音楽連載小説 第十一話

【第十話はここから】

何にもしないという事がこれ程までに辛い事だとはその時まで考えたことも無かった。看板持ちのバイトはただ座って看板をひたすら支え続けるだけだ。他にやる事も無いしやってもいけない。僕が担当した場所はどうやらハズレだったらしい。とにかく周りに観察出来るような対象が何にも無いのだ。リーダー格の男に連れられて僕は来た道とは別の、大通りを挟んでモデルルームとは丁度対称的な位置にある小高い丘の道の分岐の所を担当することとなったのだが、左手側は土砂崩れ防止のための白くて巨大な擁壁があって、右手は道路があり、その奥は崖になっていてさっきのモデルルームが遠くに見えたが、木々に遮られて別段見晴らしがいいわけでもなかった。近くにはマンションが立っていたがそれ以外は特に建築物もなく、自然と道路と擁壁が全てだった。

「君の休憩は12時から1時間、看板と椅子はその時持って移動してね。店に入るときにどこかに置かせてもらって」

「トイレとかはどうすればいいですか」

「すぐそこに公園があるからそこで、何かあったら会社に電話して」

そう言ってリーダー格の男はトコトコと坂を下っていった。他にする事も無いので僕はその様子をじっとみていた。10分ぐらいはただぼんやりして過ごすことができたと思う。しかし段々と退屈に耐えられなくなっていた。車もほとんど通らない。基本的にこの立て看板は車の為の案内なのだが、本当にこの場所に僕がいることに意味があるのだろうか。1時間はたったと思って※①携帯を見るとまだ30分も経っていなかった。高良くんが配置されたのはモデルルーム直前の大通りの場所でそこはまだ色々と見るものがありそうだった。僕はビートルズのアルバムを『プリーズ・プリーズ・ミー』から『レット・イット・ビー』まで全部脳内再生したら時間が潰れないだろうか、と考えた。ビートルズに関しては僕は中学生の時に本当にのめり込んで聴いていたので、正確な英語は怪しいにしても、少なくともメロディーは脳内再生余裕だった。他のアルバムがあまりにも有名過ぎてあまり語られる事のない『プリーズ・プリーズ・ミー』だけど僕はビートルズのアルバムの中でもかなり好きな一枚で、ポップでスウィートなロックンロールが楽しめる名盤だと思う。ちらほらとカバー曲が並んでいるが、それらのカバーに負けず劣らずの名曲がずらりと並んでいるのが既に規格外のバンドの証拠だ。当時シンガーやバンドが自分達で曲を作って自分達で歌う事がそもそも一般的でなかった事を考えると尚更だった。2枚目の『ウィズ・ザ・ビートルズ』はそんな前作の内容を引き継いだ一枚で半分カバーで半分自作曲だった。本格的に自作曲がメインになるのは3枚目の『ア・ハード・デイズ・ナイト』からだった。『プリーズ・プリーズ・ミー』はなんとか脳内再生しきったが、『ウィズ・ザ・ビートルズ』の途中で飽きてしまった。アルバムフル再生を諦めて好きな曲からおっかけてきたが、それも途中でやめてしまった。時計を見ると11時を少し過ぎたぐらいだった。まだ1時間ちょっとしか経っていない。もう限界が来ている気がした。結局昼までなすすべもなく僕はその状況を耐え続けた。通行人はその2時間で犬を散歩させてる老人だけだった。10分前から時計ばかり見ていて、12時になるとすぐに荷物をまとめて移動を開始し、モデルルームまで行く道の途中でバーミヤンがあったから、そこに行くことにした。

着いてみると店の外の端に我々が担いでいる看板が立てかけてあったので、同じところにパイプ椅子と看板を置いて店に入ると高良くんがいてこちらに気付いて、手招きしてくれていた。同じタイミングで店員が来たので、外に看板とパイプ椅子を置かせて欲しいというのと、高良くんと相席するという事を伝えた。毎週末に僕らのような看板持ちバイトの客が来るから慣れっこなのか、高良くんが既に色々と説明してくれたからなのか、話はスムーズだった。「キツかったろ」とキャスターマイルドを吸いながら高良くんは言った。「やばいね。暇すぎて死にそうだったよ」というと高良くんは苦笑した。「喫煙席で良かった?」「全然平気だよ」僕自身は吸わなかったが親父が喫煙者だったので平気だった。

「どうやって暇潰してる?」と注文が終わると僕は尋ねた。「オレはこれかな」と高良くんは手のひらサイズの小さなノートを出して「※②リリックを書いてる」と言った。恥ずかしいと言いながらも中身を見せてくれて、そこにはびっしりと言葉で埋まっていた。

「正直このバイトはクソだと思ってる。暇を耐えられる人ならいいかもしれないけどオレは無理。けどリリックを書くにはまあまあ悪くない。いくつかのビートを現場に行く前に聴き込んで頭に入れとく、それで始まったらそいつを脳内再生して、いいリリックが思いついたらそいつを書き込む」

