星野源最新アルバム『POP VIRUS』Xレビュー【第四週-1】

複数の論者によって一枚のアルバムについてレビューしていく企画、Xレビュー第4回目です。

今までのについては下記ご参照下さい。

Xレビュー【第一週‐1】・「daniwellP/MKLYPN」

Xレビュー 【第二週-1】 再生ハイパーべるーヴ『ぱんださんようちえん』

Xレヴュー 【第三週-1】R.E.M.『Chronic Town』

今回は星野源『POP VIRUS』をみんなでレビューしていきたいと思います。選盤は僕が担当しました。

星野源がどういう人なのか、最早説明不要というか僕よりもこれを読んでる大半の人の方が多分詳しいと思うんですけど、ミュージシャンでもあり、俳優でもあり、CMや歌番組などでも活躍し、エッセイストとしても活躍するなど、音楽を主軸としたマルチタレントといっても過言ではないですよね。知名度も人気もかなり高いです。しかしそれだけ活動の幅を広げながらも音楽そのものの評判は落ちてないどころかむしろ上がってきています。

そんな現役で最も評価も人気も得ているミュージシャンの現時点での最新アルバムを早速X(クロス)レビューしていきたいと思います。

まずは浅井直樹さんから。

#1 浅井直樹

浅井直樹

シンガーソングライター/ボカロP。Kaska Guitar 名義で楽曲をWeb上にて発表。 https://twitter.com/Aber_Heidschi YouTubeチャンネル

浅井さんは現役のミュージシャンの方です。そんな方にはこのアルバムはどう、うつったのでしょうか。

2018年にリリースされた星野源の14曲入りスタジオ・アルバム。今回初めて聴いたアーチストなのだが、まずその卓越したリズム・センスに圧倒される。

 ファンクやソウルといった黒人音楽を基調としながらも、クラブ・ミュージックやエレクトロニカ風のリズムをも含めた数多のパターンを縦横無尽に行き来するそのフットワークが素晴らしい。しかもそれらは巧みにミックスされ、また緻密な引き算によって必要最小限のところまで最適化され、結果として実にシンプルなリズム・パターンになっているところがなんとも秀逸。

 リズム感というのはもちろん訓練によって上達する面もあろうが、それは背が高いとか低いといったことと同じように、よりバイオロジカルに規定されている資質だと思う(この辺りはボーカルもそう)。本作を聴いていると、作者が本能的にリズムを編み出している印象があり、その並外れた身体能力に感服するばかりである。

 楽曲の方もテンション・コードが多用され、いわゆるお洒落で都会的なテイストがあり、歌メロはもちろん、ストリングスやホーンのアレンジも実に洗練されているので70~80年代の国内シティ・ポップも背景にある作品だろう。

 シティ・ポップやJポップ、渋谷系といった言葉は、音楽の内容のみならず、日本人特有の器用さ、学習能力の高さ、再現技術の巧みさをも示していると思うのだが、本作はまさにそうした日本人が生んだ安心の高品質ポップスという感じがする。

 歌詞の随所からは、作者の生に対する肯定的な意志、芯の強さが伝わってくる。冒頭のM1から、「刻む一拍の永遠を」「始まりは炎や棒切れではなく音楽だった」「渡す一粒の永遠を」と高らかに歌われているが、ここには音楽への絶対的な信頼と、自分たちの生を力強く肯定する旨が宣言されているようにも聴こえる。かといって無邪気な楽天主義に陥っているわけではなく、例えばM7において「心をそのまま伝える言の葉、見つからない」「いつまでも落ちないな、あの枝で枯れた葉」などと歌われるところに、人と人との距離感やコミュニケーションの困難さについて慎重に吟味しようとする作者のデリカシーが表れている。

 個人的にとても面白いと思ったのはM8だ。青年が自室でアコースティックギターを弾き、作曲しているかのようなアンビエンスで曲が始まり、そこにスタジオでのサウンドが重なっていく。やがてまた青年の部屋で鳴る音だけになり、ギターの練習やチューニングまで行われてしまうという演出。楽曲自身や、音楽制作という行為自体をその曲中においてメタレベルから対象化しようとする入れ子構造はそう簡単に成功させられるものではない。こうした自己言及的な視点をもつミュージシャンの将来には無条件で期待してしまう。

