。高岸がメインボーカルなんだけど、石田さんがサビでハモリを入れ、その歌い方がかなり情感がこもっていてグッと来てしまった。とにかくこの人には他の人には無い華があった。またベースラインが実は目立つ曲で、石田さんは※⑦リッケンバッカーを使っていたのだが、そのゴリゴリとしたトーンがまたしても曲に映えていた。彼女のスター性と華やかさに僕らが追いつく事が出来れば素晴らしいバンドになる事は間違いなかった。
 「ドリームス」はアイルランドのバンド、クランベリーズの初期の代表作で、シンプルで透明感があって広大な自然を想起させる楽曲だ。この曲は石田さんがメインボーカルで高岸がコーラスをつけた。しかし我々のバンドスタイルとはちょっと趣きが異なっていた様であんまりしっくりとこなくて、選者の石崎さんも「すまんな」と言っていた。ただ石崎さんが石田さんに「ドリームス」を歌わせたかったのはなんとなく理解できる。
 その後は出来の良い最初の二曲を何回か通して、それから軽くジャムセッションをした。高岸は「サレンダー」の前に※⑧「This next song is the first song on our new album.」というギャグを入れて、滑っていた。最後に一曲づつ通してその日のスタジオ練習は終わった。僕たちは確かな手応えを感じていた。
 僕はそのスタジオは初めてだったので、終わった後会員登録が必要でカウンターで色々と手続きが必要だった。高岸は早めに来ていて練習前に済ませていたようだ。スタジオ代は今日は先輩たちが持ってくれるということで、申し訳ないと思いつつ万年金欠気味の僕たちにはありがたかった。
 先輩方二人は僕ら上京組を駅前から少し離れた静かなカフェに連れてってくれた。都会のファミレスに静けさなど存在しない。落ち着いて話しができるように、という粋な計らいだった。
 「昼食べた人ー」と石田さんが言った。結局高岸意外全員食べてなかったので、昼食も兼ねたミーティングになった。僕はロコモコなるものを初めて食べた。午後は二時半になっていた。
 僕たちはどうやら第一関門を突破したみたいだった。全員が手応えを感じていたようで出来るだけ早くこのメンツでライブをやるという事がまず初めに決まった。「オレブッキングやっとくわ」と石崎さんがライブハウスを九月上旬ごろにとってくれる事になった。後は曲だ。とりあえずお互いの音源を交換してその中から二曲ぐらいずつ、後は可能ならこのメンバーでの新曲を二曲ぐらいやりたいという話になった。
「僕らはケイティーズの曲をやることに支障は無いですけど、エーテルワイズの曲このバンドでやっちゃっていいんですか」と高岸が僕もちょっと気になってた事を言った。「うん、それなら殆どの曲は私作ってるから大丈夫」と石田さんが言ったので僕らはエーテルワイズで良かった曲を伝えて次回はそれを僕らなりのギターアレンジでやってみることになった。石田さんも石崎さんもケイティーズで良かった曲を挙げてくれたが、曲のクオリティの差は歴然だったので僕ら二人とも曲を書き直してくると言った。という事で次回はエーテルワイズの曲の三曲とカバーをやることにした。僕たちは新しい曲を覚える負担もあるので、カバーは僕たちで後で決めて良いという事だった。
「後はバンド名だね」と石田さんが楽しそうに言った。バンド名は宿題として今回それぞれが候補を発表することになっていた。候補を箇条書きにしようと高岸がメモ張とボールペンを取り出した。「どうせ何にも考えてないんでしょ」と石田さんが石崎さんを見て言った。石崎さんはニッと笑って、高岸のボールペンを拝借すると紙ナプキンにバンド名を書き始め、書き終わるとそれを石田さんに「ほれ」と手渡した。石田さんはそれを読むと吹き出して「まじめにやれ」と笑いながら石崎さんに軽くチョップした。僕と高岸が石田さんが※⑨テーブルに置いた紙ナプキンを覗き込むとそこにはこうあった。

・エロマンガアイランド
・タイラント
・ティファ

「君は私に『どもーエロマンガアイランドでーす』って言わせたいだけでしょ」この二人の夫婦漫才みたいなやりとりは側から見ていてとても気持ちが良かった。僕は正直スタジオに入るまでは彼らのことをあんまり好んでいなかった。しかしこの時にはもう二人の事を好きになっていた。

第五話に続く

※⑤安いスタジオにありがちなのがドラムセットがめちゃくちゃしょぼいことだ。ドラムの音が貧弱だと本当に萎えるからスタジオを選ぶ時にどのドラムセットが備え付けてあるか、僕らはギターアンプの装備以上に気にしていた。

※⑥幼なじみというものは漫画の世界ほどの頻度ではないにしろ割といて、僕は幼なじみで結婚したカップルも二組ほど知っている。

※⑦リッケンバッカーのベーシストといえば、ロジャー・グルーバー(ディープ・パープル)、レミー・キルミスター(モーターヘッド)、クリス・スクワイア(イエス)、クリフ・バートンである。これらの音楽を聴いてもらえば、リッケンバッカーベースのその特徴的な音色を理解していただけるだろう。

※⑧チープ・トリックの『Cheap Trick at Budokan』で「サレンダー」を演奏する前のMCがこのセリフ。ビースティー・ボーイズもサンプリングしていた。

※⑨エロマンガ島(Erromango Island)は南太平洋に位置する実在の島。タイラントはサバイバルホラーゲーム『バイオハザード』に出てくるボスキャラ。ティファはこれまたゲーム『ファイナル・ファンタジーVII』に出てくるキャラクターのティファ・ロックハートからで、確かに石田さんに似ているのでバンド名にしたい気持ちもわかる。バイオもFF VIIも地元の友達のほぼ100%がやっていたゲームと言っても過言ではなく、文化現象だった。僕たちはベレッタやコルトパイソンなどの銃器の名前に異様に詳しくなったし、エアリスやティファに恋していた。因みに僕はファイナル・ファンタジーのヒロインではリノアが好きである。

第五話に続く

タイトルとURLをコピーしました