PR

「完璧なアルバム」スティーリー・ダンの最高傑作、名盤『彩(エイジャ)』は如何にして生まれたか。

IV.『彩(エイジャ)』の先進性、その凄さ。

1. 凝り過ぎたアルバムは失敗する

それでは『彩(エイジャ)』の凄さ、スティーリー・ダンの凄さ、先進性を僕なりにまとめてみましょうかね。

似たようなコンセプトで、すごいプレーヤーを集めて作ったバンドやアルバムって結構あるんですよね。

でもそれが毎回いいものになるとは限らないですし、むしろ失敗例の方が多いんじゃないかって思います。なぜか。

二つの落とし穴があるからです。

「個々の演奏が前に出すぎて全体として調和が取れていない、一人よがりのスゴ技披露大会になっていてよい曲になってない」

「演奏がスクエアすぎる、まじめ腐っていてつまらない」

①については、それぞれ手練れのプレイヤーですから、当然自分がいいところを見せようとして俺が俺がになってしまう。それが奇跡的に調和している例もあるんですけどね。

②については、①がクリアされたしても、そのかわり個々の面々がきっちり仕事しようとしてあんまり冒険しなくなる。その結果なんか聴いててつまんないものになってしまう。これもありがちな例ですね。

いずれの結果にせよ①②の理由で、楽器を演奏する人しか喜ばないようなアルバムが出来てしまうわけです。

ではなぜ『彩(エイジャ)』はそうはなっていないのか。

2. 一歩引いた視点

①の問題ですが、もともとソングライター志望だったこともあり、ドナルド・フェイゲンもウォルター・ベッカーの二人は一歩引いた視点をもっているんですね。

あくまでもこの二人が主導権を握ってアルバム全体をコントロールしているんですよ。

そもそも曲ごとに理想的なミュージシャンの組み合わせを考えてから演奏させているため、調和は最初からある程度考えられているんです。

その結果が期待はずれでも容赦なくバンドを入れ替えてしまう。

いい曲を最高の演奏で仕上げることが目的ですから。

3. ねじれたユーモア

②に関していえばですね、これはユーモアと余裕のなせる技ですね。

スティーリー・ダンというユニットがもうねじれたユーモアの持ち主なんですよ。

バンド名がそもそもふざけてますし、リマスター盤のCDのライナノーツも相当ふざけきっています。

先にあげた『クラシック・アルバム』シリーズのドキュメンタリーでも冗談ばっかりいってるんですよ。

で、歌詞にもそういったユーモアがあふれているんですよね。

「完璧」なアルバム、と評されているのに息苦しくないのはそういった理由もあります。

あとは余裕ですかね。

やっぱり凄腕集団のアルバムって、俺が、俺がって圧が凄いじゃないですか。俺の演奏を聴けっていう。

ところが『彩(エイジャ)』はドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーのコントロールによってそういったエゴだけの要素は排除されていて、あくまでも曲を高めるための高い技術だけが要求されている。

その結果リラックスして聴ける仕上がりになってますし、聞き込めば「これは凄いことやってるな」ってなるんです。

4. Hip Hop的思考法

あと凄いところというかスティーリー・ダンが先鋭的だったのは、発想が今っぽいというか、Hip Hop的なんですよね。

たとえばラップとかHip Hopだと「この曲のリズムが格好いいからサンプリングしてラップのバックにつかっちゃおう」ってことですよね。

それが元ネタが曲じゃなくてミュージシャンになっている。

要は「この曲のドラムにはこんな感じのリズムがほしいから、この曲にはそれが得意なコイツをつれてこよう」ということですね。

自分たちが全てを演奏できるかが問題じゃなくて、いいものを選んでもってきて、組み合わせるセンスで勝負する。

あとは自分達が真に得意とするラップに集中する。

これと発想は一緒ですよね。

5. 出来ないことは専門家に任せて外注

ウォルター・ベッカーはスティーリー・ダンで最初はベーシストととして活動していたんです。

しかし外部のミュージシャンを召喚してからは「これは適わないな」ってことであっさりベーシストとしてのバンド内での役割を放棄したんですね。

結果本作ではギタリストとして活動してます。

これ外部のミュージシャンと比較して、「あ、俺もこれ位上手くなるようにもっとがんばろう」だったらもっと時間かかっていたし、そもそもこんな傑作は生まれなかったんじゃないでしょうか。

コア・バリュー戦略というか、二人の得意とするところは作曲や曲の編集であって、目的は自分達の理想とする曲を作ること、だったらそれに対する最短距離をとればいいだけのことなんです。

自分でやろうすることに無理にこだわらず、不得意なことはもっと得意な人に外注した。

これもこのアルバム、というかスティーリー・ダンというユニットの成功した理由ですよね。

6. バンドとしての不合理性、21世紀のバンドのあり方

やっぱりバンドっていう組織、存在って合理的ではない部分は多々ありますよね。

ずっと同じメンバーでやり続けて成果を出し続けるってやっぱり無理があるんですよ。

そりゃ会社のように変化に適応してメンバーを入れ替えていったほうが、時代に適応しやすい。

いまコラボ曲が増えてきているのって、もちろんHip Hop文化の影響は大きいんですけど、そういうことですよね。

気軽に新しい要素を取り入れられるんです。

自分達の世界観を壊す諸刃の剣でもあるんですが。

そういった意味でもスティーリー・ダンって時代を先取りしていたなとおもいます。

だから僕は複数のメンバーが作詞作曲できるのが理想的なバンドだとおもっています。

それぞれのソングライターの変化で組み合わせや切れるカードが増えていくわけです。

また作曲者として一歩引いた視点でみれることで、自分のプレイに対して悪いこだわりを見せることもなくなっていきます。

最適解が自分の演奏ではなかったら他の人に任せられるんですね。

まぁそういうバンドについてはまた別の機会で詳しくやりたいと思います。

バンドってその不合理性や縛りがものすごく良く機能している時はとんでもないマジックが生まれるですけど、逆に機能しないときはバンドは成功できないし、成功していたバンドでもだめになっていく。

だからキャリアとして成功しているミュージシャンはバンドを解散させるタイミングがものすごく上手い。

たとえば日本だと細野晴臣さんとか。

名盤を多く製作して来たバンドも外部の力を取り入れたりメンバーチェンジが上手だったりする。

スティーリー・ダンはメンバーの固定されたバンド不合理性の取っ払って、コアの部分、「ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーがコントロールして曲を作る」を残し、ひたすらその部分を研ぎ澄ませることに注力してきたわけです。

V. 最後に、まとめ

ユーモアと余裕、ヒップホップ的サンプリング、バンドの外注、内容がすばらしいだけでなくて実に示唆に富んだアルバムです。

もちろんスーパープレーヤー達の競演も聴き所。

とくにドラマー必聴です。

知り合いのドラマーにも「このアルバム好きだよー」っていう人は多いですね。

ぜひ聴いてみてください。

タイトルとURLをコピーしました