錦から久しぶりに連絡があったのはもうすぐ大学の後期が始まろうとしていた時期だった。新しい曲が何曲か出来たので柳と僕と三人でまた集って形にしてみたいという。ということでデモ音源をもらうためにまた錦と二人で会うことになり、錦はついでに服も見たいらしいから原宿駅※①で待ち合わせることになった。
九月だったが、まだ暑く日差しの強い日で、ホーム横の木々の緑が五月のように色濃く見えた。有名な駅だったが思いのほか作りはシンプルで駅舎部分が殆どないのにはびっくりした。そして改札をでるとTVでよく見るおなじみのあの竹下通りがすぐ見えた。待ち合わせ五分前だったが、錦は既に来ていた。錦はいつものメガネをやめてコンタクトにしており、前あったときよりも髪がのびていた。当時スマホはなかったが携帯電話はあり、連絡はどこにいてもつくので、待ち合わせに不便を感じる事はそれほどなかった。ただ今より人と会う前に頻繁に連絡を取り合うこともなかったので、当時の待ち合わせと今の待ち合わせに微妙な差異がある。今は会う前から頻繁に連絡を取り合うことが多いから、出会ったときの「いた!」という驚きや喜びみたいなものが少ない気がするのだ。とにかく改札を出たときに錦がまっていたその光景をよく覚えている。五か月ぐらい会ってないだけだったが、彼女はずいぶん変わった。外見だけでなく心の持ちようも変化していた気がした。
「今日はメガネじゃないんだね。なんか新鮮」
「そうなの。今日はね」といって彼女は少し照れた様子だった。僕はもう少し踏み込んで何かを聞くべきかと思ったが何も言わずにたわいない話を始めた。原宿で降りるのは初めてという話をしたら、当然明治神宮に行ったこともないという話になり、本当にすぐ近くだから見ていこうということになった。時間だけはたっぷりあった。
駅から少し歩くと本当に明治神宮があって、なるほど駅から見えていた木々は明治神宮の鎮守の森だったということをこの時初めて知った。そして名前だけは何度も聞いたことがあるこの有名な神社がこんな大都会の真ん中にあることも原宿みたいな騒がしそうな場所に隣接していることも当然初めて知ったのだった。
当時はGoogleマップも詳細なネット上の地図なんかもまだまだ無く、あっても携帯でみるのに手間もかかったから、この様な地理上の発見は現地まで行かないと得られないことが多かった。
鳥居をくぐるとそこはもう都会から切り離された別空間で、思ったより静かだった。人は田舎の仏閣よりも遥かに多く、そこが都会らしさを感じさせた。
「わすれないうちにわたしとくね」と言って錦がMDを二枚取り出した。僕と柳の分だ。あとで聴いてみると、MDからMDにダビングする機械がなかったからなのかわざわざ二回録音してくれたみたいで、それぞれ同じ曲が入っていたが微妙にニュアンスが違っていた。柳に渡す前に一応二枚聴いてみてそのことに気がついた僕は、二枚とも柳の家に持っていって、二人でそれぞれ聴き比べてみて、受ける印象の違いなどの意見を交換しながら、面白く聴いた。
「今回は五曲できたんだ。いままでよりも歌詞に拘って作ってみたつもり。実は歌詞から曲を書いてて」砂利道をザクザクいわせて前にすすみながら彼女は作曲に関するプロセスについて少しうつむき加減でゆっくりと話し始めた。彼女はいま、様々なアプローチで曲を作ることに挑戦しているという。もう、あれからなん十曲も出来ており、その中でも「まともに聴けるもの」を選んできたそうだ。彼女の作曲に対する積極的なアプローチにも相変わらず感心させられたが、歌詞から曲を書くというのが驚きだった。僕には歌詞から書き始めるという発想がなかった。というのも作詞こそ自分がもっとも苦手とする事だったからだ。曲の断片ばかり思いついてもそれをどう発展させるかも悩ましい問題だったが、それに歌詞をつけるとなるともうお手上げで、何時間も考えてみても何も浮かばないということが常だった。それなのにそれをのせる曲の骨格もないまま歌詞を先に書くというのは無から何かを取り出す行為に等しく思えた。
「どうやって歌詞を書いてるの? 僕にはさっぱりわからない。なにからどうやっていいのかわからないんだ」
本当はもっと深い悩みで叫びだしたい気持ちだったが、なんてことないんだけどちょっと悩んでるという風に軽めの口調で言ったつもりだった。が、彼女は背景にあるものを感じ取ったのかすこし考えていった。
「例えばいま明治神宮を二人で歩いてるでしょ。このことを多分ずっと後で思い出すの。そしてその時どう感じたとかを後でじっくりと思い出して違う言葉で書き出すの」
「違う言葉?」
「そう、違う言葉で。明治神宮とか直接は言わないで同じような雰囲気を持つ別の場所をかえてみるとか登場人物を増やしてみるとか、でも思った事の感触はかえずに」
「どうしてわざわざ違う言葉で言い直す必要があるんだい」
「うーん。同じシチュエーションでもいいんだけど、それだと実際に起きたことに引っ張られちゃうから別な場面にして想像をふくらます余地をつくるためかな」
