リバーポートソング 第四話「僕たちにはドラムもベースもいなかったし、まだスタジオにすら入っていなかった。」

第三話はここから

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高岸も僕が過ごしたような冴えない一週間を過ごしたと僕は思っていた。だから多少の不安はあったが僕はにこやかに彼と再会した。高岸は既に大学の門の入り口で待っていてCDウォークマンで何かを聴いていた。

「なに聴いてるの?」

※①The dB’s。XTC好きならかなり好きだと思う。よかったらうちで聴こう」

彼の家は大学から歩いて15分ぐらいのところにあった。二人とも昼を食べてないのでラーメン屋に入ることにした。

「ここの親父が※②ピート・タウンゼントに似ててさ」高岸が笑ながら言ったから「嘘だろ」とつられて笑ながらのれんをくぐった。

本当に似ていた。麺の湯切りがウィンドミル奏法に見えるぐらいに似ていた。でもそれだけでラーメンの味はそこそこだったし、店内のBGMも『四重人格』とかではなくごく普通のJ-POPだった。「本当に似てたな」「だろ?」高岸はずれたメガネをかけ直しながら言った。

ラーメン屋から高岸のうちまでに例の宿題の話をした。「曲どう?なんかできた?」

「うん、全然大したことないんだけど5曲ぐらいできたよ」

ショックで目の前が一瞬真っ暗になった。高岸は一曲どころか5曲も作っていた。

「まじか…凄いじゃん。俺一曲しかできてないよ」

嘘だった。さっきも書いた通り僕のはお世辞にも曲と言える代物ではなく、ナンバーガールのパクリみたいな開放弦を利用したリフを中心としたフレーズの組み合わせの繰り返しがいくつかで、それに、よくわからないメロがついた何かだった。それだって殆ど高校の時からあたためてたフレーズだった。

高岸の家は柳のアパートほどではないが中々にぼろかった。しかし柳の部屋の中よりはだいぶ洒落ていた。僕は早速自分の曲とも言えない曲を披露した。社交辞令かもしれないが意外にも高岸はそれを褒めてくれた。いよいよ高岸の5曲を披露する番になって、彼は恥ずかしそうにギターを弾いて歌い始めた。

結論から言うと高岸の曲は大したことが無かった。詩もなんだか薄っぺらいもので、たわいのない恋愛や良くある人間関係の悩みを吐露した様な詩だったし、メロディーは出来損ないの歌謡曲みたいで僕らが理想とするXTCとはかけ離れていた。※③ABCにすらなっていなかった。その時僕は少しほっとしたのを覚えている。なんならその時の僕は自分が持ってきたギターフレーズの方が高岸の用意した5曲より価値があるし優れているとすら思っていた。

だが、僕は何一つ分かっちゃいなかった。とりあえず失敗してもいいから何かを作ってみることの重要性を。完璧な曲を作りたいとか、中途半端な出来だと恥ずかしいとか、今は作れないだとか、なんだかんだ理由をつけてまともに曲を作ろうとしなかった僕とその時の高岸の間には大きな、本当に大きな隔たりがあった。実際その後も僕らの差は開き続けた。最も僕だって何にもしていないわけではなかったが、実質何にもしていないのと同じだった。いきなり凄い曲を作ろうとあーでもないこうでもないと一つのフレーズやアイデアに執着してどこにも進めていなかった。その間高岸は何曲も作ってトライアンドエラーを繰り返し少しずつまともな曲ができるようになっていった。次に同じような会を開いた時には高岸はさらに5曲を書いてきて、それは前の5曲より全然いい出来だった。そしてその次の回で高岸は3曲書いてきて、それら新曲はその前の10曲より遥かに良い曲だった。そして僕はというと相変わらずナンバーガールのパクリみたいなフレーズと格闘していて、申し訳程度にいくつかのギターフレーズを披露するにとどまり、いつの間にか高岸の曲に僕が意見をしたりギターフレーズを付け足したりする流れに落ち着いて、もう僕が曲を持ってくる事もなくなり、高岸も僕に曲を書いてきて欲しいとは言わなかった。

というわけで滑り出しは(主に僕にとっては)スムーズではなかった。当初のコンセプト、複数のソングライターや、中期XTCと初期ビートルズとエルヴィス・コステロとアトラクションズを足して割ったような音楽性、からはかけ離れていた。しかし、それでも高岸があんまり気にしてない様子で、コステロやXTCのフレーズや曲を分析して、「ここが凄い」とか色々と教えてくれた。当時僕はまだ耳コピ(音源から音を聴き取って演奏すること)ができなかったので、僕は高岸からそれらの分析を教わるだけだったし、僕は「こうしたい」とか「ここがいい」とかを言葉によるイメージや音源を実際に聴かせることで高岸に伝える事しかできなかった。というわけで僕は当初から高岸に対してかなりの引目を感じていた。今にして思うと何も考えない方がまだマシだったかもしれないし、大胆に行動できたかもしれない。

とはいうもののその時期が僕にとって辛い事ばかりだったわけではなかった。バンド名は最初に高岸の家に集まった日にKatie’s been goneケイティーズ・ビーン・ゴーンになり、僕たちは自分たちをケイティーズとか、KBGとかいったりして、ノートにいつくかのロゴを描いて遊んでいて、このバンドの成長を僕は夢見ていたし楽しんではいた。

高岸の家で5回目ぐらいのセッションをした日に高岸がライブをやろうと言い出した。その時は一応10曲ぐらいが形になっていた(高岸が最初の二回の会合で作った曲は全て彼自身の手でボツになった)ものの、僕たちにはドラムもベースもいなかったし、まだスタジオにすら入っていなかった。僕は当然の様に反対をしたが高岸は「※④そんな事してたら4年なんてあっという間だぜ、とにかく場数を踏もう」の一点張りでとうとう押し切ってしまった。高岸は次の週には大塚のライブハウスをブッキングしてきて一月後の6月の下旬に初ライブ、僕らはそれまでにチケットを売り捌かなければいけなくなっていた。※⑤チケット代は1,500円で、ノルマは15枚、それ以上売ればバンドは儲けが出せる。が、他に機材費やらなんやら取られるから結局20枚ぐらい売らないと足が出る事になる。当然人気も知名度もゼロでチケットを買ってくれそうな友達もほとんどない僕たちは実質3万程度を折半して負担しなければならなかった。僕たちはそれを知り合いにタダで配ってチケットを捌いた。中にはお金を出してくれる人もいた。

問題は「このギター二人だけのバンドを、あと1ヶ月弱の準備期間でまともなライブが出来るバンドにする」事だけだった。

第五話に続く

※①The dB’sは知る人ぞ知るパワーポップバンドでこの時高岸が聴いていたのは名盤1stの『Stands for Decibels』。バンド名を説明したお茶目なタイトルだ

※②イギリスの伝説的ロックバンド、ザ・フーのギタリスト。『四重人格』は彼等の代表作で二枚組の大作。名盤だがラーメン屋のBGMには当然相応しくない。

※③ABCに失礼である。ABCはニューロマンティックに分類されるシンセポップバンド。

※④高岸のいう事は1000%正しい。オメガトライブもそういうだろう。

※⑤お金をもらってバンドはライブハウスに出ていると思ってないだろうか?実際には殆どのバンドがノルマをなんとかこなしてトントンにするかお金を払ってライブをしている状況だ。それはあれから10年以上経った今も変わっていないと思う。

第五話に続く

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