次は音楽ブロガー仲間のEPOCALC氏です。

#2 EPOCALC

EPOCALC

名盤を闘わせたりする「本州一下らない音楽レビューブログ」EPOCALC’s GARAGEの管理人。ナイアガラーで数学とうさぎも好き。

EPOCALC氏は筆者が到底真似のできないような読んでて楽しい文章と企画が得意な方で、そのうえ評論もしっかりできてしまうという方です。今回はどんな名文で魅せてくれるのでしょうか。

星野源、と言えば今ではすっかりお馴染みのシンガーソングライターだが、

熱狂的な細野フォロワーであり、またナイアガラーでもあるので音楽ファンにも支持が篤い。

僕が小中学生のころは、こういう「大衆にも通にもウケる」音楽家がサカナクションや椎名林檎のようなロック系くらい、

僕が好んでいたニューミュージック系路線はほぼいなかったので、彼(とサチモス)が表舞台に出てきたときとんでもなく驚いたことを覚えている。

そしてYellow Dancerくらいから日本の大衆音楽の雰囲気が変わっていった。

よく「はっぴいえんどに村を焼かれた人」がネット上に登場するが、僕の場合「邦オルタナに村を焼かれた人」なのでこの変化はうれしい。

それ故このアルバムは大衆からも通からも注目されていたように感じたが、

その期待以上のアルバムを発売してきた!とあまり音楽を聴かない友人も大盛り上がりだったことを覚えている。

しかし。Spotifyフリープランで聴いた当時の僕はこう思った。

このアルバム、全然大衆音楽じゃない!!

まず一曲目の表題曲からすごい。

初期の星野源のような弾き語りかあ、と思うといきなり放り込まれるオケヒのようなシンセにビックリする。

「静」と「動」を行き来して盛り上がっていくさまはそれまでの売れ線音楽に全く見られない、新鮮なもの。

この「初期の星野源(=フォーク)」と「大衆的な星野源(=J-POP)」の面をころころと変えていく構成が頻発し、白眉は「KIDS」。

最初はベッドルームポップのような弾き語りだったのが、やはりだんだんと「J-POP」へと変化していき、また弾き語りに収束していく。、

そして朝ドラの提供曲のはずの「アイデア」も変態的な構成。

当時から話題になっていたが、朝ドラのOPだけ聞くと割と普通のポップスだが、

完全版だとエレクトロニカやらフォークやらとぐにゃぐにゃ変形していく。

本作においては、こういう「変」な構成の曲が多くみられ、

これが「大衆音楽」として普通に聴かれているのだというから驚きだ。

当時から多くの音楽メディアでも「これを音楽シーンにぶつけてきた星野源すごすご」論が展開されていた。

先述したサカナクションがオリコンで一位を取った、とかコーネリアスがファンタズマで売れた、などのような話をよく聞くが、

地元の中学生もみんなこのアルバムを聴いている状況を作ったこのアルバムは、これから先も伝説として語り継がれるに違いない。

今一度これを聴きなおしてみると、先述したような「通の星野源」と「大衆の星野源」を同時に成立させようとしたアルバムのような気がした。

その意味で、星野源自身にとってもターニングポイントとなったアルバムとして振りかえられることになるだろう。

最後は私、当ブログの管理人JMXです。

#3 JMX

実は今回『POP VIRUS』をちゃんと聴くのは初めてで、それどころか星野源関連でまともに聴いたのは1stソロアルバムの『ばかのうた』とソロ活動本格化前にやっていたバンド、SAKEROCKぐらいでした。

という事でアルバムうんぬんの前に星野源とはどういうアーティストだと思ったのか、という率直な印象を述べていきたいとおもいます。

世間の女性の間で星野源が見た目的に「普通」みたいな話があって「ハードル高すぎる」普通じゃないって批判が集まったみたいなことがちょっとまえにありましたよね。

星野源の“見た目”を「普通」と見なす感覚は正しいのか? 間違っているのか?

まぁ見た目の事はさておき、星野源さんが表してる世界や音楽的な才能についていえば「普通」というのは案外的外れでもないなと今回アルバムを通して聴いてみて思いました。

まず気になったのはその「声」の質感です。

星野源さんって、ちょっとざらっとした声質なんですよね。

よくボーカリストの評価基準で「声がいい」というのがあるとおもうんですけど、(好みもあるかと思いますが)そういう意味では天性の「声のよさ」を持っているアーティストではないと思いました。

