リバーポートソング 第七話 都心では何もかもがディズニー・ランド方式だ。本当に欲しいものは並ばなければ手に入らない。

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 端的に言ってその日の練習は冴えないものだった。エーテルワイズの曲と僕たちのギタープレイは噛み合わず、なんだかちぐはぐだったし、※①高岸の新曲をスタジオでじっくりアレンジしてみるも、しっくりこなかった。前回は既に出来上がった素晴らしいバンドの素晴らしい楽曲をプレイしていたからというのもあるかもしれないが、前回の練習にあったマジカルな雰囲気が今回は全くなかった。皆言葉にはしなかったが、同じ認識なのは顔を見れば分かる。
 石崎さんはすでに九月の中旬に下北沢のライブハウスでオーディションライブを入れてくれていた。今は七月の下旬だ。あんまり時間があるとはいえなかった。初めからすべてがうまくいくとはもちろん思っていなかったが、少なからず僕は落胆していた。そしてその原因の多くが自分にある気がしてやるせなかった。相変わらず僕はコードをなぞるようなフレーズやナンバーガールのパクリみたいなギターしか弾けていなかったし、自分のギタリストとしてのプレイスタイルや本当に表現したいことも見つかっていなかった。もちろんバンドのコンセプト「複数のボーカリストやソングライターがいて、中期XTCと初期ビートルズとエルヴィス・コステロとアトラクションズを足して割ったようなバンド」というものが当初はあって自分もそれを目指していたが、僕がソングライターになれていない時点で自分がそのコンセプトに貢献出来ていないというものあったし、かと言ってギタリストとして、前述したバンド達を想起させるようなギタープレイができていたわけでもなかった。なにより、石田さんと石崎さんが加入し、僕らの理想にエーテルワイズの音楽性が加わり、さらにその二人が目指すバンド像、高岸と僕に期待するものもあったりして、そもそもバンドがどこに向かっているのか整理できているとは言い難かった。リーダーすら決まっていなかった。もちろんこのような分析が当時の僕にはまったくできておらず、ただ、もやもやと「このままではダメだ」という気持ちと「自分が足を引っ張っている」という負い目だけがあった。しかし、僕が自分の事しか考えていない間、ほかのメンバー三人はバンドが目指すべき方向性のすり合わせが足りていないと練習をして気づいたみたいだった。皆、初めて会った時の飲み会と、二回目の練習の高揚感でこのままいけると突っ走っていたが、決めるべきことを決めて来なかったと気づき反省したみたいで、バンドを立て直すためにはスタジオ以外の場所でもう一度話し合う必要があるという結論に同時に達していたようだった。
 練習が終わった後、石崎さんが「よし、ボーリング行くぞ」といった。何故にボーリングと皆思ったが、石崎さんの半ば強引なノリでボーリングに行くことになった。確かに僕たちには気分転換が必要だったかもしれない。
 ボーリング場は池袋の駅から少しあるいた所にあった。今ではすっかり見なくなったが、当時のボーリング場では自分の好きな曲やPVを備え付けのジュークボックスで流す事ができた。
「これしかないだろ」と言って早速石崎さんが僕たちのレーンまで戻ってくると、モーニング娘。が流れた。石田さんも続いてジュークボックスを見に行き「ロキシー・ミュージックなんでないんだろ」と残念そうにいいながら戻ってきて、そのあとに電気グルーヴが流れた。僕はドラゴン・アッシュの「Grateful Days」を流した。
 ゲームが始まってみてわかったのは※②なんでも完璧に出来るんじゃないかと思っていた石田さんはボーリングがド下手ということだ。まずフォームがオカシイ。石崎さんがそれを見てげらげら笑っていたが、高岸は変にまじめなところがあるので、「こうするといいですよ」とか言ってフォームやコツを教えていた。僕はボーリングが得意だったから思わぬ形で自信を回復することができた。
「さてリーダーを決めないとな」とゲーム中盤で石崎さんが唐突に話始めた。「俺はめんどいからパスね」と言って僕の方を向いて「やる?」と聞いたから突然すぎてなにも言えず僕は首を振った。「じゃあ君たちだな」と石田さんと、今投球を終えて戻ってきたばかりでなんにも分かってない高岸に石崎さんは言った。石田さんは無言で両手を高岸の方に差し出した、それはまるでイギー・ポップの『The Idiot』のジャケットのように。
※③「決まりだな」
 こうしてバンドリーダーは高岸に決まって彼も満更でもなさそうだった。
 僕たちが曲をリクエストしなくなったのでボーリング場には2004年のヒットソングが薄く流れ、ボールがピンを倒す豪快な音が支配的になった。
「リーダーは今日の練習どう思った?」と石田さんが高岸に聞いた。
 リーダーだなんてやめてくださいと高岸はかぶりをふって「そうですね。今一度『すとれい しいぷす』の目指すべき音っていうか、どういう音楽性でいくのかきちんと話し合った方がいい気がしました」「そうだね。私も何となくカチッとハマるかなって思っちゃってたけど、どうしてもエーテルワイズの音を引きずっちゃうし、そうするとなんか君たちと噛み合わない感じがするんだよね」と石田さんがいうと、高岸と僕がうなずき、石崎さんが快調にピンを倒した後に「うんうん、俺もそう思う」と言って入ってきて、「聞いてなかったじゃん」と石田さんに突っ込まれていた。
