リバーポートソング第二部 第二話 僕たちの冬がやっと来たという気がした。

【第二部 第一話はここから】

【あらすじと今までのお話一覧】

そう、その頃僕は音楽面での探究を辞めた代わりに映画を沢山見ていた。一日最低一本は見ていたと思う。手元にこの時期に見た映画のリストがある。

『12人の怒れる男』『2001年宇宙の旅』『大人は判ってくれない』『エイリアン2』『大統領の陰謀』『あの頃ペニーレインと』『フェリーニのアマルコルド』『アパートの鍵貸します』『恋愛小説家』『死刑台のエレベーター』『ウディアレンのバナナ』『戦艦ポチョムキン』『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』『マルコヴィッチの穴』『男たちの挽歌』『自転車泥棒』『ゴーストハンターズ』『リトル・ダンサー』『鳥』『ブリキの太鼓』『ミッドナイト・クロス』『欲望』『俺たちに明日はない』『スティング』『勝手にしやがれ』『未来世紀ブラジル』『ティファニーで朝食を』『遠すぎた橋』『明日に向かって撃て!』『カサノバ』『アンダルシアの犬』『中国女』『恋する惑星』『市民ケーン』『街の灯』『エドワード・ヤンの恋愛時代』『暗殺の森』『コックと泥棒、その妻と愛人』『地獄に堕ちた勇者ども』『ジャッカルの日』『欲望の翼』『死霊のえじき』『ゾンビ』『狼たちの午後』『甘い生活』『英国式庭園殺人事件』『酔拳2』『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』『死霊のはらわた』『アメリ』『天使の涙・堕落天使』『さらば、わが愛/覇王別姫』『サテリコン』『荒野の用心棒』『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』『ガンジー』『ジャイアンツ』『続・夕陽のガンマン』『卒業』『ブエノスアイレス/春光乍洩』『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』『未来は今』『禁じられた遊び』『突然炎のごとく』『ゴダールのリア王』『霧の中の風景』『海の上のピアニスト』『普通じゃない』『トレインスポッティング』『007黄金銃を持つ男』『荒野の七人』『薔薇の名前』『北北西に進路を取れ』『自由を我等に』『1900年』『夜と霧』『忘れられた人々』『波止場』『カッコーの巣の上で』『小熊物語』『ラリーフリント』『ピアノレッスン』『気狂いピエロ』『ピンクの豹』『太陽がいっぱい』『灰とダイアモンド』『ゲームの規則』『理由なき反抗』『無防備都市』『ローマの休日』 『カノン』『セックスと嘘とビデオテープ』『ショーシャンクの空に』『鏡』『シャイニング』『羊たちの沈黙』『スリーパー』『スモーク』『野イチゴ』『スネーク・アイズ』『お熱いのがお好き』『惑星ソラリス』『ソフィーの選択』『スパルタカス』『駅馬車』『道』『サンセット大通り』『ワン・プラス・ワン』『泥棒野郎』『桜桃の味』『十戒』『恐怖分子』『悪魔のいけにえ』『遊星からの物体X』『東京物語』『七人の侍』『めまい』『月世界旅行』『恐怖の報酬』『ギルバート・グレイプ』『恋人たちの予感』『友達のうちはどこ?』『ベルリン天使の歌』『情婦』『ガープの世界』『ヤンヤン 夏の想い出』『ユー・ガット・メール』『ゾンビII』…

この内何本かは大学の近くの名画座で観たのも含まれている。これらの中でも僕が特に好きだったのが『スティング』『ブエノスアイレス』『太陽がいっぱい』だった。古い映画が多いのはブックオフで『映画ベスト100』みたいなタイトルの昔の本を買ってきて、それを参考にしていたからだった。

