リバーポートソング第二部 第四話 本当はそんな話をするつもりはなかったが、店の照明の暗さが何故かそういう気分にさせていた。

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 最初は前に小木戸とやった時の曲をまたこのメンバーのアレンジでやろうという話だったが、錦はまた何曲か書き溜めており、それもやりたいとの事だった。という事で錦が家で弾き語りしたものをマイク取りしたMDのデモ音源を、事前に池袋で受け取ることになった。大学の帰りで既に夕暮れになっていた。最初は駅前で音源だけもらって帰るつもりだったが錦に誘われ、散歩しながら話をしてぶらぶらするうちにいい時間になったので結局ミルキーウェイというレストランに入った。店内は少し暗めの照明で、十代であふれかえっていて、あちこちでささやき声やざわめきが起こっていた。
「ここには良く来るの」
「ううん。くるのは初めて。大学近いのに変だよね」
「別に変じゃないよ。近いとかえっていかないとかあるし。地元の名所とかそういうの多いし。サンシャインの水族館とかは行った?」
「子供の時から何度もいっているよ。デートとかでもいってたし」
「そうか、ちかいもんね。正直羨ましいよ。都会が近いと行くところがいくらでもあるから。青森とかカラオケとかしかない」
「でも雪がある」
「たしかにね」
 その時、ウエイトレスがきて注文をとるとまた暗闇に消えていった。僕たちはなにかパスタ的なものを頼んだ。
「錦は将来どうしたいとかあるの」
 本当はそんな話をするつもりはなかったが、店の照明の暗さが何故かそういう気分にさせていた。「正直あんまりない。就職のイメージもわかないし」
「なんか意外。いろいろと考えていそうだし。僕はなんにも考えていない。音楽で暮らしていけたらって思うときもあるけど」
「そうだね」
 そのあと僕らはパスタがくるまでしばらくだまっていた。僕らはたわいのない話をしながらそれを平らげ、池袋の駅構内で別れた。さて、受け取ったMDを持ったその足で僕は柳の下宿へ向かった。柳はバイトからかえってきたばかりで、畳んだ布団に寄りかかって本を読んでいた。
「座椅子を買おうと思ってる。けどそんなスペースはないんだ」
 僕は軽く頷いて「例のMD、もらってきた、かけるよ」といってそいつを再生した。一曲目はピアノのコードリフが繰り返しが印象的で、リフ自体はシンプルで単純なものなんだけど、使用している分数コードの独特な響きと裏拍を上手く利用したリズムのお陰でなかなかユニークで中毒性があった。そこにちょっとシュールで哲学的でもある歌詞と妙に人懐っこいメロディが乗っかるなかなかの名曲だった。
「アレンジのしがいがある」柳はそういうとノートを引っ張り出してきてアイデアのメモを取り始めた。
 二曲目には「ビッグ・タイム!!」というタイトルが付けられていて、ハウスっぽい四つ打ちのリズムセクションが入っており、それに合わせて軽快なシンセが鳴り響き、タイトル通り躍動感と多幸感溢れるボーカルが気持ちいい一曲だった。一曲目は新基軸というか割とクールなテイストで僕が当時知っていた錦らしさはない曲だったが、これはあの合宿で触れた才能の迸りと熱量が感じられる(僕が当時勝手にそう思っていた)錦らしさ全開の曲だった。「これはドラムいらないね」と柳は苦笑すると「このままリズムマシンの音色で俺がシンセを担当して自由に歌ってもらった方がいいかもしれない」と言ってキーボードを練習し始めた。三曲目は再びピアノの弾き語りの、バラード的な曲で、ピアノのアレンジもかなり作り込まれているし歌としての完成度も高く、かなり大事に作り込まれたであろう事が伺える一曲だった。途中まで感心して唸りながら聴いていると、これはあの合宿で聴いた曲が更に練り込まれた物だとやっと気がついた。
「このままで充分成立してる。特に俺らがやれる事もないな」
 僕はただそれに頷くしか無かった。
「前に君たちがやった残りの曲聴ける?」
 僕は急いでうちに帰り、前に小木戸と錦でスタジオに入る前にもらったCD-Rを取って帰った。その間柳は例のメモ帳にアレンジをメモりながらドラムスティックを握って雑誌を叩いていた。僕たちは前にやった曲もあれこれいいながら聴いて、その後、三日間ぐらいかけて、錦に意向を伝えながら簡単にアレンジをつけていった。