「僕も正直今日合わせたら前回みたいにうまくいけるとなんとなく楽観視してました、でもそうじゃなかった」と高岸はシリアスに言うと、「どうやら場所を変える必要がありそうだね」と石崎さんがにやにやしながら言った。まるでこの一連の流れが自分の手柄であるかのように。そしてそれは事実そうだった。
 都会のファミレスで衝撃を受けるのは、実に様々な人がそこには集まってくるということだ。そして皆実に堂々と話をする。時には詐欺グループの連中すらいて、堂々と法に触れる話をする。まるで聞かれても計画にまったく影響はないとでも言うかのように、君たちの正義なんて無力ですよと言い放っているかのように。誰かが問い詰めようものなら涼しい顔で「劇の練習ですけど何か」とでもいいそうだ。そしてほかのテーブルでは誰かが人生を破滅しかねない契約を結ぼうとしている、そしてほかのテーブルでは人生を保護しようとする契約が結ばれつつある。そして多くのテーブルではただ時間が浪費されていく。そんな中に僕たち「すとれいしーぷす」もいた。迷える仔羊の一員として。大胆にも彼等の代表であるかのような屋号を掲げて。
 都心では何もかもがディズニー・ランド方式だ。本当に欲しいものは並ばなければ手に入らない。僕たちは三十分待ってようやく席に着いた。注文を取り終わって水を少し飲んで話し合いがはじまる。
 僕たちはKatie’sの結成の経緯を改めて丁寧に説明した。僕たちがやりたかったことも。一つは※④ポップでありながら攻撃的なギターミュージック。例としては※⑤アトラクションズとやっていた頃のエルヴィス・コステロ、中期XTC、『アラジン・セイン』のデヴィッド・ボウイ、ビートルズのファーストアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』。もう一つは複数のソングライターと複数のボーカリスト。クラッシュやビートルズ、クイーン、YMO。僕たちがエーテルワイズに惹かれたのは男女ツインボーカルなのと攻撃的かつポップな楽曲だったからとも説明した。
 対してエーテルワイズは先輩2人が石田さんと石崎さんに声をかけて始まったプロジェクトだった。最初の頃は初期のスーパーカーのような男女混合ボーカルのギターポップバンドで、徐々に石田さんが曲を作ってイニシアチブを握るようになり、ロキシー・ミュージック的なポップでありつつも攻撃的でひねくれていてアーティスティックな要素を持つ要素をだんだんと増やしていったという。
「私が本当にやりたいのは初期と中期のロキシー・ミュージックみたいな、ちょっとどうかしてるような、やけになったようなポップミュージック。ほかにはトーキング・ヘッズとか。歌い方はメロディをさらりと歌い上げるようなものよりはどっちかっていうと演劇的な、わざとらしい大げさな歌い方したやつとか。まああんまりそういう曲はできてないんだけど」と石田さんが付け加えた。
 僕たちはそういう要素はXTCとかコステロにもあって、石田さんの楽曲から十分そういう要素は感じた、だから一緒にやりたいと思ったと伝えた。彼女もそれほど熱心なリスナーではないもののXTCやコステロを通ってきているという。しかし僕たちはまだロキシー・ミュージックのたとえにピンときていなかった。そこで僕たちは白状した。僕はロキシー・ミュージックは※⑥ベスト盤しか聴いたことないことを。そして高岸は。
「親が持っていた※⑦『アヴァロン』しか聴いたことがないです…」
「えーーっ、そうなの?」
石田さんが結構大きなリアクションをしたため、店中が一斉に振り返った気がした。※⑧「TPO、TPO」と石崎さんが珍しくたしなめた。
「それは良くないねー」と石田さんはにこやかに言ったが目が笑ってなかった。「よし今度CDもってきてあげるよ」
「いえいえ大丈夫です、次回までにちゃんと予習しときたいし、自分で買うか借りるかするのでおすすめを教えてください」高岸が言って僕がうなずいた。
「そうだなー。2枚目の『フォー・ユア・プレジャー』(For Your Pleasure)か5枚目の『サイレン』(Siren)かな、ファーストもいいけど…全部いいんだけど」
 結局僕がベストを高岸に貸したうえで、オリジナルアルバムも何枚か次回までに聴くということで落ち着いた。
「石崎さんはどんなの聴くんですか」とついでに僕が聞いた。
「オレは本当は※⑨プログレとかネオアコが好きなんだよね…」と言って石崎さんは柄にもなくてれた。前にも言ったが石崎さんは高校まで柔道をやっていて体もがっしりしている。その時は髪は短いながらも伸びていたが、坊主にしたら完全に※⑩フィル・アンセルモと言ってもいいような、いかつさだった。そんないかにもハードコア・パンクしか聴きませんみたいな風貌だけど、冗談を飛ばしてよく笑う気さくなナイスガイだったし、プログレやネオアコを好いていた。ドラムプレイも激しくて単純なフレージングというよりは、細かくて繊細なプレイや手数の多いフレージングを好んだ。
 という事でじゃあ全員が一致する所、重なり合う所はどういう音楽性なのかをいよいよすり合わせる時が来た。高岸が今まで出てきた話をメモしていて、それをまとめてくれた。

