リバーポートソング 第二部 第一話 フェイスブックの更新は皆途絶えている。

第二部「絶対安全毛布」編

【第一部最終話はここから】

【あらすじと今までのお話一覧】

そこまで思い出すと、自分が会社の地下駐車場で営業車のハンドルにもたれかけながらぼーっとしている事に気づいた。袖を一振りして腕時計を見る。8時半。タグ・ホイヤー。前の会社で上司に勧められるままボーナスで買った。40万近くしたはずだ。前の会社は無駄に給料も知名度も高かったが、常軌を逸したブラック企業だった。社内にはいつも怒号が響き渡り、月末にノルマが達成出来ない社員には上司から蹴りが飛んできた。直接手が出せないから奴らは机をガンガン蹴っていた。机の側面は蹴りでボコボコになっていてまるで月のクレーターみたいになっていた。社員たちは皆自分たちが優秀な選ばれた人間の集りだと思っていたが、僕からしたら完全に動物園だった。激務であることは知っていた。OB訪問で会った先輩はなんだかおかしなテンションだったし、ネットの評判も最悪だった。ネームバリューと給料だけだった。そしてそんな物に興味はなかった。ではなんでそんな会社に入ったのか。自分を徹底的に痛めつけて破壊して何もかも忘れてやろうと思ったからだ。当時の僕にはそれが必要だった。バンドばかりで就職の為に特に努力してこなかったこんな自分でもそれなりに優秀とされているその会社に入れたのは知名度とコネだけはある母校のおかげだろう。そんなめちゃくちゃな環境で驚くべき事に僕は目覚ましい活躍を見せた。元々心がぶっ壊れていたから何もかも冷徹に売り上げを立てるためだけに合理的に行動していれば良かった。が、忙しすぎて夜中一人で笑い出す事が多かったし、いつもイライラしていた。土日は接待が無ければうちでひたすら寝ていた。仕事の褒美は仕事だった。ノルマを達成すると出来の悪い先輩のノルマが降ってきた。僕はぺこぺこ情け無い顔をして泣きながら謝ってくる先輩を心底軽蔑した。その時はずっとテクノやIDMを夜中に爆音で聴いていた。近所からクレームが来て何度か引っ越した。完全におかしくなっていた。

一番仲の良かった同僚(一番会社でまともな奴だった。まともすぎて仕事が出来なかった)が精神を病んで会社に来なくなったタイミングでそいつが居ないなら会社にいる意味もないなという訳の分からない理由で僕も辞めた。実は限界だったのかもしれない。4年目の春だった。ノルマが達成できずに夜中の11時ごろに上司の前で号泣しているのが、最後に見た彼の姿だった。僕はそんな彼に冷たい視線を送っただけだった。故郷の福島に帰ったらしいが、その後東日本大震災があった。神様はどうやらいないらしい。

辞めた後使い道のなかった金で一年ぐらい海外を放浪して、今の会社に入った。前の会社と大学のネームバリューが効いたのか再就職はなんとか出来た。給料はほぼ半減したが、前の会社に比べるとそれなりに忙しくはあるものの、ゆるすぎる会社だった。ただ今の会社に入ってから僕は急激に仕事ができなくなった。

誰もいない駐車場を横切って、車専用の入り口のスロープを登って外に出て、コンビニで夜食を買って会社に戻る。案の定オフィスには誰も居なかった。金曜日だからみんな飲みに行ったのかもしれない。カードキーで部屋を開け、自分の席の周りだけ電気をつけ、パソコンの電源を入れた。営業日報と月末だから月報も書かなくてはならない。要領の良い後輩は営業車を運転しながら、iPhoneから音声入力で日報を書く。逞しい奴だ。僕は試す気すらなれない。

