リバーポートソング第二部 第六話

4月。

我々は大学2年生になった。いまは見直しが行われて少し遅くなったが、それなりに名の通った企業に入りたいとおもったら、3年の夏休みを過ぎた頃から就職活動を本格的に始めなければならなかった。※①そしてその流れに乗り遅れてしまったら新卒という大事なキップを失う事になるという恐怖が皆の中にあった。我々の大学はバンカラ気質というか、我が道を行くというか、そういうものを気にしない風土もない事も無かったが、経済界におけるコネクションや存在感の大きさもあって、積極的に就職活動で今後の人生を有利に進めていこうというイデオロギーの働きもかなり大きく、学生のモチベーションは結構二分していた気がする。そして僕はそのどちらとも言えないポジションでウロウロとしていた。つまり何か他の人と違う道を行くには自分に自信がなく、「当たり前」の事を当たり前の様にこなすほど飼い慣らされちゃいないという矜持みたいな物があった。実際はその「当たり前」の事すら出来ないだけかもしれないにもかかわらず。

そしてそれは就職氷河期が明ける直前の事だった。先輩達は就職にかなり苦労したという話を何度も後輩に植え付けた。準備に早すぎるという事はないと皆口を揃えて言った。しかし結局我々を待っていたのは団塊の世代の退職による空前の売り手市場だったのだが、情報収集をまともにしていなかった僕はそんな基本的な情報すら知らず、状況は悪いと思い込んでいた。

いずれにせよ、思う存分に遊べるのはこれが最後の年、というムードが我々2年性に漂っていたし、そんな事実認識が学生たちのタガを外しにかかっていた。

僕は相変わらず柳の家に週一、二度ぐらいで転がり込んで、相変わらず音楽の話をしていた。2人でちょっとしたセッションをしたり、曲を分析して発見した事を教え合ったり、楽器を弾くのに憚られる時間になると、外に出て柳の家の目の前の墓場や近所を散歩したりした。

このころ散歩はお金のない我々にとって格好の娯楽になっていて、夜は近所をぶらつくにとどまっていたが、日中は普段なら電車でしか行かない所まで徒歩でいくとか、バスしか通ってない所まで歩いていくとか、後先考えずにいろんな方角へと足を向け、二時間かけて赤羽まで行ったり、バスでも一時間かかる吉祥寺まで三時間ぐらいかけて出かけてたりしていた。

4月も下旬に差し掛かった頃、錦から連絡があった。またオリジナルの曲を一緒にやってくれないかという誘いだった。

クラブに行った日に錦からメソポタミア文明ズは実質活動停止状態だと聞いた。ドラムの高山さんは※②就職活動が終盤に近づいていたし、中心メンバーで大学何年生か不明な藤田さんは海外を放浪しているという噂だった。深川さんはその確かな腕と大学生のギタリストには珍しいことだが、オールジャンルに対応できるし、自分の見せ場なども主張しないので、メソポタミア文明ズの活動中から目をつけていた数々のバンドからサポートギタリストとして引っ張りだこになっていた。

キーボーディストは何気に軽音楽部では希少で、腕のたつ錦も、そのボーカリスト、ソングライターとしての才能を隠しているにもかかわらず、様々なバンドに参加、協力を打診されていたが、結局はサポート的なポジションを求められることが多く、学ぶことも多いのだか、そろそろ自分の表現を突き詰めたいということで、僕を誘ってくれたのだった。

そんな人脈があるんだったら、そっちで優秀なメンバーを集めてバンドを結成すれば良いし、別にギターもベースも特に上手いわけでもないし、前回の集りもそれほどパッとした所を見せられなかったにもかかわらず、僕をまた誘ってくれたのは本当に不可解だった。とはいえ、錦はドラムに小木戸えりをまた誘っていたものの、彼女もかなり力を入れている自分のバンドがあるらしく、なかなか都合がつかず、結局は話だけで何週間かが過ぎていた。

桜も完全に散ってしまってなかなか質素になってしまったいつもの散歩道を柳と歩いているときだった。僕らは二人とも洗濯機がおけない場所に住んでいて、コインランドリーで洗濯をしていたのだが、この頃には二人で示し合せて、5日間ぐらいたまった洗濯ものをもって、近所のコインランドリー「はなたば」で洗濯ものを回しながらだらだらするというのもルーティンになっており、その帰り道でのことだったと思う。僕らは濡れた洗濯ものが沢山入ったカゴを抱えてふらふらあるいていた。そこで、錦という凄い曲を作って凄い歌を歌うキーボーディストにバンドを誘われているが、ドラムがなかなか捕まらずになかなか活動出来ていないという話を何かの流れでしたんだと思う。