  • ポップでありながら攻撃的、ひねくれていて、ちょっとどうかしてるような、やけになったようなギターミュージック(初期中期ロキシー・ミュージック、トーキング・ヘッズ、初期中期エルヴィス・コステロ、中期XTC、等)
  • 複数のソングライターと複数のボーカリスト
  • プログレ、ネオアコ

「複数のソングライターと複数のボーカリストはこのままみんなで曲を作って、基本作曲者が歌ってるいまのスタイルで達成されてるね」と石崎さん。みんなが同意した。しかしこれだけではバンドの指針として何かが足りない気がしたし、不十分な気がしてみんな考え込んでいた。「なんかもうちょっと具体性が欲しいかもしれないですね」と高岸。
「うん、そうかも」
「やるね、君」的な笑顔を高岸にむけて石田さんが言った。「さっき石田さんが言ってましたよね。ブライアン・フェリーの歌い方について」と僕。「そうだね。メロディを歌い上げるよりはどっちかっていうと演劇的な、わざとらしい大げさな歌い方、かな。もっというと言葉の抑揚が大きいというか」「それは、コステロやXTCもそうで、言葉を打楽器みたいに打ち付けるように発している時があります、まるでラップみたいに」と僕。
「あんまり言葉を延ばさずにぶつ切りに発してる時があるね」と高岸。「その一方でコステロが音を延ばして歌うときもあって、それが気持ちよかったりするんだよね」と僕。
 この調子で歌に限らず、コードや曲の展開、ギター、ベース、ドラム、それ以外の楽器やコーラスの入れ方など、わかる範囲で洗い出していった。勿論楽曲によってはこの範疇に入らないものもあるだろうし、それにこの音楽性が我々にとって本当にベストなものかもわからなかったし、変わる可能性もあった。しかし一つの確固とした指針であることは間違いなかった。
 あとはそれぞれ共有できていない音(僕と高岸にとって初期中期のロキシー・ミュージックなど)があるので各自自分のパートの要素を実際の音を聴いてそれぞれ洗い出すのが宿題となった。石崎さんは聴いてほしいプログレとネオアコのリストを送ってくれるという。スタジオでのモヤモヤが晴れて全員が何かスッキリした様な顔立ちになった。時刻は既に午後11時をまわっていた。

第八話に続く

※①今だったらクラウドで音源共有して、事前にアレンジなどを練ることも可能だが、当時はクラウドなんてなかったし、メールで音源を送るにもかなりの容量制限もあった。携帯のメールですら文字制限があった時代だ。

※②僕だったら、あれだけ下手だったら行きたくなくなりそうだが、楽しそうにプレイしていて流石だなと思った。ここでも結局人間性の違いを見せつけられた。スコアは僕が160、石崎さんが140、高岸が120、石田さんが60ぐらいだったと思う。