 僕たちは以前小木戸がドラムだった際に使ったのと同じ渋谷のスタジオにまた入ることにした。今回は僕もスタジオの場所がわかっていたから、現地集合にして、柳をスタジオまで連れて行った。誰かを誰かと引き合わせるとき、若干の不安がそこにはあると思うのだけれども、この時はあまりなかった。二人とも個性的な人物だったし、合わないという可能性もなくもなかったのだが、そんなことは当日スタジオに到着するまで思わなかった。しかもそれは一瞬の杞憂に終わって、二人はフラットに打ち解けていった。二人とも気持ちが音楽へと向かっていたからかもしれない。その時のスタジオ練習はとりあえずもらったMDの三曲をやった。一曲目は例の凝ったピアノリフに合わせるようにつくったシンプルながらも効果的なリズム隊のアレンジがばっちりと決まって、なかなか凄い曲になった。ちなみにベースはスタッカート気味に弾いたほうが良いというアドバイスを錦にされて、実際そのように弾いたらグッとよくなった。二曲目の「ビッグ・タイム!」は錦の音源を元にしたリズムセクションをドラムマシーンで柳が作ったのを流し、彼がキーボードを弾いて、錦は自由に歌った。ベースはシンセベースエフェクトをかまして、ハウスっぽいリズムセクションの音からあまり乖離しないようにした。柳も錦も、憑依型というか、取りつかれたように演奏にのめりこむ傾向があったから、曲の多幸感あふれる感じにあわせて僕の動きも段々と大胆になっていき、スタジオ中を馬鹿みたいに動きながら演奏した。三曲目はピアノの弾き語りだけで十分成り立っていたのだが、錦が是非というので無理やりベースとドラムを入れたが、これも思いのほかよかった。ということで練習自体は大成功と言えるような出来で終わり、その場で次のスタジオの予約を入れた。
 この即席で結成されたバンド「リバーポートソング」に関しては大きな後悔がある。まずはこの次点で柳の音楽的な才能について僕がまったくわかっていなかったこと。彼と一緒にバンドをやりたいとは思っていたし、柳が音楽にかなり造詣が深いこともわかっていたし、僕よりも色んなことをわかっていたこともしっていた。でも、柳が自分で素晴らしい曲を作れることはその時わかっていなかったし、ボブ・ディランの様に歌うこともわかっていなかった。わかっていたら僕は必死にドラマ―を探し、柳にはギターを持たせて錦と柳の二人がフロントにたつ恒久的なバンドにしようと努力していたに違いない。そして代わりの優秀なベーシストさえいたら僕はそのバンドに居なくたって構わなかった。とにかく二人が同じバンドにいて、それぞれが優れた曲を競い合って作って歌い、時には共作したりもする「凄いバンド」がみたかった。結局僕は柳と錦がバチバチにやりあって作り上げる音楽を聴く機会を失ってしまった。一時期同じバンドにいたにもかかわらず。
 その日はあいにく練習の後、柳も錦もバイトが入っているということで、あまり時間がなく、すぐ解散した。が、次の練習は四日後で、その時には小木戸とやった時の曲もやった。順調な滑り出しかの様に見えたこのプロジェクトだったが、結局それはその後どうなるということも無かった。
 ひと月が過ぎた。柳と僕は、雨の日のコインランドリーでだらだらと僕らの汚れ物が回り終わるのをいつものように待っていた。なんという事のない日なんだけど何故だかこの日のことは鮮明に覚えている。柳はいつものベンチに座って壁にもたれかかって本を読んでいた。僕も本を持ってきてはいたが集中出来ず、ポータブルのCDプレイヤーで音楽を聴きながらただ洗濯物が回転するのを見ていた。もともと錦は、小木戸とやった時も今回も、自分の音楽を試しに具現化することを手伝ってほしいだけだった。それは僕が、去年の夏の合宿で強くリクエストしたことでもあった。だが具現化しただけでは僕には不十分だった。
「なあ、ちょっと前に錦さんとスタジオ入ったろ。あれ、よかったよな」
「どうした急に」そういうと柳は、ボロボロになった文庫本を閉じていった。「たしかに楽しかった。彼女の作った曲もよかった」
「だろ、このまま埋もれさせとくにはもったいないとおもうんだ。ライブハウスに出て彼女の歌をみんなに聴いてもらいたくないか」
「けれどそれは彼女の問題だ。彼女が望まないなら仕方がない」
