優れたポピュラーミュージックの中にはリリース当時の時代の雰囲気が封じ込められているものがいくつかあります。
2019年の日本の社会の空気感が音楽面、歌詞面、双方で見事にアルバムという形でパックされているKIRINJIの『Cherish』は、まさにポップミュージックのかなり優れたお手本みたいなアルバムなんですよね。
今回は『Cherish』にKIRINJIが封じ込めた現代日本の雰囲気とはどういうものだったのかを紐解きながら、この名盤を解説していきたいと思います。
1.「あの娘は誰?」とか言わせたい
AOR/City Popを現代的にチューンナップした非常に快楽性が高い豪華なサウンドプロダクション上に、2019年の現代日本に漂うムードをアイロニカルに描き出した歌詞をのせた痛烈なオープニングトラック。
本作のベストトラックであるだけでなく、21世紀の邦楽名曲として記憶に刻まれるべき曲。
秀逸なのは非常にハイコンテクストで様々な工夫が凝らされた、一筋縄では行かないその歌詞です。
「あの娘は誰?」というフレーズがタイトルや序盤のような「賞賛」を伴うものから徐々に反対の意味になっていく構成になっていくという仕掛けも見事だし、中島みゆき、サイモン&ガーファンクル、『マッチ売りの少女』『シンデレラ』などの引用もちりばめながら格差問題と、SNSや政治にはびこる「虚勢」を実に巧みに皮肉を込めて描いてみせています。
2.killer tune kills me feat.YonYon
当時KIRINJIでギター担当していた弓木英梨乃がリードボーカルをとり、韓国のトラックメーカー、ラッパーのYonYonがラップとボーカルで客演しているダンスポップナンバー。
昔自分を虜にしたまさに「キラーチューン」の様な魅力的な恋人のことをつい思い返してしまう主人公の心情を吐露したラブソングで、21世紀版としてアップデートされた竹内まりやの「プラスティック・ラブ」の様な名曲。
「「あの娘は誰?」とか言わせたい」が本作の「凄い曲」を代表しているとするなら、この曲はポップで親しみやすい曲を代表しています。この冒頭の二曲で「ひょっとしてこのアルバム名盤では…」と引き込まれます。
タイトルに出てくる「キラーチューン」とは一度聴いただけで人を虜にするような魅力的な曲のことで、まさにこの曲自体がそのようなキャッチーなナンバーになっていて、既にKIRINJIの新たな代表曲として認知されている感すらあります。
リードボーカルのメロディーや上物は浮遊感があって夢見心地で聴けるんですけど、それだけでは終わらずに、YonYonの韓国語によるラップと日本語の歌唱部分がフックになっていて飽きないのもポイント。
3.雑務
タイトル通り「雑務」もとい「労働」をテーマにした皮肉とユーモアあふれるファンキーなポップソング。雑務もどうしてもこなさなければいけないものなら、ゲーム感覚でちゃっちゃとこなして、いっそのこと「エンターテインメント」、つまり、「楽しみ」「気晴らし」的にこなしちゃおうぜ、という一見ポジティブなテーマの歌詞。
しかしポップミュージックにおいて「エンターテインメント」という言葉が出てきたら要注意で、文字通りの「楽しみ」という意味では無く、強烈な反語、皮肉を内包した言葉として使われる場合が多いです。
サビ部分で吐き捨てられるように連呼される「雑務」は、雑務自体の煩わしさ、数の多さを表していて、半ばやけになっているようにも感じられて面白いですね。
一方で「雑務」という日本語の響き自体にある妙なポップさで、皮肉的なんだけど、暗くなり過ぎないようにもなっています。
「雑務エンタテインメント」という言い回しは『That’s Entertainment!』というハリウッドの有名な映画のパロディ。リップスライムもこの映画のタイトルのパロディで「雑念エンタテイメント」という曲をだしてました。
「ブラック企業」や日本企業の生産性の悪さ問題や、労働にまつわるトピックともリンクする一曲。
※こうした「エンターテインメント」という言葉の多重性を活かした曲に佐野元春の「エンタテインメント」という曲があるので興味ある方は是非。
4. Almond Eyes feat.鎮座DOPENESS
ラッパーの鎮座DOPENESSを迎え、アーモンドアイをした女性を描写したエロティックなムードがさく裂しているファンクチューン。
クラビネットのリズミカルなバッキング上を鎮座DOPENESSのラップが縦横無尽に駆け巡る疾走感がたまらない一曲。
鎮座DOPENESSは独特の声とライミングで、シリアスでありながらユーモアもたっぷりとあるラップを繰り出すのでとても好きなんですけど、この曲でもその持ち味は活かされていると思います。
この曲を聴くまでKIRINJIと鎮座DOPENESSの組み合わせがしっくりくるとは思えなかったんですけど見事にはまってますね。
5. shed blood!
