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「完璧なアルバム」スティーリー・ダンの最高傑作、名盤『彩(エイジャ)』は如何にして生まれたか。

2019/08/15
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「自分が思う限りの最高のバンド」で「完璧なアルバム」をつくろう。

バンドを組んでオリジナルの曲をつくったりしたことのある方なら、一度はそんな夢想をしたことがあるのではないでしょうか。

今日は本当にそんなことを考えて実行し、実際にとんでもないアルバムが生まれてしまった

という話をしたいと思います。

それがスティーリー・ダンの最高傑作アルバム、

『彩(エイジャ)』(原題:Aja)です。

どんなところがすごいのか、どうしてそんなアルバムが作れたのか

一つ一つ解説していきたいとおもいます。

本稿の前半部では、アルバムの具体的な内容と背景。

後半部ではどうしてこのような名盤が誕生したのかの考察していきます。



スティーリー・ダンとは

まずはスティーリー・ダンについて紹介していきます。

60年代後半から70年代初期、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーという、作曲家がニューヨークで成功を夢見ながら活動を続けておりました。

そんな二人にABCレコードのゲイリー・カッツという人物から「西海岸」にきてバンドを結成しないか、と誘いがきます。

二人はもともと作曲家志望でしたので正直気が進みませんでした。

しかし、このチャンスに飛びついて、バンドメンバーを集め、スティーリー・ダンを結成。

1972年、アルバム『キャント・バイ・ア・スリル』(原題:Can’t Buy a Thrill)でデビューします。

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このアルバムからは「ドゥ・イット・アゲイン」と「リーリン・イン・ジ・イヤーズ」がヒットします。

スティーリー・ダンという名前はウィリアム・バロウズの『裸のランチ』からですが、まぁ詳細は割愛します。調べれはそのわけはわかります

キャリアは順調につんでいくものの、もともと作曲家志望だったため、ライブに消極的なドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーと他のメンバーとの溝は深まりました。

その結果、次々とメンバーはやめていったり、二人がメンバーを首にしたりで、『彩(エイジャ)』が出るころにはオリジナルメンバーはドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの二人と、ギタリストのデニー・ダイアスだけになっていました。

そのデニーの出番も『彩(エイジャ)』にはほとんどありません。

欠けていったメンバーの穴埋めには優秀なセッションミュージシャンを起用していき、この二人のコンビは理想的な音楽を追い求めるようになっていったのです。

ここまでが背景です。

『彩(エイジャ)』はどんなアルバム?

『彩(エイジャ)』はそんなスティーリー・ダンの6枚目のアルバムです。

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前7曲と曲数は少なめですが、少し長尺で、聴き応えのある作品がいっぱい詰まっています。

曲は全てフェイゲンとベッカーの共作。

ジャケットに写っているのは日本人モデルの山口小夜子、写真を取ったのは藤井秀樹。

エイジャというタイトルはドナルド・フェイゲンの高校時代の友人の兄が結婚した韓国人女性からとられたました。

ジャケットの日本人モデルといい、エキゾチックな雰囲気をだしたかったのかもしれません。

アメリカではチャート最高位3位。イギリスでは5位でした。

結果的には彼らのキャリアの中で最高のセールスを記録します。

ジャンル的にはジャズロック、A.O.R(アルバム・オリエンテッド・ロック、またはアダルト・オリエンテッド・ロックの略)の名盤として語られることが多いです。

プロデューサーはドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの才能を見出したゲイリー・カッツ。

このアルバムの画期的だったところはなんといってもその完成度の高さにあります。

前述したようにかけたメンバーの穴を優秀なセッション・ミュージシャンで埋めていったスティーリー・ダンは、今作でその手法をとことん突き詰め、まさに自分たちの理想の音楽を作り上げることに成功しました。

まず、曲を用意します。この時点で彼らの頭のなかにはすでに曲の理想的なビジョンがありました。

次にそれを再現するのに最適と考えられるようなスタジオ・ミュージシャンの組み合わせを考え、実際に演奏させます。

それでしっくりこなかったらまた次の組み合わせを考えて、新たにバンドを組みなおします。

そうして一曲一曲彼らの思い描いた作品に仕上げていったのです。

主な参加ミュージシャンは、

ラリー・カールトン (ギター、エレクトリックギター、代表作『夜の彷徨』)
スティーヴ・ガッド (ドラム、代表作ポール・サイモン「恋人と別れる50の方法」)
ジェイ・グレイドン (ギター、エレクトリックギター、後にエアプレイを結成)
ジム・ケルトナー (パーカッション、ドラム、名セッションドラマー)
マイケル・マクドナルド (ボーカル、バックグラウンドボーカル、ドゥービー・ブラザーズのボーカル)
バーナード・”プリティ”・パーディ (ドラム、アレサ・フランクリンやジェームス・ブラウンなど、後にHip Hopでサンプリングされる多数のフレーズを叩く)
チャック・レイニー (ベース、名セッションベーシスト)
リー・リトナー (ギター、代表作『キャプテン・フィンガーズ』)
ウェイン・ショーター (フルート、テナーサクソフォーン、ウェザー・リポートのメンバー)
と超豪華です。

