音楽連載小説 第九話

【第八話はここから】

高岸は律儀にも石崎さんのバンド名候補をメモし始めたので、石田さんが慌てて止めていた。石崎さんも「すまん何も思いつかなかった…」といって頭を下げた。気を取り直して石田さんが高岸のメモ帳を取ってバンド名を書いて他の3人に見せた。

  • Young Boys Carrying the Stones
  • Remake/Remodel 

「ザッキー(石崎さんのこと)も私も名前に石が入ってるじゃん、だからstoneは入れたいなって。それから君たちのこともちゃんとバンド名に入れたいからYoung Boysを入れてYoung Boys Carrying the Stones。それから2つ目のはね、私ロキシー・ミュージックが大好きだから」

なるほど、Young Boys Carrying the Stones、カッコいいかはさておき、よく考えられたバンド名だった。少年たちに与えられた枷、みたいなニュアンスもなかなか意味深でいい。

Re-make/Re-modelはロキシー・ミュージックのデビューアルバムの一曲目の名曲でバンド名として切り取ると確かにそれっぽいカッコ良さがあった。そして何より初期のロキシーは僕たちが目指していた音楽性に近しかったし、石田さんがロキシー・ミュージックが好きと聴いて凄く納得した。※①エーテルワイズの楽曲に漂う人をくったようなユーモアやキッチュな魅力、演劇的な歌唱、テンポチェンジなどが確かにロキシー・ミュージックっぽかった。2つとも僕にはいいバンド名に見えた。「リメイク/リモデルはともかく最初のはなげーよ」と石崎さんが言った。続いて高岸が出しにくそうにメモに書いたのが下記のバンド名だった。

  • Burning With Optimism’s Flames
  • Tiger Lilywhite

「これも長いね」と石崎さんは笑った。「上のはXTCの曲のタイトルです。したのはピーターパンに出てくるタイガーリリーからです。それだけだと面白く無いのでリリーホワイトにしました」「※②スティーヴ・リリーホワイトだ!」僕より早く石田さんが反応した。

僕の番がきた。なんだか自分でバンド名を口に出していうのが恥ずかしかったので僕はバンド名を書き殴ったメモをそのままテーブルにだした。

  • The Great Escape
  • すとれいしーぷす

「すとれいしーぷすいいね、平仮名なのがかわいい」と石田さんが言ってくれたので、平仮名なのはスペルを忘れてしまったからという説明をし損なってしまった。

という事で全ての候補が出揃った。

  • Young Boys Carrying the Stones
  • Remake/Remodel 
  • Burning With Optimism’s Flames
  • Tiger Lilywhite
  • The Great Escape
  • すとれいしーぷす

何かを一つ選ばなくてはならない場面で、ひとつだけフォーマットが違うものがあると、それがアリかナシかを議論してもらえるから有利である、という様なことを何処かで読んだことがある。出来上がったリストに英語が並ぶ中、平仮名の「すとれいしーぷす」は非常に目立った。そして平仮名のバンド名も「はっぴいえんど」みたいでいいねという意見もあり、結局バンド名は若干の手直しを加え「すとれい しいぷす」となった。

テストとレポートがあるから、という事で、次の練習は3週間後の7月の終わりになった。その場で石崎さんがスタジオの予約をとってくれた。やる事が多そうだったので長めの3時間だ。

カフェを出るともう5時近くで、まだまだ明るく帰るには早い時間だったけれど楽器を背負った僕たちにはCD屋ぐらいしか行く体力がなかった。けどみんなCDをディグる気分でも無かったのかそれぞれの帰路についた。

さて、ここで一つ僕の音楽遍歴を語る上で非常に重要な出来事を語ろうと思う。それは今までイギリスのロックミュージックを中心に音楽を聴いてきた僕にとっては、正に地殻変動とでも呼べる様な出来事だった。そしてその事を語るにはまずバイトの話をしなければならない。

僕たちの親は幸運な事にその働き盛りの時代をバブル景気と共に過ごしていた。だからそれなりの蓄えがあった親が多かったのかもしれない、そんなわけで僕や周囲の人間の多くはバイトをしなければ生きてはいけない、という程には追い詰められてはいなかったが(勿論そういう人もいた、だが今みたいに多くは無かった)、それでも仕送りだけでは生活を切り詰めずに充実した生活を送るためにはアルバイトが不可欠だった。ましてやバンドという非常に金がかかる活動をしている場合なおさらだった。英米のロックレジェンド達がバンド演奏で小銭を稼ぐ、などという状況からは遠く離れていた。結局の所、日本は音楽文化が欧米ほど身近なものでは無かったし、バンドはもうお金にならないという事を当時見抜けていなかったのが僕たちの敗因だったと思う。僕たちはCDバブル時代の子供達だったし、※③97の世代と呼ばれるバンド達の影響力も凄まじいものがあった。バンドという音楽形態にはまだまだ明るい未来があると思っていた。

話が逸れた。アルバイトだ。僕はモデルルームの看板持ちのアルバイトをしていた。新興住宅地の建築予定地にあるモデルルームへの立て看板を持って、会場へと案内するバイトである。要は会場への案内の看板を道路沿いに設置したりするとかなりのコストがかかる。そこで、訪問者の多い土日限定で人を要所要所に配置して看板を持たせて会場への案内をさせるということである。話題にはしていなかったが英語のクラスでの同学年の友達が僕にも何人かいて、その中の1人に紹介してもらったバイトだった。という事で僕は人生初のアルバイトがそれで、5月の中旬から土日にちょくちょく仕事を入れていた。一番最初の現場は横浜線の沿線の駅の一つだった。交通費は全額支給ではなく千円ぐらいまでだったので家から遠い現場の時は交通費のあしがでてしまうのだが、よくも悪くも金銭にあまり注意を払っていなかった僕はこんなものだと思っていた。それよりも全く未知の東京近郊の様々な場所に行けるのが田舎から上京してきた僕にとってはなかなか楽しかった。その最初の現場で出会ったのが高良(こうら)くんだった。

第十話に続く

※①今はこうやって辛うじて言語化出来ているが、当時の僕がこの様に言葉にできていたわけでなく、「あの感じロキシー・ミュージックと言えばそうだな」、と感じていただけである。石田さんはロキシーを因数分解的に分析していたから、もっと突っ込んで言語化できるに違いなかった。

※②スティーヴ・リリーホワイトはイギリスの音楽プロデューサー。ピーター・ゲイブリエルやラーズ、U2、そしてXTCのプロデュースで知られる。

※③ナンバーガール、くるり、スーパーカーの97年にデビューしたバンド達のこと。実際には97年と定義していいのか怪しい部分もあるけど、まぁ便利な言葉なのでそのままつかった。そしてたしかに、その3バンドが2004年当時相当影響力を持っていたのは肌感覚としてあった。特にナンバーガールはすでに解散していたものの、ライブハウスには彼らの影響を受けたバンドがうじゃうじゃしてた。スーパーカーは翌年の2005年に解散。くるりは『アンテナ』を発売したころだった。

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