リバーポートソング 第十四話 もうじき11月になろうとしていた。上京してから初めての冬が、すぐそこまで来ていた。

【第十三話はここから】

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 花田さんは190センチぐらいはあるのではというぐらい背が高かった。髪はセンター分けで長さはミディアム、黒縁の眼鏡をかけていたから、まじめで大人しく寡黙そうな印象を持ってもおかしくなかったはずだった。しかしながら、メガネ越しでもわかる鋭い眼光を放っており、背が高いこともあって動作はもの静かだったが、それが余計に怖かった。
「自分らすごいね、よかったよ」とビールを片手にゆっくりとちかづいてから話しかけてきてきた。イントネーションから関西方面の出身だとおもった。僕は「どうも」とかあまり気の利かない返事をした。
すとれいしーぷす・・・・・・・・ってバンド名だけど、夏目漱石の『三四郎』からとったの?」
「いえ、ちがいますけど」『三四郎』は確かに読んだことがあったのだが、そんなフレーズが出てきたか、まったく覚えていなかった。丁度僕はその時知り合いからは切り離された位置にいて、なんとなく花田さんと二人きりみたいな雰囲気になっていた。気まずくなる前に何か話しかけないといけないと焦りが出てきた。もっともあっちは何にも気にしてないみたいで実に飄々としていた。
「今日はどのバンドを見にきたんですか」ひょっとしたら聞こえてなかったのかと思いそうなぐらいの間が少し空いて彼は答えた。
「うちらも出るんだよね。最後に」リハーサルは出演順の逆から始まるため、トリである花田さんのバンドとはリハの時に会わなかったのだろう。
「じゃあ楽しみにしておきます」
 彼はそれに軽くうなづいてビールを飲み干すと、からになったプラスチックのカップのゴミを捨てにどこかに消えていった。楽器のパートぐらい聞いておけば良かったと思った。
 他のバンドの演奏が鳴り響くなか、あまり趣味のいいこととはいえないが、僕は遠目に石田さんと高岸の様子を盗み見ていた。二人は飲み物を片手に普通に会話しているだけだった。が、そこには前よりも親密な雰囲気が漂っていた。気がつくと僕のそばには石崎さんがいた。
「いつ知ったんですか」
「合宿終わってすぐ、ケイちゃんから連絡あってな、そっちは」
「僕はついこの間です」
「そっか」といって石崎さんはタバコを取り出して火をつけた。
「吸うんすか?」
「うん。やめてたんだけどな」
「意外と似合いますけどらしく無いすね」
「俺もそう思う」