曲紹介

  • 「ペグ」”Peg”


おそらく本作で一番とっつき易い曲。

ラリー・カールトンの代表的インスト曲「ルーム335」の元ネタ。

ペグはギターの弦を調節する部品ではなく人の名前。

ハリウッドに有名なハリウッドサインというものがあります。山にくっついてるHOLLYWOOD のあれですね。

この曲はそのHの文字の所から身投げしてしまったハリウッド女優の歌と言われています。

といっても暗い曲ではなく、陽気なリズムの楽しい曲です。いわばデュランデュランの「リオ」の先駆けですかね。

後にドゥービーブラザーズのメインボーカルをつとめていたマイケル・マクドナルドの分厚いゴージャスなコーラスがサビ部分を彩っています。

クラシックアルバムというドキュメンタリーシリーズでこの曲にまつわるエピソードが披露されていて、それが面白い。

ベースのチャック・レイニーは当時ディスコサウンドで流行っていたスラップベース(パーカッションみたいにベース弦を楽しい叩いたり、弾いたりしてアタックの強い音を出す奏法)をありきたりだからやるなって言われてたんですけど、なかなかOKテイクがでない。そこでサビの部分で後ろを向いてこっそりスラップベースを弾いたら気づかれずに採用されたみたいです。

言われた事をただやってるだけでもダメなんですね。

  • 「ブラック・カウ」”Black Cow”

アルバムのオープニング曲。


名盤とか「完璧なアルバム」とか、「名プレイヤー揃い踏み」とかそういう触れ込みで、こっちは聴こうとしてるわけですよ。

どんなエキサイティングな曲が始まるのかなとワクワクするわけです。

そしたらその期待をサッとかわすように、ピローンとかいってエレピの音でゆったりしたビートで始まるんですね。

最初はなんか凄くがっかりしたんですが、これがなかなかのスルメ曲なんですよ。

気づいたら大好きになって名曲だっ、ってなってました。

ブラック・カウとはルートビアにアイスを乗っけた飲み物。

元カノに偶然あって誰かと元気そうにはしゃいでるという様子をコミカルに描写していく曲。

こういうストーリーの歌詞はよくあるんですが、それがとんでもなく高度な技術の上に成り立ってるのは珍しい。

馬鹿話をまじめにやるというか。後ほど詳しく述べますがここミソですよね。

  • 「ディーコン・ブルース」”Deacon Blues”


一念発起してミュージシャンになりたい破滅型の男の話。

1番では決意を固め恋人と別れてミュージシャンになるぞという宣言から始まります。

2番は夜の町を主戦場に暮らしていき、最後にはぼろぼろになりながらも満足した曲をかけたというところで終わります。

少なからず自伝的要素はある曲かもしれません。

  • 「エイジャ」”Aja”


タイトルトラック。1番長い曲。

スティーリー・ダン流のラブソング。

聴き所はスティーヴ・ガッドのドラムとウェイン・ショーターのテナーサックスのソロの絡みですかね。

このソロでスティーヴ・ガッドはミスってしまい、ドラムスティックがあたって鳴ってしまった音が入ってしまっているんですよね。

でもここではそのミスはそのまま採用されています。でもそのミスで曲が損なわれているわけでもなくて、むしろそのミスが話題になって逆に聴き所になっているんですよね。



『彩(エイジャ)』の先進性、その凄さ。

凝り過ぎたアルバムは失敗する

それでは『彩(エイジャ)』の凄さ、スティーリー・ダンの凄さ、先進性を僕なりにまとめてみましょうかね。

似たようなコンセプトで、すごいプレーヤーを集めて作ったバンドやアルバムって結構あるんですよね。

でもそれが毎回いいものになるとは限らないですし、むしろ失敗例の方が多いんじゃないかって思います。なぜか。

二つの落とし穴があるからです。

「個々の演奏が前に出すぎて全体として調和が取れていない、一人よがりのスゴ技披露大会になっていてよい曲になってない」

「演奏がスクエアすぎる、まじめ腐っていてつまらない」

①については、それぞれ手練れのプレイヤーですから、当然自分がいいところを見せようとして俺が俺がになってしまう。それが奇跡的に調和している例もあるんですけどね。

②については、①がクリアされたしても、そのかわり個々の面々がきっちり仕事しようとしてあんまり冒険しなくなる。その結果なんか聴いててつまんないものになってしまう。これもありがちな例ですね。

