「どちらさん?」柳と面識のない石崎さんがいった。そういえばこの中で柳を知ってるのは錦ぐらいだった。みんなに柳を紹介したあと、柳が「出れない人の代わりに錦さんのオリジナル曲を僕らで演奏すればいいのでは」という話をした。皆、同じサークルにいながら、実は錦が歌っている所を見たことがない人たちだったから、彼女が歌えるということすらも知らずちょっと驚いていたようだった。
周りからの後押しもあって、彼女は一緒に出演予定だったインフルエンザでダウンしていた子に一応連絡をとって、出る事になった。その変更に関しては運営に受理されたが、バンド名がそのボーカルの子の名前+バンドだったので、代わりのバンド名をつけてほしいとのことだった。僕と柳はそれなら錦侑里バンドでいいと思った(実態としてもそうだった)。が、本人がかなり嫌がっていたので没になった。「それならリバーポートソングにしてくれ」と柳が言った。「なにそれ」「後で説明するよ。長い話になる」柳は渡された記入用紙に「リバーポートソング」と殴り書きし、係の人は急いでいて、錦侑里バンドが却下された辺りからイライラしていたので、用紙をふんだくる様にして柳から受け取るとさっさとどこかに行ってしまった。
こうして即席バンド、リバーポートソングは誕生した。
我々の出番はStraySheepsの後だったから、錦のキーボード以外の機材はStraySheepsのメンバー、つまりベースは石田さんから、ドラムのスネアとペダルは石崎さんから借りることになった。石田さんはリッケンバッカーという割とサウンドに癖のあるベースでポジションも下の方で構えるスタイルで、彼女は背が高い方で僕は背が低い方だったので、背丈も同じぐらいだったから、演奏前にストラップを調整しないといけないし、音も結構いじる必要がありそうだった。対して石崎さんはTAMAのIron CobraというペダルにPearlのスネアとヒッコリーのスティックというまあまあ一般的な装備だったから柳は多少の調整で良さそうだった。ドラムセットは会場に置いてあるPearlのセットだった。
ところで高岸とは久しぶりに会うことになる。あれから全く会ってなかったので正直気まずかったが、前述した通り、錦のことがあったし、柳もいたからある意味どうでもよくなっていた。それよりも急に降って湧いて出た目の前のライブの方に意識がいっていた。
出番の一時間前ぐらいに高岸と花田がきた。特に僕への挨拶も何もなく、彼は僕の方を一瞥すると石崎さんや石田さんに合流していた。無視されてちょっと傷つかなかったといえば嘘だったが、予想はしていた。花田にいたっては僕のことはもはや覚えてもいなさそうで、気にも留めずに僕の真横を通り過ぎていった。StraySheepsは固定ファンと言えそうな人たちが出番近くになるとちらほらきていて、特に高岸と石田さんの周りには始まる前からそれなりに人が集ってきていた。
その後もなんどか僕はStraySheepsのライブをみることになったが、その時のライブは彼らのライブの中で最も良かったライブの一つだったと思う。Roxy MusicやXTCの様なちょっとひねりの聴いたパワーポップにGang of Fourやミッシェルガンエレファントみたいな超攻撃的なギラギラしたギターが絡んだ実にスリリングな楽曲を展開しており、これは反応せざるを得ないという出来だった。そしてその中で残念なことに明らかに石崎さんだけが浮いていた。他のメンバーの力強くも軽妙な演奏のなかで、見た目に合わない繊細さを持った石崎さんのドラミングはうまくかみ合っていなかったし、本人のやりたいことにテクニックが追いついていないのもあった。メンバーの中ではもちろん一番仲も良いし、慕っていた先輩だけにその事実がわかったのは辛かった。同時に彼のドラミングの弱点みたいなものに昔は気づいていなかったが、はっきりとわかるようになって自分の耳が無駄に肥えてしまったんだという実感はあった。勿論バンドは有機的な集まりなので、単純な巧拙だけですべてが決まるわけではないが、少なくともStraySheepsの場合は、そこに石崎さんはハマっていない感じがした。実際に彼はこの後すぐに他のドラマーに取って代わられることになった。