 最後のバンドは※①The one-trick poniesという名前だった。One trick ponyとは一つの芸当しか出来ない小馬という意味で、一芸しか出来ない人のことをさす英語のイディオムだ。その名の通り音楽性は実にシンプルでミッシェル・ガン・エレファントや初期ルースターズに影響を受けたギターロックだった。しかし彼らの割とオーソドックスな音楽性の中で異彩を放っていたのが花田さんのギターだった。※②ギャング・オブ・フォーのアンディ・ギルみたいな鋭いトーンのギターがギャリギャリうねりを立てて高速のカッティングを繰り出し、時にはトリッキーで複雑なフレージングで魅了した。その外し方は絶妙でやもすれば特徴が無いと言われそうな彼らの音楽に独特の味わいを付け足してオリジナルな物にしていた。そして花田さんが背が高くてがっしりしているせいで、ギターはまるで小さいおもちゃみたいに見えた。※③彼はピックを使わずに素手でそのおもちゃみたいに見えるテレキャターをガシガシと殴りつけるように弾いた。時にライブハウスでは華のあるプレイヤーの前に人だかりができたり、露骨にその人気の差が明らかになる事がある。その時のライブもそのケースで、その場で見ているもの殆どが花田さんに釘付けだった。最後の曲の前になって初めてMCが入ってその時軽いメンバー紹介があって花田さんの名前を知り、彼が駒場にある最高学府の二年生である事を知った。つまり学力でも身長でもギターでも彼に誇れるものを僕は持っていないということを知った。ライブは花田さんのギターの長いフィードバックノイズで終わった。
 ライブの打ち上げがあったが、僕は最後の花田さんの演奏にすっかりやられてしまってドッと疲れが出てきたのと、高岸や石田さんと今はまだあまり会話をしたくないというのもあって遠慮してギターと機材を持ってさっさと帰路に着いてしまった。吉祥寺から僕の下宿のある街まではバスが出ていて、行きはそれで来たのだが、ライブが終わったころにはもう終バスは出てしまっていて、電車でぐるりと回り込んで帰った。
 僕は電車の中で今回のライブを振り返った。沢山練習しただけあって特にミスもなく、バンドは実力を発揮できたと言っていいと思った。客の反応も良かった。これからはまた強力な曲を作って積極的にライブに出演すればすとれいしーぷすは大きくなる。そんな予感があった。最寄りの駅に着いたのはもう十時半頃だった。何も食べていなかったので駅前のチェーンの中華料理店で疲れ切ったサラリーマンたちと一緒になって餃子定食を平らげて、人が疎らになった深夜の商店街を歩いて帰った。
 ライブの反省会も兼ねた次の練習は割と短いスパンで組まれていて、三日後に我々はまた集まる事になった。練習自体は三時からだったが「試したいことがある」ということで、高岸と石田さんは一時間先にスタジオに入っていた。僕がスタジオ入りしたのが、二時五十五分ぐらいだったと思う。スタジオには僕以外の面子がみんなそろっていた。
 そしてそこにはなぜか花田さんもいた。
 花田さんはいつもは僕が使っているジャズコーラスを使っていた。高岸はギターを持たずにキーボードの前にいた。
 僕は何も言わずに高岸をじっと見た。
「この間対バンで一緒だったOne Trick Poniesの花田さんだ。お前もあのギター見たろ? 素晴らしかったから今日練習に来てもらった」
「ども」
 彼が軽く挨拶をしたから僕も何か返したと思う。高岸に対しては何も言わなかった。事前に一言なんか欲しかった。石崎さんをみると「おれもしらなかったんだよ」って困った顔をしてスティックをもったまま肩をすくめていた。石田さんは特に何かあったという風でもなく平然としていた。僕は仕方がないからスタジオに置いてあったマーシャルのアンプのほうに自分のギターをつないだ。
 花田さんが参加した効果は申し分なかった。彼の主張の強くてエキセントリックなギターはバンドの攻撃性を高めたし、何より彼はきちんと抑えるべきところは抑えてプレイをしていたため、ギターだけが目立つということも意外となかった。いくつかの身震いする様な瞬間が、思わず顔を見合わせてしまうような瞬間が、その時の練習には何度もあった。
 しかし、バンド全体を見ると問題があった。完全に僕のパートが蛇足にしか聞こえなかったからだ。花田さんはすでにすとれいしーぷすの楽曲をモノにしていてそこにうまく自分の個性を乗せ、バンド全体をより格好良くしていた。それに対して僕のフレーズは高岸のギタープレイに合わせたものだったからいまや花田さんとのプレイに対してはチグハグな物になった。花田さんは途中で帰った。もともとフルのバンドで合わせるという予定ではなかったし、石田さんと高岸と3人で試しになんかやってみるという事だったらしい。
 彼が帰った後は、ライブの反省をしつつ、アレンジの手直しを中心に練習を進めていたが、誰もがさっきの練習に比べて物足りなさを感じていた。ついこの間まではこのメンバーで行くところまで行けるという手ごたえが確かにあったが、今では、花田さん抜きではすとれいしーぷすはもう前に進めないと誰もが感じていた。そしてその未来に僕の存在はなくても構わないものだった。誰も言わなかったがそれは誰にも明白だった。
 僕はすとれいしーぷすを辞める事にした。
 もともと自分があまり曲作りやアレンジに対して貢献できていないことが不満だった。そのせいで高岸からの自分は重要視されていないのが不満だった。一方、僕が一緒に本当にバンドをやりたかったのは高岸とだった。僕の方では彼とやる事を非常に重要視していたが、彼の方では僕の事はもはやどうでも良くなっているのがよくわかった。それがどうにも辛かった。
 その日練習が終わった後に皆で食事に行き、僕は僕にしては珍しく精一杯笑顔を振りまいた。その時はもちろん想像してなかったが、考えてみればこのメンバーでの最後の食事がこれだった。話題の中心は花田さんに「どうやってバンドに入ってもらうか」だった。入るか入らないかの議論は全くなかった。
 石崎さんにだけは事前に電話して脱退する事を伝えた。石崎さんと会いづらくなるのは僕としても残念だった。高岸にはメールで簡潔に辞めるとだけ伝えた。文面は覚えてないが、特に引き止められはしなかった。Katie’s Been Goneの時はほぼ毎日連絡を取り合って、僕たちは頻繁にあっていたし、音楽だけでなく様々な話をした。それはまるで夢のような日々だった。つい、二、三か月前の話だった。まさにそれが夢だったかのように彼の返事はそっけないものだった。石田さんには特になにも連絡しなかったと思う。もともとあの人は僕にあまり関心がないものと思い込んでいたのもあった。こうして僕はあっさりと、すとれいしーぷすを辞めてしまった。
 大学生活の間に、いくつか後々までずっと後悔するような誤った判断を僕は何回かしてきた。しかし、すとれいしーぷすを離れたことに関しては今でもまったく後悔していない。
 もうじき11月になろうとしていた。上京してから初めての冬が、すぐそこまで来ていた。

第一部「すとれいしーぷす」編 完

第二部に続く

※①One-Trick Ponyというポールサイモンのアルバムがあるから、もしかしたらそこからとったのかもしれない。

※②ギャング・オブ・フォーは1970年代後半から84年までメインで活動したイギリス出身のポストパンク・バンド。パンクとファンクをミックスさせたサウンドとアンディ・ギルのメタリックなギターが特徴的で代替的なセールスを誇るバンドではないが、多数のフォロワーを生み出した重要なバンド。

※③後で本人がスタジオで演奏しているところを見ると思いの外ギターを弾くタッチは柔らかに見えた。破壊しそうな勢いはステージパフォーマンスの音の凶悪さの賜物だった。

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