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おすすめ新譜&旧譜(23年8月)

8月の新譜、旧譜おすすめの紹介をします。と言っても今回は今年発表の新譜の紹介は無しです。古いのばっかです。

近況: TwitterがXになってから、というかイーロン・マスクの体制になってから、アルゴリズムが変わってしまったせいか、どうにも居心地が悪くなってしまってそれに伴って音楽に関するツイート(ポストというべきか)が減っている。ちょっと前なら割と万人受けでないマニアックなツイートやあまり親切でない(丁寧に色々説明してない)ツイートでも20, 30はいいねが来ていたが、10ぐらいになった。逆に「これはいっても100いいねぐらいだな」というものが、200、300行ったりするようになったけど、まぁそれはどうでもいいし、バズりたいわけでは全くなく届いて欲しい人に届けばいいから恩恵をうけている感じはしない。ちょっと前に、それこそXに変わる前に、一度全てに嫌気がさしてしまって、アカウント消したわけだが、あれがまあ本当に辞め時だったかもしれないな……。

「Hotline Bling」Drake

最近名作と言われているPVを見直していたりして、その流れで久々に聴いたけど見事にドハマりしてマイブームが来ているので紹介。2010年代のアメリカのシーンをちゃんと追いかけてきた人には説明不要なチューン。やっぱりこういう未練たらしい恋愛の歌というのは、身に覚えがあるからなのか何度も聴きたくなってしまう。サンプリングネタ元のTimmy Thomas「why can’t we live together」を聴いてみたら、スピードアップさせただけで結構そのまま使いだったのでちょっとがっかりした。原曲からしてめちゃくちゃお洒落。勿論このネタを当時持ってくるというその嗅覚は凄い。サンプリング原曲は人種を超えた連帯や平和を訴えるれっきとしたプロテスタントソングでもあるが、その点は関連づけず、「どうして一緒にやっていけないんだ」というタイトルが「Hotline Bling」主人公の「よりを戻したい」という未練がましい感情を代弁しているようになっているのも仕掛けの一つ。そうサンプリングネタするネタ曲内容がその曲の内容にかかっているのは当然だった。この頃のドレイクやっぱ凄かったし、ポップでありエッジィで、30年後ぐらいにこのときのヒットチャートはヤバかったみたいな話が絶対でると思う。

「Settle Down」The 1975

歌詞の内容とは全く関係がないPV。いかにもイギリスっぽい街並みが出てくる。彼らのサウンドとかアメリカっぽさがあるからなんか新鮮。

最近フロントマンのマシュー・ヒーリーのがっかりするニュースばかりだが、やはり彼らの楽曲はこまったことに相変わらず魅力的。最近まともに聴いてなかった彼らのファーストを聴きなおしていて大好きな「She’s American」のプロトタイプといえるこの曲にハマってしまった。リズムのパターンや歌メロや、シンセのアルペジオがまぶしてあるアレンジなどほぼほぼ「She’s American」なんだけど、途中でホイッスル(を模したシンセ?)の印象的なフレーズが入っていて、それがなんか切なさを加速させてグッときてしまって何度も聴いてしまう。こういうエモーショナルでポップなものに、ノスタルジックな何か(この場合口笛)が入ってくるとそれはもう「不滅」なもので聴いている時間僕らの魂は永遠である(割と真面目に言っている)。

歌詞は恋人(もしくはパートナー)がいるにもかかわらず別な女の子に引かれてしまう浮気ソング的なしょうもないといえばしょうもない内容なんだけど、彼らの手にかかるとそれもドラマチックでロマンティックなものになってしまう。

「Columbia」Oasis

同じくずっとちゃんと聴いていなかったオアシスのファースト『Definitely Maybe』をこの曲がきっかけで、また聴きなおしている。3rdと2ndから入ったから1stのラフで荒い作りがちょっと苦手で有名な曲以外は流して聴いていたけど改めて聴くと当然の如く名盤。

彼らは同郷マンチェスターストーン・ローゼズが好きと言っていて影響を受けてるはずなのに「ローゼズみたいなリズムを重視した曲、殆どオアシスにないな、そこが弱点なんだよな」と思っていたけど、あった。この曲がそうだ。ダンスミュージック+シューゲイズ的な轟音の快楽+オアシスらしさがミックスされててずっと気持ちが良い。本家マッドチェスター勢よりずっと不器用なんだけど堂々としててそこがオアシスっぽい。ネブワースの伝説のライブでこれが一曲目だったのも頷ける。これが俺たちだ!って宣言しながら行進してる感があるから。ただ不器用なだけあってバランスが難しく、録音の音源ではうまくいっているけど、ライブ音源だとその絶妙なバランスは崩れているような気がした。現地で聴けば全然そんなことは気にならなかっただろうけど。

しかし、これを聴いているとストーン・ローゼズからオアシス経由でザ・ミュージックへ続く線がなんか見えてしまった。そうだ、初期のザ・ミュージックってストーン・ローゼズみたいなダンスミュージックを取り入れたロックなんだけど、初期のオアシスみたいな荒削りでちょっと下手な所が良かったんだ!