※③二人の名誉のために言っておくと石崎さんも石田さんも立派にリーダーをつとめられる人である事は確かだし、2人とも本当に面倒くさくて高岸にリーダーを押しつけたわけではない。ここまでの練習でイニシアチブを自然な形で取って色々と段取りしてくれたのは僕らではなくこの2人だったし、スタジオの予約やライブハウスのブッキングなどの面倒な事は石崎さんが率先してやってくれていた。ただ、石崎さんはやるべき事と分かっている事は率先して動くけど、特にバンドに対して何らかのヴィジョンがあるわけでもなく、石田さんや僕らと楽しくバンドできれば良いタイプだった。石田さんはやりたい方向性のヴィジョンはあったが、バンド全体の事までは特に考えず、舵取りは誰かに任せたいと考えているような感じがした。エーテルワイズでは彼女がリーダーシップを執っていたみたいで、それが重荷になっていた節もあるので、高岸にそういうものは委ねて自分はソングライティングとパフォーマンスに集中してバンドに貢献したいと思ってたのかもしれない。対して高岸はそもそも石田さんを誘った時点でこのバンドの青写真みたいなものを持っていたし、バンドを大きくしようという野心は人一倍あったから適任だったと思うし、その事を2人も感じていたのだと思う。

※④当時ポップで攻撃的なギターミュージックで日本で1番影響力があったのは間違いなくNumber Girlだった。しかし僕たちの理想とは違った。僕はNumber Girlに心酔しており、ギタースタイルにめちゃくちゃ影響を受けていたが、高岸はどちらかといえば彼らが苦手だったし、僕たちはもっと楽曲ドリブン、歌ドリブンなバンドを目指していた。歌の建付けが多少いびつでも、個々の演奏能力とテンションとオリジナリティーでぐいぐい聴かせていくナンバガとは実は大分方向性が違う。それに、この後僕たちは無数のナンバガワナビーバンドをライブハウスで目撃し、その大半が残念なことになっていたので、目指さなくて良かったと思う。

※⑤あげようと思えば幾らでもいけたが、マイナーなバンドを挙げると話をややこしくするのと、ポップ要素が強すぎてど真ん中では無いという理由から僕たちはこれぐらいの例に留めていた。他に僕たちの念頭にあったのはThe dB’s、ニック・ロウ『ジーザス・オブ・クール』、バッドフィンガー、ラズベリーズ、The Beat、ストーン・ローゼズ、バーズ、チープ・トリック、ラモーンズ…。ほら、やりたい音楽性がぼやけてきた。

※⑥『TOKYO JOE ~ザ・ベスト・オブ・ブライアン・フェリー&ロキシー・ミュージック』のこと。実は『ギフト』という木村拓哉主演のドラマでロキシー・ミュージックのボーカルのブライアン・フェリーのソロ(カバー曲なのだが)「Tokyo Joe」が主題歌になっており、その関係でスマッシュヒットした同曲聴きたさに僕はこのベスト盤を聴いていた。

※⑦『アヴァロン』(Avalon)は1982年に出たロキシー・ミュージックのラストアルバム。アメリカではパッとしなかったがイギリスのチャートでは一位をとっており、一般的には人気のあるアルバム。が、その音楽性はシンセ・ポップやソフィスティ・ポップなどと言われ、初期のロキシーとは似てもにつかない口当たりのよい上品で上質な極上のポップアルバムである。「モア・ザン・ジス」”More Than This”と 表題曲「アヴァロン」 “Avalon”は完璧なポップミュージックだと思うので是非聴いてほしい。前述したようにかなり音楽性がソフトな方向にチェンジしているので、初期中期のファンの中にはこのアルバムをロキシーのアルバムじゃないといったりする人もある。石田さんは自分は確かにそこまで好きではないが、否定はしてないとはいっていたけど、僕は高岸の回答への反応を見るに結構否定的だな思っている。

※⑧TPOはTime, Place, Occasionの頭文字で発言や行動は時と場所と場合を考慮して行えというような意味でしばしば使われてたけど最近聞かないね。

※⑨プログレッシブ・ロックは70年代に盛んだった、ロックにジャズやクラシックなどの要素を取り入れたテクニカルで大仰でプレイタイムが長めな楽曲構成が特徴なジャンル。代表的なバンドはキング・クリムゾン、イエス、ピンク・フロイド、ジェネシスなど。

ネオアコはネオ・アコースティックの略。その多くは欧米のバンドの音楽を指すにもかかわらずネオアコというジャンルわけは日本にしか存在しない。その名の通り、アコースティックな柔らかなサウンド、爽やかだったり、穏やかなサウンドを特徴とする。代表的なバンドはアズテック・カメラ、プリファブ・スプラウト、オレンジ・ジュース、ペイル・ファウンテンズ、エヴリシング・バット・ザ・ガールなど。

※⑩フィル・アンセルモは元パンテラのボーカリスト。パンテラはグルーヴ・メタルと言われる1ジャンルを開拓したメタルバンド。グルーヴ・メタルはスラッシュメタルを下敷きにしつつも、スラッシュよりもスロウで、その名の通りグルーヴィなメタルである。スラッシュ・メタルは…ここら辺で辞めておこう…。

第八話に続く

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