 それはその通りだった。柳と錦はまあまあ共通点があったが、その最たるものは自分が生み出したものを世間に認知させる事への関心の低さだった。二人とも作品の質の向上のための追求は怠らなかったが、それを発表してみんなに受け入れてもらおうというエゴは致命的に欠如していた。僕の場合彼らとは真逆で自分の作った曲や自分参加しているバンドが賞賛されたいと思っているし、良いライブを見たり、仲間内で誰かが良い曲を作ると何故それが自分の手によるものではないのだろうという激しい嫉妬があった。自分ではそれは恥ずべき事だという認識があったから、表面化させる事はなかったけどそうだった。僕が持っている嫉妬心やエゴが彼らにもあったら今頃はどうにかなっていたかもしれないと思うとやりきれない時がある。僕は柳の言葉に対して曖昧に返事をすると再びぐるぐると回る僕らの洗濯物を見ていた。今度は音楽すら聴かなかった。
 六月。出会ってから頻繁に会っていた僕らだったが、この頃にはなんとなく柳と疎遠になってしまっていた。彼は四月の錦とのセッション以来、ドラムにのめりこんでいて、あのあと何度か誘われてスタジオに入り、僕がベースで柳がドラムで、リズム隊がカッコいい曲を練習したり、アドリブで演奏したりした。この時割と沢山の曲のベースをコピーをして、後にそれが役に立つ事になった。が、あくまでギターがメインの楽器だとまだ思っていた僕とは違い、柳は特にそんなこだわりもなくその時々で夢中になっている楽器で遊び倒していたので、僕と遊んでいた以外の時間も一人でスタジオに入ってドラムを練習していて、この時期は遊びに行っても「このドラムが凄い」とかドラムやリズム中心の話が多く、ベースはともかく、ギターを抱えてる姿も殆ど見なくなった。また、スタジオに入る時は僕の安物のベースの音で満足できなくなったのか、必ず彼の所有している※①フェンダーのジャズベをかしてきて、ついにはそれはしばらくの間僕の家で預かる事になった。最初は僕のベースとの演奏でも満足していたみたいだったが柳のドラマーとしてのレベルが上がってくるとそれだけでは満足出来なくなってきたのか、彼はいくつかのバンドのサポートに無償で参加するようになっていき、いよいよ忙しくなったのか、ここから秋ぐらいまで会っても月に一度ぐらいの頻度になり、柳とバンドを組みたいというぼんやりとした願いも薄れてきていた。
 入れ替わるようにこの時期、僕は杉元と良く遊ぶようになった。柳と違って彼は僕の家に遊びに来る事が多かった。杉元は佐々木君の友達で、高校の同級生だったが、その時は特に話すこともなく、顔だけ知っている存在だった。ゴールデンウイークに仙台の佐々木君の所にまた遊びにいった時に再会して親しくなったのだった。杉元は高校の時は殆ど坊主に近い短髪だったと記憶しているが、この頃には肩ぐらいまで髪を伸ばしていて、その長さを変えることは僕との付き合いの間一度もなかった。かといって客観的に見て彼は長髪がものすごく似合ってたわけでも無く「お前髪長げえよ」「いや普通だよ。お前が短いんだよ」といって押し問答するのが僕らのくだらない定番のやりとりだった。
 杉元は一浪して寮に入って仙台の予備校に通っており、勉強の合間をみては佐々木君と遊んでいたらしい。晴れて大学生になった杉元は(因みに錦や石田さんと同じ池袋の大学)ゴールデンウィークに仙台時代の友人に会いに行き、そのついでに佐々木君にも連絡してみた所僕がいたというわけだ。「彼が来るならその間何処か行ってようか?」と提案したのだが「いい奴だから是非会ってくれ」といい、あちらも気にしないみたいだったので三人で会って佐々木君の家で飲んで結局朝までゲームしたりして遊んだ。彼はそのあと眠たい目をこすりながら佐々木君の家を八時頃に出て仙台駅に行き、青森駅に向かった。その時玄関先でメールアドレスを交換して僕らは別れたのだった。連絡先交換は社交辞令的なものかとうがった見方をしていたが、ゴールデンウィークが開けるとすぐ杉元から連絡が来た。杉元は同じ沿線沿いに住んでいて、僕や柳の駅から五駅ぐらい都心に近い駅が最寄りだった。そこには安くてうまい回転寿司のチェーンがあって、よく二人でいっていた。最初に杉元から連絡があった日も、そこで飯を食べないかという誘いだった。定期券があったから気軽にふらふらと誘いにのって食べに行き、高校の時の話で盛り上がって話たりないので杉元の家に行くことになった。その時まで杉元が音楽に興味があるとはまったく知らなかった。杉元の家には日本製の白いフェンダーのストラトキャスターと小さなマーシャルのアンプがあり、CDが百枚ぐらいならんでいた。

第二部第五話に続く

※①フェンダージャズベースの略。定番のエレキベースの一つ。

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