『Down Colorful Hill』Red Hill Painters

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前回Dusterを取り上げて「このけだるさを前面に押し出しつつもエモさを感じるのは完全に2000年代のトーン&マナーな気がする」「90年代っぽくない」所があると評したがあれは僕の無知からくる発言で、スロウコアをもっときちんと調べていくと、既に80年代の終わりからスロウコアの歴史が始まっており、Dusterの前にこのRed Hill PaintersCodeine、Mazzy Star、Lowがいたという事で90年代にはこのようなこのようなバンドシーンがあったのですな……。勿論Mazzy Starはシューゲイズ文脈やLowは近年の快作で知ってはいたんだけど、それがスロウコアという文脈で大きな一つの流れとして(本人たちがどう思っていたかは別として)あったというのは今回始めて理解した。いや、しかし本当に懐が深いな90年代。今につながる流れの発生源が多いから、60年代位革命的で芳醇な時代だという認識にまた一つ確信を得た気がする。で、このRed Hill Painters、実はちょっと前にハマりかけたことがあるんだけど、フロントマンのMark Kozelekが色々と笑えないレベルで問題ある人で、萎えてしまって聴かなくなってしまった(来月また詳しく書く予定)。しかし、今回は今の気分に見事にフィットしてしまって抜け出せなくなっている。本作はRed House Paintersのファーストアルバムでその世界観とサウンドはもう既に本作でかなり出来上がっている。ジャケットを見るとかなりホラーテイストが強くゴスっぽい音なのかなと思えるが、ゴスっぽいダークさは勿論あるんだけど、ゴスみたいに大げさでシアトリカルなところがなくとにかく淡々としている。淡々としているがとてもエモーショナルでそれは青白い炎が静かに燃えているような感じで、その仄暗い世界に否応無しに引き込まれてしまう、メロディやサウンド、バンド表現の美しさがある。基本長尺な曲ばかりだが、没入感がとんでもないのでずっと飽きずに聴ける。サウンドへの没入感や音響の心地よさでずっと聴かせてしまうところなんかやっぱり近年のアンビエントをベースとしたポップやR&Bとも親和性が高いし、その静謐な佇まいはベッドルームポップの孤独感とも共鳴して、今聴いても違和感や古くささがない。とにかく二曲目の「Medicine Bottle」を聴いて欲しい。「Load Kill The Pain」などというキリストモチーフのカントリーソングも入っていたりして、全体のトーンに統一感はあるのに意外と同じような曲ばかりというわけでもないし、これは本当にオススメ。

『エコー・イン・ザ・キャニオン』

ローレル・キャニオンはカリフォルニア州、ロサンゼルスのハリウッドの近くの山間の地域。本作は60年代の中頃にその地域にミュージシャンがこぞって住むようになり、お互いの家に遊びに行ったりして曲をつくりながらシーンを作っていたというドキュメンタリー映画である。そこには、ザ・バーズやバッファロー・スプリングフィールド、ママス&パパスのメンバー、そしてブライアン・ウィルソンやフランク・ザッパも住んでいたという。そこにはビートルズのメンバーも訪れたりしていて……。本編でも触れられていたが、19世紀のウィーンのカフェや、1920年代のパリに芸術家たちが集ったのと同じようなバイブスがまさにそこにあったということだ。これにはものすごくワクワクした。特にバッファロースプリングフィールドのメンバーとバーズのメンバーが交流していき、後のクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングにつながっていく流れとか、スーパーグループ結成の経緯が、環境から理解できた。こういうコミュニティーが日本にもあったりしないのだろうか。スチャダラパーと小沢健二が同じマンションに住んでいたみたいな話があったけれど、ほかはちょっと思いつかない。今はネットの世界がそうなんだろうな。という事で今後はこのようなコミュニティが存在するのは良くも悪くもネットの中だけになりそうだ。

しかし、本編の案内役がボブ・ディランの息子のジェイコブ・ディランで、昔のディランみたいで佇まいは凄くカッコいいんだけど、ちょっとクール過ぎる。有名過ぎる親を持つ苦悩みたいな物がにじみ出ている様にも見えなくもないがかなり達観しているような感じなのだ。彼とそのバンドが主体となってローレル・キャニオンで産まれた音楽たちのカバーを披露するコンサートやレコーディングが行われて、その模様も挿入されるんだけど、ジェイコブが突き放した様に実にフラットに歌うから、うまいんだけど全然思い入れとか熱量をかんじないんだよな。それがなんか怖かった。とくにビーチ・ボーイズのカバーなんか曲の悲しみとか苦悩が感じられず、全部抜け落ちてしまって、ただのいい曲になっていた。本人も当時の曲はもう完成されてるからそのままでいいんだ的なことを言っていた。

ということで色々と見どころのあるドキュメンタリーなのでこれもオススメ。

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