音楽連載小説 第十二話

【第十一話はここから】

高良くんから※①曲目が送られてきたのは結局次の日の朝だった。

昨日はお疲れ。曲目おくるねー。

  1. 「人間発電所」Buddha Brand
  2. 「証言」Lamp Eye
  3. 「F.F.B. (DJ MASTERKEY Remix)」キングギドラ
  4. 「Let me know ya…」TOKONA-X
  5. 「リスペクト」RHYMESTER feat ラッパ我リヤ
  6. 「¥」THA BLUE HERB
  7. 「病む街」MICROPHONE PAGER
  8. 「3 ON TREE (三銃SH*T)」NITRO MICROPHONE UNDERGROUND
  9. 「般若今日」般若
  10. 「ECDのロンリーガール」ECD feat K DUB SHINE
  11. ‪「Galaxy Pimp 3000」NIPPS ft. Muro & Dev Large‬
  12. 「Funky Methodist」Buddha Brand
  13. 「真実の弾丸」キングギドラ

僕はそれをスーツに着替えながら読んだ。その日また同じバイトが入っていた。初回で勝手がわからず連続でいれていた。僕は二日連続で同じ現場だったが高良くんはその日は現場におらず昨日と同じ面子は、リーダー格と仲が良さそうだった例のフリーターの彼だけで、僕の担当場所は昨日高良くんが担当していたモデルルームに続く道の直前の場所だった。近くに眼鏡屋があったのでずっと眼鏡屋に行き来する人を見ていた。あとは通り過ぎる車のナンバープレートの数字を足したり、地名に注目したりしていた。その日も歌詞は書けずただただ早く終わってくれと祈りながら一日を乗り切った。高良くんからもらったそのCD‐Rを僕はその日の行きと帰りにまたずっと聴いた。

収録されていた音源全てに最初から夢中だったわけではない。しかし、※②古いソウルやファンクやJazz、R&Bの美味しい部分がサンプリングされている時点でもう格好良かったし、心地よく繰り出される言葉達の快楽に僕は夢中になっていった。6月になってKatie’sのライブ準備が忙しくなってきた頃に高良くんの勧めで僕はBuddha Brandのベスト盤とキングギドラの1stアルバム『空からの力』を買ってその2枚に夢中になり、ほとんどの曲のリリックをそらでラップできるぐらいのめり込んでいた。

結局高良くんと現場で会うことは二度となかったけれども、その後も高良くんとの交流は続き、彼が都心に出てきた時ちょくちょく会う様になった。高良くんに付き合って都心で買い物をするうちに僕は高良くんの真似をしてヒップホップのファッションを普段着に取り入れ始めた。丁度Katie’sでのライブが終わって石田さん達と合流するぐらいから、ゆったりとしたオーバーサイズのTシャツやパンツ、CARHARTTのニット帽、Timberlandの靴などをだんだんと身につける様になって、高岸に会う度に「どうしちゃったの?その格好」と言われていた。僕も高岸にヒップホップを勧めてみたが彼にはあまりピンとこない様だった。

しかしヒップホップに傾倒しながらも僕はラップを始めることも、バンドを辞めることも考えてはいなかった。当時、何事においても自信が持てなかった自分が、セルフ・ボースティング(自己賛美、自分自慢)主体のラップが出来るとは思ってなかったし、言いたいこともなかった。かといってスチャダラパーやキック・ザ・カン・クルーやリップスライムの様に楽しい感じのラップも自分の性に合ってるとは言い難かった。何より歌詞や言葉、リズムに対して真剣に向き合ってこなかった自分にとって、言葉やリズムに重きを置いた音楽を始めるのはなかなか大変そうに思えたのもある。

それでも日本語ラップを口ずさむ事で根拠のない自信の様なものは少し得られたし、なによりも音楽を聴く上で今まであんまり気にも留めていなかったリズムと歌詞に注目する様になっていったのは自分の中で大きく、革命的な出来事と言ってよかった。今まで聴いていた音楽もベースやドラムに注目して聴くようになっていた。その結果いくつかの楽曲はより魅力的に思えたり、いくつかには物足りなさを感じるようになった。