なるほど、こんな暇つぶしがあったのかと感心したし、僕も歌詞を書かなくてはいけなかったからすぐ真似しようと思った。「あとは記憶してるぐらい好きな※③フロウを書き出して研究したりしてる」これもすぐ真似できそうだった。

「ただ今日の場所は人通りが多いからハズレだな、あんまり大っぴらにメモできないからさ。でも、さっきすげえ美人が通ったんだぜ。赤いドレスの女でこっちを見て微笑んでくれたよ。こんな何もないところでどうしてあんな派手な恰好してたのか、なぞだったけどな」

こっちは犬を連れた老人しか通らなかった話をすると高良くんは声をだして笑った。

さっきは10分が一時間ぐらいに感じたのに楽しい時間はあっという間だ。すぐに持ち場に戻る時間になってしまった。食べ終わったあとの一時間は眠気との戦いだった。寝て看板から手を話して万一車道に落としてしまったらなかなか厄介なことになる。眠気が醒めたころに車が一台やってきて、スピードを落とすと僕の目の前で止まりモデルルームの場所を聞いた。白くてコンパクトなオープンカーで、乗っていたのは若いカップルで2人ともサングラスをかけていた。突然のことだったので多少あたふたしたもののなんとか道を教えた。自分が役に立っていることを多少なりとも実感できたのでうれしかった。なにせ車も3分に一台通るか通らないかのところだったから。その後ようやく僕は作詞の作業に着手した。

ところがなんにも出てこなかった。今あるフレーズに歌詞をつけることもできず、新しい歌詞を書き出すこともまったくできなかった。この時点では高岸との会合で多少なりとも僕も自作曲を発表することが期待されていたから、焦りと自己嫌悪にさいなまれた。そのあと、どうやって時間をつぶしたのか全く覚えていない。めちゃくちゃ苦痛だった事だけは確かだ。3時50分ぐらいにリーダー格の男と一緒に紙袋をもっていたベテラン風の若い男がやってきて「もういいから看板と椅子もってついてきて」と告げに来てその日の業務は終了した。

モデルルームに戻ると僕ら以外はもう到着していて、高良くんとリーダー格がタバコをすっていた。僕らを見るとリーダー格が全員を集めて挨拶をして解散となった。結局皆電車で来ていたので30分ぐらいかけて皆でとぼとぼと駅まで向かった。リーダー格は仕事が終わった途端に気さくな感じになり「携帯機種変したい時に言ってね、安くしとくよ」と言って名刺を配り始めた。どうやら彼は平日は携帯ショップに勤めていて、小遣い稼ぎでこの仕事をやってるらしい。「うちの給料だけじゃなんともならんのよ」と僕を呼びに来ていた若いベテランに愚痴っていた。ベテランはフリーターらしく、リーダー格に「オレんとこ就職しなよ、人手不足でさ」とか言われて勧誘されていた。世の中の厳しさを初めてリアルに垣間見た気がして妙に記憶に残っている。

僕も高良くんもぐったり疲れていて、駅までの道中お互いポツリポツリと会話を交わすぐらいだった。駅の改札口で僕たちは連絡先を交換して※④お互いのライブに行く事を約束した。「そうだ、コレやるよ」と言って高良くんが鞄からCDプレイヤーを取り出してそこからCD−Rを取り出し、薄いプラケースに入れて僕にくれた。「オレが編集した日本語ラップベストオブベスト。後で曲目メールで送るわ」高良くんはJRで僕は田園都市線、しかも反対方向だったからそこでお別れだった。

この時高良くんからこのCDをもらわなければ、ヒップホップを聴くのがもっと遅くなっていたかもしれないし、リズムに興味を持って音楽を聴くのが遅くなっていたかもしれないし、アメリカの音楽に傾倒し始めなかったかもしれない。ただ新しい友情が始まっただけでなく、そういう意味でも非常に重要な出来事だった。僕は早速そのCDを帰りの電車の中で聴いた。家までは1時間以上かかる。時間だけはたっぷりあった。

第十二話に続く

※①iPhoneが発表されたのが2007年。これから3年後だった。当時あったのは折りたたみ式のガラパゴス携帯で、スマートフォンなんて影も形もなかったのだ。だから携帯電話で暇をつぶすにも限界があった。携帯でちゃんとみれるWEBサイトも限られていた。docomoならiモードで結構様々なコンテンツやゲームなどが楽しめた筈だが生憎僕はauだった。

※②ラップの歌詞のこと。高良くんのリリックはボースティング(自慢すること。オレのスキルはやばいとか、金持ちとか、異性にモテるとかざっくりいうとそんな感じ)が多めな感じだった。

※③フロウとはラップの歌い方、歌い回しの事だが、ここでは歌詞を含めた一連のラップの流れ的なニュアンスで使われている。

※④このあと一月半後にKatie’s been goneのライブがあるのだが、その時には高良くんは誘わなかった。誘う勇気が無かった。

第十二話に続く

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