それはともかくライブは当然のごとく大盛り上がりで、高岸も観客の熱気にあてられてかなりノッて来ている様で、凄みを聴かせてステージ下を睨みつけるように歌っていた。その最高潮の時、高岸と目が合った。彼はそのまま僕から目をそらさずに歌い続けた。それは「どうだ、凄いバンドになっただろ?」という挑発に思えた。僕はそれに憤りを感じることも無く、ただ彼らの音楽を楽しんでいただけなのにそれを邪魔された気分になって残念だと思い、さっと目をそらした。何はともあれStraySheepsは順調に成長を続けて、誰もがこのまま行けばデビューは確実だと思うようなバンドになっていた。
ライブは最高潮のまま終わりを迎えて僕らの出番になった。当然のごとく、あれだけ集っていた人はまばらになり、残っている人は片付けを終え、ステージから降りてきたメンバーに話しかけたりしていた。我々が身内以外誰からも期待されていないのは明らかだった。しかし、それならそれで僕は気が楽だったし、柳は何も気にしない性格だった。それに僕は錦の緊張の方を心配しており、自分がどうこうということはあまり考えなかった。また、石田さんのリッケンバッカーの音作りをなんとか自分のいつものベースの音に近づけることに集中する必要があった。ありがたいことに石田さんは僕に付き添ってくれ、いろいろとアドバイスをくれた。
準備が終わり、いよいよ演奏の時間になった。司会進行役の実行委員会の人が我々を軽く紹介した。曲順は事前に決めていたが、最初になにかMCを挟むとかそういう話はまったくしていないことにこの時になって初めて気がついた。一曲目は「ビッグ・タイム!」という打ち込みの曲で、それ用の音源を持ってきていなかったからやめようという話に最初はなっていたのだが、ライブで一番盛り上がりそうなアップテンポの曲だったので、是非やりたいと柳が押し切ったことで決まった曲だった。打ち込み音源があるときは柳がシンセを弾いて、錦は歌だけに専念する形の曲だったが、今回は錦はシンセを弾きながら歌うことになる。つまり一度もやったことのない編成で、アレンジも打ち込みのものとはことなるバージョンにならざるを得ない。それをぶっつけ本番でやろうという話で今から考えてみるとなかなか無茶な試みだった。そもそも打ち込みの正確さとビートの野太さがこのダンストラックの売りの一つなのに、それを生のドラムに担わせて楽曲本来の良さがでるかも謎だったし、加えてこの曲はボーカルの動きが激しい曲で、それがこの曲の多幸感の屋台骨だったので、キーボードの前に固定されて歌った時に、十分な躍動感が出るかどうかも懸念事項だった。だが、そんな僕の考えはすべて杞憂だった。
錦はひとたび演奏が始まるとスイッチが入るタイプでこの日も司会進行役のMCが終わると、急にシンセの弾き語りでこの曲を始めたのだった。まずはこの曲の売りの一つであるボーカルの動きの激しさを大げさに弾き語りでやり始めて観客の心をいきなりつかもうとしたのかもしれない。そんな大胆な発想や、オーディエンスに何かを見せつけてやろうという気概などは普段の態度からは全く感じられなかったが、ステージにあがった彼女はまるで別人の様に聴き手を引き込むことならなんでもしかねなかった。その狙いは観客だけでなく柳と僕にも響いて、僕たちは打ち合わせがなかったにもかかわらず完璧に曲に入る事ができた。柳のドラムは安定感があり、打ち込みのトラックとはまたちがったグルーヴのある四つ打ちのドラムを展開していた。僕のベースはいつものフレーズだったが、柳と何度もスタジオでセッションした経験が活きたのか、柳のドラミングにもバッチリ息があった演奏ができた。そして錦はそのリズム場を自在に跳ねまわったボーカルで観客を引き付けた。余白が多い曲だったから、そういう隙間部分にちょっとしたスキャットやシャウトを入れてきて、ぞくぞくする瞬間が何度もあった。彼女のボーカルはただ上手いだけでなく、エモーショナルさとワイルドさと繊細さが同居しており、我々は常にここちよくそれに揺さぶられるのだった。そうだ、これこそが最初に彼女の歌を聴いた時の衝撃だった。この感動を多くの人に届けるべきで、そのためならなんでもしたいとあの合宿のとき思ったんだった。そのことを改めて演奏しながら僕は思い出していた。