適当にお笑い動画を見ながら弁当を食い、日報を書き上げてふと花田の事を思い出して苦笑した。あんな愛想が悪くて太々しい男でも今頃会社員をやっているとしたらなんとも不思議で可笑しな事だ。しかし案外楽しくやっているのかもしれない。あの時は一年二年の歳の違いがまだまだ大きかった。今はどうでもいいので彼をさん付けする気になれない。石崎さんや石田さん、藤田さんなんかは別だ。彼らには今だに超えられない何かがあるような気がしている。みんな元気だろうか。フェイスブックの更新は皆途絶えている。

一階の自販機で缶コーヒーを買って席に戻る。ちびちび飲みながら月報を書くが、どうも身が入らない。コーヒーをもって窓際に行って東京の街並みを眺めてみる。どこからどう見てもこの街は狂っている。世界を旅してみて分かった。東京は異常だ。ただあの時はそれが普通だった。

すとれいしーぷすを辞めた後しばらくは音楽も聴かず、ギターも弾かなかった。そのかわり地下鉄の夜勤警備のバイトを始めた。金が良かったからだ。アメリカ同時多発テロの影響でテロをどう未然に防ぐかが、当時大都市の課題になっていた。駅のホームにあったごみ箱は自動販売機用の空き缶用を除き、段々と撤去されるようになっていた。そのテロ対策の一環で東京都営地下鉄でも夜間警備が導入される事になった。

と言ってもまともに訓練もされた事のない僕たち即席の警備員が実際のテロ組織に対して何かできるとは思えなかった。せいぜい不審物を発見したら報告するぐらいしかできなかったと思う。警棒は帯同していたが、一度も使わなかった。実際には酔っ払いがホームに転倒するのを防いだり、駅を閉める作業を手伝ったり、トイレのゴミを拾ったり、吐しゃ物をおがくずを撒いて掃除したり、駅員がやりたがらないような面倒臭い仕事をやる係になっていた。後は適当にホームを巡回するぐらいだ。酷い酔っ払いの相手ばかりさせらせていたから、僕はお酒が嫌いになってしまったのかもしれない。何度か救急車がくる場面もあった。と言っても殆ど何も起こらない時の方が多く、実に退屈な仕事だったが、動き回れる分モデルルームの看板持ちよりは大分まともだった。

バンドを辞め、CDも買わなくなっていたし、ありがたいことに仕送りもきちんともらっていた僕に何故金が必要だったのかはよくわからない。ただもうあまり陽の光を浴びたく無かったのかもしれない。大学で高岸と鉢合わせするのも避けたかった。バンド仲間以外の友達もいないこともなかったがなんとなく疎遠になっていた。成戸と一緒だった授業はサボるか、ギリギリに来て後ろの方に無理矢理座って、終わるとすぐに帰った。彼女を避ける理由は別に無かった気もするがすとれいしーぷすに関わる全てのことを暫く遠ざけておきたかった。

警備員の仕事は夜勤だったから、僕の生活リズムは大分おかしな事になった。夜の7時に現場に向かうとそこから駅が閉まるまで勤務し、駅を閉めると始発まで2、3時間の仮眠をとり、駅を開ける作業を手伝った後に僕ら警備員は始発とともに業務から開放された。大抵の勤務は2人1組で行われた。リストラされた50代のサラリーマンのおじさんとアパレルブランド立ち上げの為にお金を貯めている歳上のお兄さん、棚橋さんと組む事が多かった。

棚橋さんと一緒の時は仕事が終わると新宿駅でよく牛丼を食べた。人気の無い朝の新宿駅はカラスとホストしかおらず、まるで荒廃した未来の日本みたいで、夢みたいだった。その後棚橋さんと西武新宿駅まで行って彼は田無に帰っていった。大学のある日はそのまま大学まで歩いて行き、適当な空き教室や図書館で仮眠を取ってから授業に出た。何も無い日はTSUTAYAでビデオを借りて家に帰り、シャワーを浴びて起きてたら借りたビデオをひたすら見るという生活を送っていた。

第二部第二話に続く

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