映画を浴びるように見ていたのは、バンド活動に挫折した現実からの逃避が目的だったのだろうか。もしくは当時は自分が曲を作れないのは音楽以外のインプットが少なすぎるからではないか、だから映画が必要だ、とでも思っていたのかもしれない。結果的には映画に詳しくなっただけで、その後の創作活動にはあまり影響はなかった。当時の僕に足りていなかったのは「曲を分析すること」「曲を書くこととみっちり向き合うこと」「ギターの練習」単にそれだけだった。もっともそのことに当時はまったく気が付いていなかった。いや、気づいていたのだが、努力してみた結果自分に曲作りの才能がない、ということがはっきりすることがこわかったのだと思う。実際にはある程度は技能の問題で才能は関係ないとわかるのはもっと後になってちゃんと曲を作れるようになってからだった。

授業に顔を見せなかったり、彼女をなんとなく避けていたので、成戸からは何度か心配するような連絡が来ていた。その度におざなりな返事をしていたのでそのうち彼女からは連絡が来なくなった。まあ、最低だった。

映画を見て、警備員のバイトをしているうちに学校が休みに入った。このころはなんだかんだでまだ勉学もきちんとやっていた。生活リズムは無茶苦茶だったが、学校にはかろうじていっていた。

石崎さんからの情報で、この頃までに新生すとれいしーぷすは既に1,2度ライブをやっていたことは知っていた。彼は言いにくそうにバンド名がTheStraySheepsに変わったことを教えてくれた。どうせ変えるなら全部変えてほしかったが、正直どうでも良かった。

年末には一応実家に帰ることにした。青森までは新幹線(当時は八戸駅までしか開通していなかった)と在来線、もしくは飛行機が便利だったが、学割があったものの、金のない学生には厳しい出費だったから高速バスで帰ることにした。年末に仙台に住んでいた同郷の佐々木君が東京に彼女と遊びに来ていて、彼女は埼玉に帰り、佐々木君は僕の家に転がりこんで、一泊し、それから適当に東京観光をしてから深夜に新宿駅から二人でバスで青森まで帰った。このとき夜行バスの中でその年の3月に出たばかりのくるりの『アンテナ』を聴いていた。歌詞に夜行バスがでてくるからわざわざ持ってきていたのだ。9時ごろに青森駅について、あまり寝れなかったが二人とも若かったからそのまま駅の近くで海鮮丼を食べ、久々に八甲田丸でも見に行こうという話になった。勿論朝だし、年末ということもあったが、相変わらず心配になるぐらい駅前は閑散としていた。それでも僕たちは久々の青森の空気を楽しんだ。何より雪がそこら中にあることがうれしかった。佐々木君は仙台は雪なんてまだ殆ど降ってないからただ寒いだけだと愚痴をこぼしていた。それは僕も同じで、東京はもっと暖かいものだと思っていたが、意外と寒く、そして雪も降らないから、冬はただ寒いだけで嫌いになった。しかも東京の下宿は青森の家よりも防寒対策がしっかりしておらず、足元が常に寒かったから、ますます冬に対する嫌悪感は高まっていた。そこにきて青森の雪景色はうれしかった。僕たちの冬がやっと来たという気がした。

八甲田丸に行こうという提案も、そんな背景が僕らにあったからついうれしくてはしゃいでいたから、勢いででたものだった。八甲田丸というのは青森と函館の往来のメインだった連絡船の名前で、青函トンネル開通後に連絡船自体が廃止になったので、その八甲田丸はそのまま連絡船の歴史を振り返るための博物館として活かされ、青森港にずっと停泊しているのだった。訪れたのは小学生の時以来だったかもしれない。全てが懐かしかった。僕たちは寝不足のままで船の中を探索し、船長の服を試着して、船長ごっこしたり、馬鹿馬鹿しい遊びに興じた。僕たち以外には母親と子供ふた入りの親子連れしか居なかった。

見学し終わると丁度昼前だったけど2人でご飯食べるには眠すぎたから駅前で解散になった。

佐々木君は在来線に乗って、僕はバスのはずだったが丁度いい便もなく、荷物はほとんど持ってなかったし、駅前から歩いて帰る事にした。地元を久しぶりに見ておきたいのもあった。一時間ほど歩いてヘトヘトになって実家に到着し、前みたいにシャワーを浴びてすぐ寝てしまった。

第二部第三話に続く

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