そんな変化が僕の中で起こっている頃にテストやレポートもひと段落し、7月の下旬に僕たちは2回目の練習、「すとれい しいぷす」としては初めての練習に入った。場所は前回同様池袋のスタジオだった。僕と高岸はその日の為にテストの合間をぬって集まり、エーテルワイズの曲のギターの割り振りと僕ら独自のアレンジを相談したり、高岸の新曲のデモを2人で作ったりしていた。今回は高田馬場で待ち合わせて2人でスタジオに向かった。

「おー久しぶり。元気してた?」スタジオに着くと石田さんが元気に出迎えてくれた。石田さんは髪を三つ編みにしていた。この人は自分の髪型で遊ぶのが好きだという事がだんだんわかってきた。

「あ、メガネやめたんだ、その方がいいよ」

変化は何も僕だけに訪れていたわけではなく、高岸はしょっちゅうずれる眼鏡をコンタクトにして髪を伸ばし始めていた。実はKatie’sのライブで演奏中にメガネがぶっ飛んでフレームが破損してしまい、それをセロテープで暫くとめて使っていたのだが、さすがに恥ずかしいのでコンタクトを作ったということだった。表向きの理由はそれだが、僕は高岸が石田さんに「君はメガネをかけてない方がいいよ」と言われていたのを聞いていたから、それでだろうなと思っている。言ってなかったけど高岸は顔は整っている方だった。ただ特徴的な少し尖った耳の形をしていたので短い髪型だときつめの印象を受ける。それとフレームがガタガタになっててしょっちゅうずれる似合ってないメガネをやめたわけだ。なるほど高岸はだいぶ男前になっていたと言ってよかった。

そして石田さんから望み通りのコメントをもらって嬉しさを全く隠さない高岸をみて、なんだか僕はざわざわした。高岸の行動力や※③作曲の才能を妬ましく思いつつも彼に憧れを抱いていた当時の僕には理想の高岸像みたいなものがあっだんだと思う。石田さんはとにかくそれを逸脱させる「危険な」存在だった。そして何よりもタチの悪いことに当時の僕はそんな高岸の才能や良さを「自分だけが知っている」という事で他人に対して優越感を持っていた節がある。ところが石田さんは高岸の良さにあのライブで気づいてしまった。だから全く実績のない我々とバンドを組むことを承諾してくれたし、それだけでなく高岸のビジュアル的な魅力すらも引き出し、彼の魅力を誰にでもわかるようにしてしまった。石田さんは他の人にはないスター性もあったし、面倒見も良いし性格的にも魅力的な人物だった。ただでさえ自信の欠如していた僕には眩しすぎる存在だった。そんな彼女が、まだ僕の手の届く範囲にいた高岸を引っ張り上げて別の次元に連れて行こうとしていた。遅かれ早かれ高岸は自分の手で成長していたかもしれない。しかしそれを僕が現実を受け止める準備ができる前に、彼女が押し進めてしまったのは確かだった。僕の石田さんに対する感情は、石田さんの人柄が良いだけに、なかなか複雑なものがあった。そしてそれは完全に僕が理解できるスピード以上で進化し始めた高岸に対しても同じだった。僕が「すとれい しいぷす」を辞める事になる萌芽はすでにこの頃からあったわけだ。

第十三話に続く

※①今の僕なら2004年の5月当時にすでに発売されていた以下の曲を加える。スチャダラパー「ヒマの過ごし方」、キミドリ「自己嫌悪」、リブロ「胎動」、降神「Rainy Morning」、RIP SLYME「Cheap Talk」、KICK THE CAN CREW「one for the who, two for the what」。ただしこれはあくまで僕の好みだ。高良くんのリストもそうで、これが2004年時点の日本語ラップを代表するリストだなんて言い張るつもりは毛頭ない。

※②打ち込み系の音にラップがのったものは最初は殆どピンとこなかった。結局楽器の生音に僕はとことん慣れきっていたんだと思う。洋楽ヒップホップとの出会いがA Tribe Called QuestやThe Rootsだったらもっと早い段階でヒップホップを聴きあさっていたかもしれない。

※③後になってわかるのは人が才能と呼ぶものの殆どが地道な努力や知識の蓄積による成果だという事だ。高岸は作曲の才能があるというよりはコツコツと必要なことをやり続けていただけだった。僕らの界隈で本当の意味で才能があったのは柳だけだったと僕は思っているし、その柳もコツコツと必要な事をやり続けていた。才能でなんでも片付けて勝手にいじけて努力を放棄していた当時の僕が2人に敵うはずがなかった。

第十三話に続く

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