「そうか、ありがとう。今度やってみる」
あまり響いてないのが伝わったのかそのあと暫く返答がなく、砂利を踏みしめる音が続いた。
「歌詞については私も最初全然思い通りにならなくて、中学生の時とかジュディマリとか椎名林檎の真似みたいな変な歌詞しか出てこなかった。けれど下手なりにいろいろとこねくりまわしていたら、ある日『これは』と思えるものが書けるようになってた。自転車に乗れるようになる感覚かな。でも本当に満足いく歌詞を書けるようになったのはあの伊豆合宿のほんのちょっと前だったりするんだ。実はね」
なるほど僕にはまだ歌詞と格闘する時間が足りてないのかも知れない。
「確かまだ曲を書き始めてちょっとしか経ってないでんでしょ」
「うん。大学に入ってからだよ。ほんというと曲を書こうという発想すらなかったんだ。選ばれた人の特権だと思ってた」
そんな事はないと言って彼女は笑った。
「昔の私とは違って既に色々聴いてるわけじゃない。それで歌詞のハードルが上がってるんじゃないかな。言い方悪いかもだけと本当にどうでもいい歌詞をかいてみるのはどう?」
「お腹すいたとか眠いとか?」
「そう! あとは『ラーメン食べたい』とかね」
「あれは名曲だね※②」
この会話のおかげで少し何か掴めた気がした。
気がつくとまた大きな鳥居の前まで来ており、そこをくぐって本殿の方へ向かう。本殿の前まで行くと満足して、僕たちは元来た道を引き返し、そこから先はもうバンドの話はしなかった。
鎮守の森からまた原宿の喧騒にもどると、僕が行ったことがないという理由で、竹下通りに向かった。てっきりこの竹下通りで服を買うものだと思っていたが、なるほどそれは違うということが雰囲気でわかった。年齢層が低い。女子高生だけでなくローティーンが多かった。良い時間だったから僕たちはファーストフードでカジュアルにおなかを満たした。明治通りに出てラフォーレ原宿に行き、裏原※③で何件か回った。完全なレディースの店などは外で少し待ったり、別の店にいったり割と自由に過ごした。
彼女が試着している間、彼氏みたいに試着室の前に張り付いてるのも変だったので、店の中をぶらぶらしたり、たまに意見を求められたりしたときは「似合ってる」とか「さっきのほうが良かった」とか、気を使い過ぎるのも変な気がしたので率直に答えた。それも良くないのかもしれないけど、正解もわからない。「この時はこう答えるべし」みたいな、そういう人間関係の不文律をもう気にしすぎることなく無視して生きる覚悟がこの頃だんだんと身についてきた様な気がした。こちらの都合の良い解釈なのかもしれないが、それは彼女が「思っていることを素直に言ってほしいタイプ」にみえたのもある。
一応僕も彼女に選んでもらって古着屋で白のブラウスと淡いピンクのTシャツを買った。淡い上品な色合いの絶妙なピンクだったがこれを買おうという発想が僕にはまるでなかったので面白かった。次の練習の時早速着ていこうと思った。
最後に僕たちは表参道を青山方面まで歩いて行き、ここまでいくともう原宿は離れすぎているから表参道駅から半蔵門線で永田町まで行き、乗り換えて有楽町線で池袋方面まででることにした。錦のアイデアだ。言われてみれは彼女はずっと東京を遊び場として十代を過ごしてきたのだ。今日一日彼女とずっと一緒にいて、他愛ない話をして僕は彼女のことを何にも知らなかったということがよくわかった。洗練された都会的な気質が彼女にはあって、それが彼女の創作活動にもポジティブな影響を与えていることにもやっと気づけた。それは田舎で育った僕とは大違いだった。羨ましくないといえばうそになるが、嫉妬心とかではなく、ただただそういう事実に唸るしかなかった。
錦は池袋から西武池袋線なので途中で降りることになる。僕たちは地下鉄に乗っている間座らずに立ってずっとしゃべっていた。そこには何かしらの熱量みたいたものが発生していた。そのまま乗っていれば僕は家までは直だったが、勢いで一緒に池袋で降り、そのままなぜか西武線のホームまで見送りに来てしまっていた。彼女が乗る電車がもうきていたが出発まで時間があったからホームでまたずっとしゃべっていた。突然空白の時間が訪れて僕たちはキスをした。長い長いキスだった。腕に通した買い物袋がこすれあってずっとガサガサなっていた。発射のベルがなって彼女はあわてて電車に飛び乗り、じゃあねと彼女が言って扉がしまり電車が出発した。
※①副都心線が開業している2008年以降だったら明治神宮前駅で待ち合わせだったかもしれない。
※②「ラーメン食べたい」は矢野顕子の名曲。基本的にラーメンを真剣に食べる様子が描写された歌詞だが、「色々としんどい事もあるがしぶとく前向きにいくという覚悟」を感じさせる内容になっている。
※③裏原宿のこと。服飾洋品店が集まっているエリア。当時は裏原宿が一番盛り上がっていた時期が終わろうとしていたころで、割と落ち着いて見れたと思う。