刻まれるギターのカッティングが非常に心地良い、ゆったりとしたファンクが展開されるナンバーで、一曲通して英語で言葉数も少なくほぼインストに近いナンバー。
かといって他の曲と違ってメッセージ性が希薄なわけでは全くなく、歌詞の内容はずばり反戦的なメッセージなんですね。
一見夜の首都圏の映像とかにも会いそうな都会の夜っぽい曲スタイリッシュな曲なんですけどね。
shed bloodは血を流すという意味。
6. 善人の反省
ジャズギターのソロに無理やり歌詞を入れたようなユニークな歌メロを持つ現代的ジャズナンバー。
コード感はジャズなんですけどヒップホップ的な打ち込みのカチッとしたリズムトラックで、これもまた最近のトレンドというか、2010年代のジャズとヒップホップの接近を踏まえたトラック。
というわけで音だけでも十分風変わりな曲なんですけど、押し付けがましい表面的な「善意」を振りかざす人を揶揄したその辛辣な歌詞も面白いです。
自分にもそういうところがないかついドキッとしてしまう一曲。
7.Pizza VS Hamburger
ピザとハンバーガー、どっちが好きかという、まあどうでもいいような論争を、シリアスでバキッとした非常にカッコよく、ダンサブルなトラック上で展開していくそのギャップが面白い一曲。
特にイントロからの徐々に盛り上がっていく展開がしびれますね。
こんなカッコいい曲にこの歌詞でいいのかという(笑)。まあ、このピザとハンバーガーという対比自体が歪でおかしいポイントですよね。
海外だったらまだその差はそれほど激しくないですけど、日本だとピザとハンバーガーでは単価も違いすぎるし、最初この曲を聴いた時、みんな「その二つ比較しちゃう?」って思ってしまったのでは?
歌い手も明らかにピザに肩入れしているのも面白い。そりゃピザを好きに食べれるならハンバーガーよりピザたべたい……。
8.休日の過ごし方
現代都市生活の憂鬱を歌いこんだ哀愁漂うファンクナンバー。
これも自分に思い当たる節があってドキッとするナンバーですね。休日で自由になんでもできるはずなんだけど何をすれば良いのかわからない。
何か「こうありたい」「より良い生活をおくりたい」という漠然とした目標はあるんだけど何かをするでもなく、時間をもてあましてしまう。
常に上を目指さなくてはいけない。そういった強迫観念を捨てれたとしても、待っているのは何となく満たされない日常。
まさに現代的なジレンマについて鋭く切り込んでいるような一曲。
9.隣で寝てる人
同居しているパートナーと、こんなにも距離感は近いのに、気づいたら一人で暮らしてるかのように別々のことをしていたり、全く考えている事がわからなったりするということに、ふとした瞬間に気づいてしまった時のそのグロテスクさを描いた一曲。
その距離感が「隣で寝てる人」というタイトルにも現われています。
トラップぽさもあるチキチキした打ち込みのハイハットとリズムトラックにギターやドラムなどの生演奏も絡めた、またしてもテクノロジーと生演奏のいいとこ取りが活きたアレンジの一曲。
描かれている舞台は休日の前の家の中で、曲調も落ち着いていて、ようやく落ち着ける場所にたどり着いたと思いきや、やはりというべきなのか素直に終わらずにビターなテイストを後味に残してアルバムは終わります。
まとめ
どうだったでしょうか。
2019年ごろの日本社会を反映しているような内容だったかと思います。
だからと言って時が経つうちに昔のアルバムとして忘れられていく一枚なのかというと、全然そんなことは無くてむしろ逆で、打ち込みと生音のバランスや普遍的な気持ちよさがあるので、今後も邦楽名盤などの企画には入ってきそうな一枚だと思います。
この後、堀込高樹は2013年より続けてきたこのメンバーでのKIRINJIの活動を終了を宣言。理由は「現編成のKIRINJIとして出来うることは全てやってしまった」とありますが、こんな完成度の高い作品を作ってしまったら、そうなりますよね。