少なくても声質という意味ではごくごく一般的な「普通」の声をもったアーティスト、特に恵まれているわけでもないというのが率直な感想です。

むしろ、ちょっとざらついていて音楽的にきれいに響きにくい声質なので、僕が本人ならちょっと深めにリバーブをかけるとか、沢山重ねどりしたりとかで、補填したくなってしまいます。そうすることでちょっとした「深み」であるとか「神秘性」みたいなものが演出できるからです。

しかしアルバムでは、たまにエフェクトをかけることはあるけども、一貫して声のナチュラルな響をそのままきかせていますね。

すこし聴きにくいような声質もそのままナチュラルに聴かせることを選んでいるというところに「等身大であること」を重視しているような姿勢や自分の楽曲や歌唱に対する「自信」みたいなものを感じました。

そしてその等身大さが星野源の親しみやすさや受け入れられやすさ、「普通」ととらえられやすさにつながっているのではと思います。

先ほど親しみやすさの秘密は「声質」であると書きましたが、それだけでは不十分でもう一つ大事な要素があります。それは歌詞です。

今作、日常のなかのちょっとした不安や不満を描きつつも、少しの希望を見出していくというようなテーマが多いアルバムで、その声質と同じであくまでも等身大で共感しやすい内容になっているんですね。ただだからといってありきたりな歌詞かというとまったくそうではなく、そういった市井の声を救い上げる描写は卓越してますし、ところどころにサブカルてきなマニアックな引用もあったりして、絶妙なラインで個性的だったりします。

そして、その音楽性は「普通」なのか、というと全然そんなことはなくて、歌詞と同じく、全体としては親しみやすいのにその細部は「変態」「マニアック」で「ユーモラス」なんですよね。

例えばヒットしたシングル、「アイデア」「恋」などは一番と二番で大きくアレンジを変えるなどして、曲の骨組みは変わらないのにその装いは一曲の中で目まぐるしく変わります。一曲の中でジャンル横断的なことをやっているのです。通常そういう曲は聴きにくかったり、一般的な評価は得られなかったりするのですが、核に「しっかりとした曲」と「変わらない声」があるので安心感を持ってずっと聴いてられるんですね。むしろ適度な変化があることで飽きにくくなっているとさえ思います。

一番アレンジで攻めてるなと思ったのは八曲目の「KIDS」という曲で、途中でアコースティックギターをチューニングする音を入れてみたり、有名なTR808というリズムマシーンの音色をユーモラスにここぞというところで使ったりして、実験性とポップさがうまく同居しており、なかなかの聴きものになっている曲です。ある意味星野源らしさを端的にあらわしている曲だなと思いました。

僕が唯一ちゃんと聴いたことのあったファーストソロアルバム『ばかのうた』では、わりと弾き語り重視の生の星野源を見せるアルバムだったんですけど、それも才気あふれる一作というよりはふっと肩の力が抜けたような一枚でした。しかし今作はそういう一面を保持しつつも勉強や鍛錬のあとが見える様々な音楽的要素を消化してものにしたアレンジが多く、頭で考えて作ってそうだなという曲が多かったのもあって、もともとものすごく音楽的な才能がある人がやっている音楽というよりは、ごくごく一般的な才能をもった人が努力と鍛錬の結果たどり着いた境地、凄みみたいなものを感じさせるアルバムであると思いました。

ひょっとしたら世間の女性が世の男性に求めているのって星野源のそういう仕事に対する直向きな姿勢、努力、そしてそうした努力を続けて結果を出しながらもどこか謙虚で、ちょっとしたこだわりは発揮しながらも日常から逸脱しようとしないところなのかもしれないですね。だとしたら見た目的な事を求められるよりもよっぽどハードルが高い気もしますが(笑)。まぁ「普通」であることに並々ならぬ努力が必要な今だからこそ理想とされている人物像なのかもしれません。そういう事を思ったアルバムでした。

まとめ

というわけで三者三様のレビューでした。

3名中2人が、星野源自体殆ど初聴きという事で「星野源の音楽ってこういうものだろ」って言うのからは距離感のある初々しい視点で、星野源について詳しい人でも「こう見えてるんだ」とか「こう感じたんだ」とか思っていただけたのではと思います。

またすでに星野源を結構聴いていたEPOCALC氏はむしろ星野源のルーツのことまで言及されてましたね。

そして、まるで全員が示し合わせたかの様に8曲目「KIDS」が素晴らしいと言っています。

ということで『POP VIRUS』、これから聴く人も、すでに聴いた人も、今一度「KIDS」に注目して聴いてみてほしいというのが、今回のXレヴューで見えた結論の一つだと思います。

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