いずれの結果にせよ①②の理由で、楽器を演奏する人しか喜ばないようなアルバムが出来てしまうわけです。

ではなぜ『彩(エイジャ)』はそうはなっていないのか。

一歩引いた視点

①の問題ですが、もともとソングライター志望だったこともあり、ドナルド・フェイゲンもウォルター・ベッカーの二人は一歩引いた視点をもっているんですね。

あくまでもこの二人が主導権を握ってアルバム全体をコントロールしているんですよ。

そもそも曲ごとに理想的なミュージシャンの組み合わせを考えてから演奏させているため、調和は最初からある程度考えられているんです。

その結果が期待はずれでも容赦なくバンドを入れ替えてしまう。

いい曲を最高の演奏で仕上げることが目的ですから。

ねじれたユーモア

②に関していえばですね、これはユーモアと余裕のなせる技ですね。

スティーリー・ダンというユニットがもうねじれたユーモアの持ち主なんですよ。

バンド名がそもそもふざけてますし、リマスター盤のCDのライナノーツも相当ふざけきっています。

先にあげた『クラシック・アルバム』シリーズのドキュメンタリーでも冗談ばっかりいってるんですよ。

で、歌詞にもそういったユーモアがあふれているんですよね。

「完璧」なアルバム、と評されているのに息苦しくないのはそういった理由もあります。

あとは余裕ですかね。

やっぱり凄腕集団のアルバムって、俺が、俺がって圧が凄いじゃないですか。俺の演奏を聴けっていう。

ところが『彩(エイジャ)』はドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーのコントロールによってそういったエゴだけの要素は排除されていて、あくまでも曲を高めるための高い技術だけが要求されている。

その結果リラックスして聴ける仕上がりになってますし、聞き込めば「これは凄いことやってるな」ってなるんです。

Hip Hopマナー

あと凄いところというかスティーリー・ダンが先鋭的だったのは、発想が今っぽいというか、Hip Hop的なんですよね。

たとえばラップとかHip Hopだと「この曲のリズムが格好いいからサンプリングしてラップのバックにつかっちゃおう」ってことですよね。

それが元ネタが曲じゃなくてミュージシャンになっている。

要は「この曲のドラムにはこんな感じのリズムがほしいから、この曲にはそれが得意なコイツをつれてこよう」ということですね。

自分たちが全てを演奏できるかが問題じゃなくて、いいものを選んでもってきて、組み合わせるセンスで勝負する。

あとは自分達が真に得意とするラップに集中する。

これと発想は一緒ですよね。

出来ないことは専門家に任せて外注

ウォルター・ベッカーはスティーリー・ダンで最初はベーシストととして活動していたんです。

しかし外部のミュージシャンを召喚してからは「これは適わないな」ってことであっさりベーシストとしてのバンド内での役割を放棄したんですね。

結果本作ではギタリストとして活動してます。

これ外部のミュージシャンと比較して、「あ、俺もこれ位上手くなるようにもっとがんばろう」だったらもっと時間かかっていたし、そもそもこんな傑作は生まれなかったんじゃないでしょうか。

コア・バリュー戦略というか、二人の得意とするところは作曲や曲の編集であって、目的は自分達の理想とする曲を作ること、だったらそれに対する最短距離をとればいいだけのことなんです。

自分でやろうすることに無理にこだわらず、不得意なことはもっと得意な人に外注した。

これもこのアルバム、というかスティーリー・ダンというユニットの成功した理由ですよね。

バンドとしての不合理性、21世紀のバンドのあり方

やっぱりバンドっていう組織、存在って合理的ではない部分は多々ありますよね。

ずっと同じメンバーでやり続けて成果を出し続けるってやっぱり無理があるんですよ。

そりゃ会社の用に変化に適応してメンバーを入れ替えていったほうが、変化に適応しやすいですよね。

いまコラボ曲が増えてきているのって、もちろんHip Hop文化の影響は大きいんですけど、そういうことですよね。

気軽に新しい要素を取り入れられるんですね。

自分達の世界観を壊す諸刃の剣でもあるんですが。

そういった意味でもスティーリー・ダンって時代を先取りしていたなとおもいます。

だから僕は複数のメンバーが作詞作曲できるのが理想的なバンドだとおもっています。

それぞれのソングライターの変化で組み合わせや切れるカードが増えていくわけです。

また作曲者として一歩引いた視点でみれることで、自分のプレイに対して悪いこだわりを見せることもなくなっていきます。

最適解が自分の演奏ではなかったら他の人に任せられるんですね。

まぁそういうバンドについてはまた別の機会で詳しくやりたいと思います。

バンドってその不合理性や縛りがものすごく良く機能している時はとんでもないマジックが生まれるですけど、逆に機能しないときはバンドは成功できないし、成功していたバンドでもだめになっていく。

だからキャリアとして成功しているミュージシャンはバンドを解散させるタイミングがものすごく上手い。

たとえば日本だと細野晴臣さんとか。

名盤を多く製作して来たバンドも外部の力を取り入れたりメンバーチェンジが上手だったりする。

スティーリー・ダンはメンバーの固定されたバンド不合理性の取っ払って、コアの部分、「ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーがコントロールして曲を作る」を残し、ひたすらその部分を研ぎ澄ませることに注力してきたわけです。



最後に、まとめ

ユーモアと余裕、ヒップホップ的サンプリング、バンドの外注、内容がすばらしいだけでなくて実に示唆に富んだアルバムです。

もちろんスーパープレーヤー達の競演も聴き所。

とくにドラマー必聴です。

知り合いのドラマーにも「このアルバム好きだよー」っていう人は多いですね。

ぜひ聴いてみてください。

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