「ドラムやりたい」柳が言った。

「ドラム叩けるの?」柳がドラムを叩いてるところも見たことなかったから純粋に疑問だった。

「それなりに。けど暫く叩いてないから練習はいる。今日スタジオ入って練習する」

まだ参加の了承をとってないのに気が早い。そういえば初めて出会った時、柳はスタジオにやってこないバンドメンバーを待つ間ずっとドラムを叩いていた、みたいなことを言っていた。もしかしたらそれ以来ドラムを叩いてないのかもしれない。という事でその日は各々洗濯物を自分の家で干した後、2人で一番近い音楽スタジオに入った。一応柳がどのくらい叩けるのか、どんなプレイスタイルなのか、錦に紹介する前に把握しておくのが礼儀だと思ったのと、なによりも柳のドラムプレイが早く聴きたかったからだった。という事で柳はスティックと、どこに隠し持っていたのかバスドラム用のペダルを、僕はギターを持って最寄りのスタジオに入った。

そういえば入学してからずっとバンド練習はメンバーの集りやすい都心や部室でおこなっていたから、近所のスタジオに入るのは今回が初めてだった。

それは「Voice」という個人経営のスタジオで、最寄りの駅からはすこし離れていたが、家からは徒歩5分でいう割と便利な場所にあった。今後このスタジオで何度もW3の練習をすることになるとはこの時は思ってもみなかった。

「Voice」は三階建ての小さなビルで、入り口は半地下になっていて、四段ぐらいの階段を降りて入ることになる。それはデザインというよりはここら辺の複雑な地形のせいで、少し隆起している土地にスタジオが面しているからだった。台車で押して運ぶような大きな機材を運ぶときには、オーナーが何処からかスロープを持ってきて、階段にかけてくれたりしていた。

内装は外側の印象と全然違って焦茶色の木で統一されており、壁には古いレコードやCDが飾ってあった。ソファーとテーブルが2セット程置いてあり、最大で8人ぐらいが座れた。他には音楽雑誌が積まれたマガジンラックと何故か古い漫画しか置いてない本棚があった。

オーナーは50代ぐらいの長髪のおじさんでスタジオのものなのか、自分の車や家のなのか、いつも鍵束をチャラチャラとさせていた。もう1人我々よりも少し年上の黒縁メガネで髪をいつもきっちりとセットしている助手みたいな青年がおり(いま振り返ってみるとPUNPEEに似ている)、基本的にこの2人のどちらかがスタジオにいる。この日がどっちだったのかは忘れた。

スタジオに入り、僕がギターやアンプ、マイクやらをセッティングしている間、柳は感を取り戻すように、徐々に複雑なフレーズを叩いていっていた。この時点で柳がなかなか叩けることがわかった。

柳は凄くはないが、いいドラマーだった。味のある独特のグルーヴ感のあるエイトビートを叩いた。あまりテクニカルなことは出来ないが、フレーズの組み立てが素晴らしく、歌心のあるドラムを叩くことができ、一緒にやっていてとても気持ちのいいドラムだった。パンク以降のロックに影響を受けたドラマーではなく、60年代のジャズドラマーに影響を受けたロックドラマーの様なドラムだった。僕は耳コピした曲を書きとめているノートから適当にドラムが簡単そうで、やってて楽しそうな曲を選んで演奏し、柳が適当にあわせて2時間をちゃっかり楽しくすごした。

練習が終わると僕は早速錦に連絡した。錦からは小木戸が全然捕まらないこともあって、案外すんなりとOKが出て、一度お試しで集まろうという事になった。

※①実際には社会はより寛容だった。一留や一浪なら実際にはそれなりの理由を提示し、ギャップをカバーする何かがあれば特に問題とはされなかった。そしてきちんと休日が取れさえすれば、楽しく生きていくのに十分な給料が貰えさえすれば、社会人もそう悪くもない。きちんと休日が取れ、楽しく生きていくのに十分な給料が貰えさえすればであるが。

※②当時はどんどん就職活動が前へ前へとずれ込んでいて、大体3年生の2月ごろからぼちぼち内定が出始め、3月、4月には多くの学生の就職先はほぼ決まっているという状況だった。

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